そして勿論のことだが、やられっぱなしというのは好きではない。
にっこりとアリシアが微笑むと、額に汗を流したジラが一歩下がった。

「ひぃ!・・・いやぁ、やだ、アリィちゃんやめて!」

「あらあら。・・・じゃあ、これはどうですか」

「きゃぅ!?・・・や、本当にもうダメッ!お願いだから・・・やだ!近づけないで・・・近づけないでよぉ!そんなのアタシ耐えられない・・・」

「聞けませんね。わたしにきちんと事情を説明してくれたのならばともかく、あのように騙した形を取るなど容易に許せる行為ではありませんよ。それでただで済むと思ってたら大間違いなんですから。さあ、もっと叫んでください」

「やッ・・・いやあああああ!」

ジラが叫ぶ度に彼女が縛り付けられた椅子が激しい音を立てて揺れた。勢いあまって椅子ごと倒れようとすればアリシアが容易に建て直し、唇を三日月形に吊り上げる。
明らかにこの状況を楽しんでいる。表情からすべてを読み取ったジラは悲鳴を殺して叫んだ。

「アリィちゃん、人をこんな風にいじめるなんて良くないと思うわ!あの弄りやすくて遊びやす・・・可愛らしいアリィちゃんに戻って!だから・・・だからお願いよ!」

「・・・その途中で切った言葉は気に掛かりますけど。・・・・・・んー」

ぶるぶると震えるジラの姿に思うところがあったのか、雰囲気が一転して普段どおりのアリシアの表情が貌を覗かせた。

「ちょっとやりすぎたのは認めます。そうですね、そろそろ頃合ですか」

「じゃあ!?」

「ええ」

優しい声音が耳朶に届いた。ジラの表情がみるみる輝きだす。それを待っていたかのように次を切り出した。

「それじゃあご要望どおり、終わらせましょうか」

「わかってくれたのね!」

「ええ。だからジラ。・・・いい声でお願いしますね?」

片手に抱えていた「ソレ」がジラのひざ上に飛び乗った。



甲高い悲鳴が一帯を支配し終えると、両耳を塞いでいたネリィが手を離した。

「・・・・・・・・・よくあれで盛り上がれるなぁ。先生達」

「そうですわねぇ。けど、年頃の子たちの前では刺激がありすぎました。ジラ先生の悲鳴はちょっといやらしすぎましたし」

「イルニア、そういうのは心に秘めとくべきだぜ」

「そういうハーウェイさんは、みなさんと違って平然としていますのね」

「イルニアもだろ。けど、うーん・・・確かに会話だけならいい線行ってたんだけどなあ」

「えっと。二人とも・・・そういう意味じゃなかったんだけど」

腕を組むハーウェイに続いて、寝転びながら新聞に目を通すネヴィルが続いた。

「いい年をした大人が猫を持って詰め寄る姿なんて笑いにしかならない」

「・・・えい」

「ぐっ。ネリィ、何を」

「ん。・・・乗ってみたいなと思ったの」

「あらあら。仲が良いですわね」

事の原因は、アリシア、ルーカス、ジラの三名が数日に渡って無断欠勤を起こしたことからはじまっている。
結論から言ってしまえば、「帰ってきたら絞ればいいよ」という総長の心配の欠片もないお達しによって騒がれることなく処理されていた。一切のうろたえのない姿に、これが信頼ということなのかとヨアヒムやオルゴットは口を開いたのだが、総長の孫であるジーンは、

「あれ相当怒ってるわよ。だって連絡なしに突然三人も休んだんだもの。どうせルーカスとジラが巻き込んだんだろうって言ってた。きっと帰ったらお説教と何かやらさせるわね。・・・おじいさまの説教、長いからかわいそうだわ」

と言っていた。ジーンの言葉通り、何食わぬ顔で出勤してきたルーカスは朝からゲーツェに呼び出され、放課後になった今でも戻ってきていない。
総長室を通りかかった者の話によれば、扉の隙間から煙が漏れ出していたとかいう話だから近寄らないほうがいいのだろう。

「いい気味だわー」

かわいそうと言っていたのはどこへやら、紅茶をすすりながら笑顔である。

そしてアリシアとジラだが、同じくゲーツェに呼び出されたものの、ジラはややげっそりと、アリシアだけは何事もなく返された。ジラが「裏切り者」だとか「アタシは二人のためを思って」だとか弁明をしていたが、放課後になってジラの首根っこを捕まえたアリシアがやってくるなり、ジラを椅子に縛り付けた。
次に外出して、戻ってきたときには両腕の中に丸々と太った不細工な猫を抱えていたというわけだ。
「おじいさまが餌をやってる猫だわ。動きはとろいし、不細工だし、猫なのに鳴き声が牛みたいでぜんっぜん可愛くないの」
猫を見た途端、ジラが情けない悲鳴を上げた。
ジーンの言うとおり、猫は「ぶもぉ」とないた。どうやらジラは猫が苦手らしい。
叫ぶジラに、アリシアは満面の笑みで猫を近づけては離すという拷問(?)をしていた。それが先ほどの二人の会話の正体である。
肝心の猫は、気絶したジラのひざ上であくびをしている。
ジラに「二度とやりません」と誓わせたアリシアは機嫌がいい。こうまで来ると一体何をされたのかと気に掛かるところだが、質問するような愚行は犯さなかった。

