命の順位



砦が破られるのは、もはや時間の問題だった。
砦というには瑣末な作りだが、それでも彼らにとっては砦と呼ぶしかない。

敵は夜明けと共に総攻撃をかけてくるだろう。冷たい石畳に覆われた室内は沈黙に覆われている。
この砦を守り通して欲しい―――彼らは、そういう契約をしている。
そして砦の奥深くでは、高貴な血筋の少女とやらが、幾人かの随従と共に手を取り合って怯えているはずだった。

「夜明けまでに、打って出るべきだ」

まだ少年期の面影を残した青年が、凛とした表情で立ち上がった。だが、答えるものはいない。
ルーカスも他の傭兵たちと同様、青年を一瞥しただけで、床に視線を下ろした。

――若いな。

名前は、確か、そう。ディランとかいった。雇われた中でも、おそらく傭兵としての経験が浅いのだろう。

「明日の太陽が昇るまで持ちこたえれば、増援部隊が来るんだ。俺たちが打って出て、お姫さんを守り通せば勝ちなんだぜ」

勢いづいた、威勢の良い声だ。そして内側に、ほんのりと恐怖の色がある。
そういえば、高貴な血筋の令嬢とか言う少女は美しかった。だから青年は、少女を守るという高貴な"使命"とやらに酔うことにしたのかもしれない。

「・・・なあ、そうだろ?誰かそうだと言ってくれよ。俺たち、あと少し持ちこたえれば勝てるんだろ?」

それでも、周囲に十数人といる傭兵たちはディランの声に答えることはない。皆、じっと押し黙ったままだった。

傭兵たちが戦場で語り合う事は、ない。護衛や長期の仕事ともあれば、気が合うもの同士でつるむこともある。ルーカスにもそういう人は一人二人いる。だが、次に会うときは敵かも知れない相手だという事は、忘れていない。

それでも、この砦のような攻防戦の激しい戦のときは、仲間の顔をみる余裕はない。

「なあ、誰か、この中に魔法使いがいただろ。誰だっけ、あ、ああそうだ、あんだだよあんた。な、どうにかなるだろ?魔法使いってすげえんだろ?俺らにはできない、すごいことでも、できるんだろ」

縋ろうとしたディランを撥ねたルーカス視線に、青年が「ひっ」と小さく息を呑み、足を引いた。

勘違いするものが多いが、魔法は万能ではない。殺傷に優れ、不意を付く事はできようとも、数の暴力には抗いきれるものではないのだ。傭兵の中には、ルーカスが魔法を使う事をとうに知っているものもいたが、ディランのように縋ろうとはしなかった。

ルーカスがディランを新参者だと見抜いたように、彼らもまたルーカスが経験を積んだ傭兵だと理解している。そのルーカスが押し黙ったまま、彼らと同じように沈黙を押し通していれば、その意味はおのずと知れる。

「ちくしょう、だって、そうしなきゃ・・・砦は取り囲まれちまってるんだろ。俺らみたいなただの傭兵が逃がしてもらえるわけねえじゃねえか。殺されちまうんだぜ」

同意の声はあがらなかった。口に出すほどのことでもない。
傭兵になる道を選べば、覚悟していたはずだ。金と引き換えに命を売る。己の命を引き伸ばすために、命を奪い続ける。それが傭兵だ。

「なあ、俺死にたくないんだよ。あんたらだってそうだろ?黙ってないで、応えてくれよ。俺ら、明日には並んで死んでるんだぜ。仲間じゃないか」

ディランは気付かなかったが、蝋燭の明かりだけが頼りの暗闇の中で、誰かが剣を抜いた。

「おい」

ルーカスが呼びかけた。ぱっとディランの表情が明るくなる。

「黙ってろ。それ以上べらべら喋るなら一足先にあの世に送るぞ」

「わ、悪い」

怒気を孕んだ声に、すっかりディランはしょげて背を丸めた。
それに伴い、剣を抜いた誰かも、剣を鞘におさめたようだ。

幼い頃から傭兵の一団に身を置いてきたルーカスは、しつこいくらいに言い聞かされてきた傭兵のルールを知っている。そしてまた、おそらくは修羅場をくぐって来た彼らも知っている。そうでなくては、とっくの前にディランを怒鳴りつけ、殴り倒しているだろう。
彼らは、無駄な体力と気力を消費するような真似をしなかった。

