「やあ。大きくなったね・・・といっても覚えてないかなあ?僕がきみのおじいさんだよ」 ほほえみかけてきたおじいさんは、少女へ手を差し伸べた。 幼い頃、はなれた国に父のお父さんがいると聞いていた。 なんでも、とてもすごい人だそうだが、変わり者で、いつも堅い顔をする父とは「そり」が合わないのだとメイドたちが話していたのを聞いたことがある。 少女はなんでもできた。 勉強が好きだったし、走り回る事も、男の子みたいに木登りをすることも、礼儀作法の授業も好きだった。・・・木登りは、いい顔をされなかったのだけれども。 父はそんな娘が誇りのようで、いつもお客様が来ると、自慢の娘を紹介していた。 遊んでくれたりしたことは少なかったが、喜んでくれるからもっと嬉しかった。 転機は5つのとき。 母のお腹に新しい命が宿った。今か今かと目を輝かせながら、生まれてくる家族を待ち焦がれ、やがて弟が生まれた。 実は妹がよかったなあと思ったけど、弟でも嬉しかったのですぐに忘れてしまった。 姉と弟は仲が良かった。 少し内気な弟を、勝気な姉が守る。けれども作法や勉強は容赦なかった。 「おまえが後つぎになるんだから、いつまでもわたしに頼っていてはだめよ」 「ぼく、別にならなくてもいいよ?姉さんがなればいいじゃない」 「だめよ。みんなお前が、なるって言ってるんだから」 本音を言えば、少女には何故男の子が後を継がねばならないのかさっぱりわからなかったのだけれど、周囲の期待に答えようとするために、あえて口にすることはなかった。 大きな転機は10のとき。 こっそり本で覚えた、小さな小さな魔法を、父の誕生日に披露した。 本にあったのは、パーティに使われる、小さな花をいくつも咲かせてふわりと舞わせる、とても素敵なもので、絵本で見た夢のような光景だった。 弟にそうするように、笑いかけて欲しかったのだ。 だれにもできないことだったから、きっと、「すごいぞ、ジーン」と、誉めてくれると信じていた。 その時の父の顔は、一生涯忘れないだろうと思う。 父には、魔法の才能がなかった。 婿入りした母もそうだ。 その国では魔法使いとは希少な存在で、家族を含め、誰も"魔法"に対する理解がなかった。 少女は弟に合わせてもらえなくなった。 あんなに仲が良かったメイドも皆、腫れ物を扱うように少女と接触を絶った。 まるで病原菌を扱うかのような仕打ちに、可愛らしい笑みは日に日になくなっていく。 そんな少女を不憫に思ったのは、父でも、母でもない。 少女を幼い頃から観ていてくれていた、老執事。 彼は少女が生まれる前から家に仕えていた。 生まれてからも、必死に大人たちの期待に応えようと背を伸ばす少女を、人知れず守り続けていた。 老執事はひっそりと主人の父へと文を出した。幾度かやりとりを交わすうちに、更に一月経っていた。 「旦那様は、お嬢様を嫌っているわけではないのです。ただ、お父上と同じ魔法の才能がなかったことに、心を痛められておりました。今の旦那様は、お嬢様とうまくお話ができないだけなのです」 冬の日。 粉雪が降るとても寒い日に、老人は少女を連れ出した。 旅立つ少女の小さな手のひらを、両手で包み込みながら、少女の知らなかった真実を教えてくれた。 「いずれ、旦那様や奥様も分かってくださいます。そして覚えておいてください。お嬢様の才は素晴らしいもので、人々を幸せにできる力でございます。あの日、旦那様をお祝いしようとなされたお心も、間違いではございませんでした」 少女はうん、と素直に頷いた。 父の事は悲しいが、今目の前で執事が泣いているのは、もっと悲しかった。 執事がそうであったように、少女もまた、この老執事がとても好きだったのだ。 「向こうではお爺様が待っていてくださいます。とてもお優しい方ですから、なにも心配はいりませんよ」 そして最後までついて行くことができない老いた身を、許して欲しい。と謝罪した。 「わたしは平気よ。けど、じいやは?お父様はおこってないの?」 長い時間をかけ、少女を祖父の下へ送る事を説得した老執事は、屋敷を去ることになっていた。 けれどそんなことを表情に微塵にも出さず、老人は優しく笑った。 「ご心配なさることは何一つありません。その優しさをどうか忘れないで、健やかにお育ちください。それだけが爺やからのお願いでございます」 遠ざかる姿を、見えなくなるまで、見えなくなっても見送り続けた。 祖父と手をつないで、新しい家へ向かう。 「ジーンの事を話したら、みんなとても楽しみにしててねえ。僕のことはそっちのけで部屋の片付けに入ってたんだよ。邪魔だからあっちいっててくださいって・・・ひどいよねぇ・・・だけど、とても可愛い部屋になったよ。ジーンが気に入ってくれるといいなあ」 夕焼け空、二人で歩きながら辿った道のり。 ぎゅっと握った手は、離されることがなかった。 |