大まかに、なぜ国から姿を消したのか、理由は聞いている。詳細は今だ不明だが、その中で会話から言葉を掬いあげた事でわかったことがある。

その中の一つ、ジラにはナイルズという意中の人がいるらしいということだ。そのことを切り出したのは猫を近づけている最中のアリシアだった。
さあっと顔を青ざめさせたジラにアリシアは、

「船のことなら何でも知っている幽霊さんから聞いたんですよ」と言っていた。

その後も二人の付き合っている期間や、忍ぶ恋だとか遠距離恋愛というキーワードに、傍で聞いていた女子が一斉に真剣な眼差しになったことから、完璧に確信犯であろう。「そういえば船の中で、姿を見かけなかったり、海賊のときも傍に彼がいましたね」とすらすらと述べている最中、ジラが真っ赤になったりなど、いつもの二人の立場が逆転していた。

今後ジラは少女らから根掘り葉掘り聞かれるに違いない。

「先生、お菓子食べよう」

今だ気絶したジラの前で暗い笑い声を上げているアリシアにヨアヒムが声をかけると、人が変わったように「そうですね」と頷いた。

「先生、楽しそうだったね」

「否定はしません」

「そしてちょっといじめっ子になった。オル・・・君の好きな先生は変わっちゃったみたいだ」

「なんでこっち限定で振るんだよ!あと誤解を招く言い方をするな!」

「ええ?僕が気づかないとでも思ったの。二人が付き合うってわかったときだって、かなり落ち込んで・・・」

「わーわーわー!!!??」

「ははは年少組、聞こえてるぞう」

「違います。聞こえるように言ってるんです」

「ヨアヒム!」

「・・・お前は頼むからイルニアに似てくれるなよ。やめろよ怖いんだから」

オルゴットは頬を紅く染めてそっぽを向いている。アリシアはその髪をくしゃくしゃにして撫でると、さらに小さくなった。ネリィの小さな笑い声が静かに響く。ネリィに体重を預けられながらも、新聞をめくったネヴィルがちらっと視線を投げた。

「結局のところ、どうだったの」

「どう、とは?」

「相手の両親と顔合わせ。イオもいなかったみたいだし、その様子だとうまくいったみだけど」

「ええ。いい人たちでした」

「・・・ネリィ、いつもの反応が違う」

「私に振られても・・・」

普段ならばここで戸惑ったり躊躇うのが、彼らの知るアリシアだ。眉根を寄せた女子三人が身を寄せ合った。

「大人の余裕というやつ?・・・そういえばいつもと雰囲気が違うし。やっぱりイルニアの言う通り、この数日間の間で何かがあったに違いないわ」

「わたくしとしては、ない方がおかしいと思いますけれど・・・大体ルーカス先生は仕事はともかく、獲物を前にして黙ってるほどお人よしじゃないでしょうし・・・」

「あ。それは同感。どうしよう、私すっごく気になるなぁ。聞く?聞いちゃう?」

「そこの女子三人。あなたがた内緒話する気があるんですかっ」

「ありません」

「もちろんございません」

「ですから何があったのか教えてもらえると、とっても嬉しいです」

最後にネリィが締めると、アリシアの頬が痙攣した。
恋愛話になると少女達は非常にやっかいである。「こいつら絶対、将来は口うるさいおばさんになるぜ」とハーウェイがネヴィルに囁いていた。

「あら。先生、首元についていらっしゃいますよ」

「え?何がですか」

「なにって・・・」

「・・・・・・・・・。嘘っ!?」

と、叫んだ直後、左右からジーンとネリィがアリシアを押さえ込む。

「かかったわね先生!」

「な!?」

「イルニア!私たちが押さえてる間に!」

「早く!」

「お任せあれ!」

「やめなさ・・・あなたたちなにするんですかー!?」

悲鳴をよそに、男子は揃ってこそこそとすみに移動した。体育座りのハーウェイが部屋に響く重低音を背景に、ひざに顎を乗せる。

「・・・なんかなー。・・・なんでだろうなー。なーネヴィル、ヨアヒム、オルゴーット」

「同じこと考えてた」

「面白そうだから付き合います」

「伸ばさないで名前はちゃんと呼んでください。それと考えてることはわかりますけど、後がこわいから嫌だ」

言わなくとも、意思は疎通しているらしい。全員の声を代表するようにハーウェイが代弁した。

「ここんとこ、おっさんだけいい思いしてるよな?」

「僕らって片思い多いですからね。特に先輩二人とか、先輩二人とか」

「そして後輩の一名はさっき失恋」

「違います!」

「わざとらしく強調するんじゃねえやい。俺らだって好きでそうなわけじゃねえよ。・・・ところでヨアヒム。本当にその余計な追加の仕方とか、イルニアに似てきて怖いからやめろって」