その彼らは知っている。饒舌なやつには気をつけろと。ルーカスも何度も言われ続け、身をもって体験してきた。饒舌とは、言葉に頼るという事だ。戦場で言葉は通じない。交わすものでもない。だが饒舌な者はそうではない。言葉にすがるものは、ほかのなにもかもに縋りつく。裏切りに、逃亡の誘惑に、敵の甘い罠にあっけなく逃げ込んでしまう。
ルーカスでさえ、その裏切りは幾度も経験した。

死の恐怖にさらされたとき、饒舌になるのは心の弱さが残っているからだ。あるいは、覚悟といってもいい。そして、その弱さが露見した傭兵は、死地を脱する事ができない。それが戦場というものだった。

ディランがそうなる可能性は十分ある。ルーカスだけではない、他の傭兵たちもディランの動向には気配を探る。その手間を惜しみ、先に若者を始末しようとした傭兵をルーカスは責めるつもりはない。誰もが、死にたいわけではない。生き残る確率を高めようとしただけのことだった。

数時間後には夜が明ける。

「ああ、ちくしょう。死にたくない。死にたくないよ・・・こんなはずじゃなかったんだ。なんでこうなっちゃったんだよ・・・。ちょっと武功を立てて、金をもらって、それでよかったはずなのに。なんで・・・」

ルーカスは瞠目する。浮かんだのは、眩しい笑顔だった。






訪れると思われた決戦は、あっけない幕切れを見せる。

少女が悲鳴を上げて泣いている。少女に付き添っていた老人は乗り込んできた敵に切り伏せられ、付き添っていた若い侍女は敵の陵辱を受けた。終わったあと、手出しはしなかったが、助けもしなかった傭兵が首に短剣をあてがってやっていた。どのみち、侍女は殺される道にあったのだから、楽にしてやろうと思ったのかもしれない。

傭兵たちは、全員生きている。
裏切り者としてではない。ついさっきまで敵だった相手と"味方"として、砦にいる。

彼らを雇ったのは少女ではない。少女の後見人にあたる人物で、その人物が、少女を見限り、傭兵たちの仕事に変更を加えたのだ。

確かに「砦」を守れといわれていた。少女を、この場所に居る「誰か」を守れとは、一言も、雇い主は口にしなかった。

命があったことに異議はない。だが、気の良い終わり方ではない。
雇い主へ露骨な悪感情を表情に出すものもいた。それは目の前で泣き叫ぶ少女への哀れみだったり、言葉巧みに己を騙した雇い主への怒りを抱くものと様々だ。
不快だったのはルーカスも一緒で、砦に残っていた傭兵は、敵だった"味方"への手助けをする事はなかった。

ルーカスはもちろん、誰も口出しはしなかったのだ。――ディランを除いて。

「やめろ!お前ら、恥ずかしくないのかよ!?」

勇んで、美しい少女を陵辱しようとする兵士たちを押しのけた。その姿に、迫る命の危機に怯えていた面影はなかった。命が助かったからだろうか、彼らは味方だから、もう殺される事はないと思ったのだろうか。おそらく両方だろうとルーカスはディランを眺める。

それが間違いなのだ。

雇い主が傭兵たちを忌々しそうに見つめている。
金はあったが、強いものには媚び、弱いものには傲慢になる臆病な雇い主だった。男は、傭兵たちが自分に差し向ける視線にいらだちを隠せずにいた。

仕方がない、とため息を吐いたのはルーカスだけではなかった。「お前たちは誰の味方なのだ」そう投げかける視線に、傭兵たちがぞろぞろとディランを引きずり、押さえつけた。

再開された少女の悲鳴を背景としながら、ディランが、じたばたともがいた。

「若いの。今度は無理だぜ」

暗闇の中でディランを始末しようとしたのはこの傭兵だったのだろう。一度はルーカスの意図を察して引いてくれたが、今度はそうもいかない。厳しい面持ちを崩さない男に、ルーカスは肩をすくめた。かばい立てすれば害はルーカスにも及ぶ。
彼らを敵に回してまでディランの命を優先するほどの価値は、どうあがいても見出せない。

「はなせ!離せよ!目の前で女の子が酷い目にあってんだぞ!あんたら、それでも男かよ!俺らあの子を守れって雇われたんだろ!!・・・!な、なんだよ、なんで剣を抜くんだよ、畜生!離せ、離せよ!俺は味方だろ!?剣を向ける相手が違うじゃねえか!や、やめてくれよ。・・・な、なあ、冗談だろ?」

「・・・坊主。正義の味方気取りはあの世でやんな」

無駄な口上は、それ以上聞くだけ無駄だった。傭兵の刃はディランの左胸に突き刺さった。「母ちゃん」と青年はつぶやくと、やがて焦点を失い、光を失った。





夜通し歩き続け、抜けた森の先に小さな村があった。
広場では子供たちが木の枝を持って、兵隊ごっこをやっている。隅では、女の子たちがままごとに興じている。

目的の人物を見つけると、ルーカスは真っ先にそちらに足を向けた。先に子供たちが、次に、小さな小さな幼子がルーカスを見つけると、ぱあっと、土に汚れるのにも関わらず、つたない動きでルーカスを指差し、言葉にならないつたない発音をする。

ルーカスの人差し指にも満たない大きさの、ふっくらとした手のひら。必死に伸ばす腕を掴むと、優しく抱き上げた。

「うー、うー!」

「よう。お姫様。忘れられたかと思ったけど、ちゃんと覚えてたんだな」

ぺたぺたと、柔らかな手が無精髭の生えた頬を、顔をたたいていく。一応喜んでいるらしい、とはルーカスもわかるようになっている。

「お父さんだぞ、ちゃんと、帰ってきただろ?」

「とーさん。お、とーさん」

「そう。お父さんだ。ただいま、イオ」

目が合うと、頬を緩めるイオの言葉が、なぜか、胸に染みる。

イオの面倒を見ていた女の子が、あのね、と教えてくれる。

「イオちゃんね、支えてあげたら、立てるようになったんだよ!」

「そうか。それはすごいな」

子供らが教えたのだろう。家の中から、恰幅の良い主婦が出てきて、ルーカスの顔を認めると「帰ってきたんだね」と出迎えてくれた。

「すみません。予定より遅れてしまって」

「大丈夫さね。ウチは子沢山だから、子供の一人二人増えた所で、どうってことありゃしないよ。それにこの子はいい子だったよ」

ルーカスはイオという娘を連れてあちこち放浪している。
仕事に連れて行けないからと、立ち寄った村の気の良い夫婦に、幼い娘を預かってもらっていたのだ。

「だけど・・・あんた、また旅に出るんだろ。大丈夫なのかい。その・・・」

「ええ、今回は懲りました。おかげで金はできたんで、落ち着ける場所でも探してみます」

傭兵という事は、とうに知られている。不安をぬぐう様にルーカスは頷いた。

翌朝、世話になった夫婦に改めて謝礼を手渡し、見送りを受けた。こざっぱりとした身なりと、愛想と金払いの良かったルーカスは、夫婦や村から邪険に扱われる事はなかった。

「そうだ。あんた、この先の街に行くんだろ。そこに息子がいるんだ。なんだったらあたしからの伝言を伝えてくれないかい。代わりといっちゃなんだけど、あんたの手助けさせるからさ」