「なんのことだろう。オル、僕はなにかしたかな」

「お前のそーゆーところがこわい」

「・・・ともあれ。全員の意見は合ったな」

ハーウェイの問いに、「了解」「はい」「・・・え?」と、三者三様の返答が揃った。オルゴットを抱え込むと、全員が立ち上がった。

「なんか腹が立つから、おっさんいじめてこようぜ。今なら総長に頼めば加えさせてくれるはず」

「ハーウェイ、反撃されないようにね」

「任せろ!」

「僕は見物してます」

「離せぇ!嫌だ、いっつも反撃されてハーウェイ先輩は失敗してるじゃないか!」

「大丈夫だ、今回はきっといけるって!」

「その根拠のない自信はどこからくるんですか!?」

「行くぜ野郎共!今日はオルゴットの恋心を抉った仇だ!」

「「おー」」

「止めてください!それに傷を抉ってるのは先輩たちだぁ!」

興奮のためか、オルゴットの額や首にじっとり汗が浮かびだす。
にしし、と奇妙な笑い声でハーウェイは口火を切った。アリシアと、オルゴットの叫び声があたりに木霊する。

「・・・ああ、なんか・・・・・・平和ねえ・・・」

いつの間にか猫は去っている。ぽつんと取り残されたジラがため息を吐いた。



*******



深いため息を吐いたルーカスが総長から解放されたのは、夕日も落ちかけた夕暮れである。

朝から呼び出され、長時間に及ぶ説教、また途中ではアリシアがもっと言ってくれと煽ったために、地面に座らされ、女性の扱い方や働くものとしての心構えといったものを懇々と聞く羽目になった。
ようやく終わったと思えば生徒達が乱入し、反論しにくい状況を良いことに言いたい放題である。
結局、今日も授業には参加しなかったので叱られるために出勤したようなものである。

廊下では誰ともすれ違わなかった。
のまず食わずで丸一日、げっそりとやつれたルーカスが職員室の扉を開ける。

「遅かったですね」

当然のように待っていたアリシアが振り返った。夕陽に照らされた面差しが、ルーカスを面食らわせる。中にいたのは彼女一人だった。

「待ってたのか?」

「ええ。いけませんでした?」

「いけないってことはないけど。・・・先に帰ったと思ってた」

「・・・まあ、総長に言って長引かせたのは私ですし、反省もしてませんけど。話したかったこともあるし、お腹すいてるでしょう」

手品のような手つきで飲み物とチーズや肉を挟んだパンを用意する。
食事が喉を通ると、今度こそ肩の力を抜いた。

「ありがとう、助かった」

「どういたしまして」

「それで、話したかったことってなんだ」

わずかに躊躇ったようだが、アリシアは顔を近づけた。息のかかるような距離、互いの目を見つめあった。
先ほどからアリシアはあまり表情を動かさない。淡々としている上、落ち着いていてなにを考えているのかまるで読めなかった。

「港からの帰り道、あなたもアレに会いましたね」

いつも通り、回りくどい表現など使わずに聞いた。
不測の事態に動揺したが、

「なんで?」

しまったと思った。これではそうですと答えているようなものだ。

「なんでだと思いますか」

じっと見つめてくる赤銅色に最後は事実を認め、頷いた。

「会ったよ。といっても姿は見ていない。声だけだ」

「どんな会話を?」

「それは秘密だ。ただ彼の"誘い"には乗っていない。・・・あー・・・なんだ。確かにヤツは色々と言ってきたが・・・それで俺の気持ちが揺らいだって疑ってる?」

「・・・いいえ。あなたは私を愛している。私もあなたを愛していることに変わりはありません。会話の内容も知りたいわけじゃない。ただ確認をとっておきたかった。・・・それだけです」

己の気持ちを認める率直な言葉にルーカスは目を丸めた。

「・・・随分と素直だな。いつもなら口にするのを恥ずかしがるのに」

「そうじゃないときだってあります。そう、それじゃ・・・あなたの結婚の誘いを受けます」

唐突のことに、今度こそ言葉を失った。真剣な話題の最中、まさか今、それを返されるとは想像できなかったのである。

「嬉しい返事だが・・・随分とまた突然だったな」

「本当は聞きたいことはたくさんありますけど、あなたはなんだって私を肯定するんでしょうから省きました。・・・ご不満でした?」

「いいや」

背中に腕を回すと、指を取った。指先に口付けると改めてアリシアを見下ろす。

「最悪な気分の一日だが、たった今最高の一日になった。地獄から天に上ってこれたよ。俺は最高の幸せ者だ」

「大げさね」

「本当のことさ」

ようやくアリシアにいつもの微笑が戻った。美しく、暖かい、輝かんばかりの笑顔の花だ。これが自然の、彼女の笑顔だった。
ルーカスはこれが欲しかった。そして、手に入れたのである。二度と悲しみに潰させるものかと力を込めた。

「これから長い間、よろしく頼む」

「こちらこそ」

二つの影が重なり合う。

初めて出会ったとき以来、ずっと瞳に侵されていた闇がほんの少し払われたのを、ルーカスは確かに見た。




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