「いいですよ。街のどこに?」

「傭兵が集まるギルドにいるって聞いたよ。ディランっていうんだ」

イオのほつれた髪を直していた指が、一度だけ動きを止めた。それもすぐに再開し、するりとほつれをなおす。

向こうには知り合いが多いし、あたしの名前を出せばすぐにわかるよと教えてくれた。
長男で、粋がって傭兵になると出て行ったはいいが、心配でねえと笑った。

「優しい子でね。家族の生活を楽にさせてやるって出て行っちゃったんだよ。だけど、近くの街にいるからね。たまに向こうの知り合いから様子を聞いてるんだよ」

自分の生活が苦しいのに、働いた金を家に送金して、だというのに「楽な生活をしている」とうそぶいた手紙を寄越すのだと言った。

「そうですか」とルーカスはあいづちをうち、見送られて村を出て行った。



森の中を、小さなハミングが流れていく。旅人の装いの男が、眠る幼子を抱いて、街道を下っていた。
昨日、イオははしゃいであまり眠らなかった。ぎゅっとルーカスの服を握った指を、荒れた指がそうっと撫でる。
イオを連れて出て以来、ルーカスは傭兵の仕事をすることはなかった。

普段は溜め込んだ金であちこちしているが、今回は次の街までの路銀が尽きてしまい、仕事をすることを決めたのだ。かといって、イオを連れているルーカスが護衛といった長期の仕事をするわけにはいかない。そこで、実入りの良い短期の仕事を選んだのだが、それが今回の結果だった。

「・・・もう傭兵は無理だろうなぁ」

イオを連れて以来、ひとり言がやたら増えた。
いけるかもしれないと思ったのが、そもそもの間違いだった。ルーカスにはもう、傭兵はできそうにない。今度の事で、身に染みてしまった。

「俺がいなくなったら、ひとりぼっちだもんな」

イオと共に過ごす前にはあった覚悟が揺らいでしまった。
砦で、青年の言葉に苛立ちを隠せなかったのが良い証拠だった。死にたくなかった。死んではいけなかった。死んだら一人にしてしまう、残してしまう。

動かなかった風景が、途端時間を取り戻したように騒がしくなった。失いたくない思いが急激に膨れた。眩しい笑顔をもう一度間近で見たかった。

夫婦からディランへあてた手紙を預かっている。うすっぺらいそれは、昔であればとうに捨てているはずのものだった。この手紙をどうするかは、まだ、決めていない。

いくつも命があるものなら、ルーカスはディランを助けていたのかもしれない。騒がしくはあったが、嫌いな若者ではなかった。
だか、生は一つだ。
かぎりある命のどれかを選べといわれたら、ルーカスはイオと、娘を守る己を取る。

けれど、小さな命を腕に抱くと、ディランの最後のことばがわずかに、胸に刺さった。

そういえば、人が死ぬ事にいつから慣れたのだったか。
初陣は十二のときだった。死ぬかもしれないと思ったが、兄に助けられた。殺されるから殺した。はじめは殺した人間の顔を覚えていた。だが、次第に薄れた。
夜中にうなされることもなくなっていった。

この生活を続ければ、このあどけない寝顔が悪夢にうなされる日がくると思ったとき、ルーカスの心はすっかり決まっていた。

「・・・なあイオ。ドネヴィアに、いってみるか。あそこは平和だ」

旅が好きだった。
見知らぬ土地に見知らぬ人、知らない知識を集めるのは楽しみで、やめることのできなかった彼の小さな誇りだったのに。それすら娘の前ではちっぽけなものになってしまった。

森の梢から色鮮やかな鳥が何羽も飛びたっていく。
小さな鳥の群れは、青空を彩る。その空は、青く、広く、美しかった。






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