その翌日はまったくもって平和だった。

いつも通り毎週の日課と走りこみ、鍛錬をこなして図書館で勉強をして過ごしたのである。

多少変化が訪れたのは週あけの学校の日からさらに数日後であった。

「アリィちゃん。ねえ、アナタどうやってあの堅物落としたの?」

朝からこれだった。

「なんのことですか」

「えーだって…あ、そういうことか。ううん、なんでもないのよ。そうだ!今日はアタシも一緒に執行部まで行くわね。ね!決まり!」

何のことだか疑問は尽きないがそれ以上は何も喋らず。こんな朝の出来事を忘れて夕方、執行部室へ入れば、

「・・・・・・」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

「言いたい事があるなら聞きますよ。ジーン」

「なんでもありません」

ずっとこんな調子である。

ジラはにやにやと二人を眺めている。

来たばかりの頃はジーンはややぎこちなかったがごく普通だったのである。

きっかけは先ほどのオルゴットの。

「センセ。その袋なに」

「ロス先生にお渡しするものです」

「あああっ、ジーン、お願いだから教科書をぐしゃぐしゃにしないでっ」

これである。
まったくわけがわからない。私は何かやらかしただろうかとジーンに向き合ったときである。

「遅くなったー」
ルーカスの登場である。実に数日ぶりの出勤だ。

視線はさまよい、目的の人物がいたことを確認するとまっすぐに向かってきた。

瞳を光らせるジラやハーウェイは、なんとなくだがあとで仕返しをしても良いだろう。

「お礼を言ってませんでした。遅れて申し訳ないが、本当にありがとうございました」

真正面に座り、深々と頭を下げたのである。

「あのときも申し上げましたが、保護しただけです。大したことはしていません」

「それでも助かったんです。なにせあのときは本当に大騒ぎで、捜索隊が探しても見つからず大変な事態になっていました」

「はあ」

「あれの両親からも大変世話になったと言付かってます」

「そういえば、怪我の方は」

「二人とも今日には元気に走り回っていましたよ。いずれ手紙でも送ってくると思います」

「それはよかった」

少ししか一緒にいなかったとはいえ気にはなっていた。元気だと聞いて一安心する。

「…あの、お二人とも。話が見えません」

事情を説明してくれと目で訴えるジーンにルーカスが簡単に事情を説明しはじめる。一通り話し終えると、ジラとハーウェイは同時に残念そうになった。

「なんだー。いきなり連絡とってあんなこと聞いてくるから期待したのに」

「お前は役立たずな上に意見もまったく参考にならなかった」

おまけに下世話な勘違いまでしてと物語る冷たい視線に、ネリィがどうどうとたしなめた。

「これは俺からです」

腕に付けている銀のバングルを指でいじって現れたのは長方形少し大きめの箱と、四角い箱だ。長方形のほうは丁寧に綺麗な紙で包まれている。

片方は菓子折りだろうと思われた。

「は?いえ、これは…」

「後々思い出しましたが、俺達は先生の家に土足で上がりこんでいます。その謝罪も含めて受け取っていただきたい」

思わぬ失態を見せた、そんなことを思わせる表情だ。

しばらく渋ってはいたが、どうしても、という姿勢に折れ、深々とお礼をしたのである。

「二人の靴です。お返ししておきます」

紙袋の中には綺麗になったミアとイオの靴が入っている。

よくよく見てみれば片方はドネヴィアで有名な靴屋の品であったり、片方は丁寧な金糸と銀糸の刺繍(ししゅう)が入っていたりで高価なものだと判断したのである。

中身を見たルーカスは礼を述べるとそれをしまいこんだ。

あとはもらった菓子折りが最近イルニアが気になっているチョコレート店の限定パウンドケーキだと告げ、それならみんなで食べましょうかと中身を空けたのである。

薄くスライスされて包装されていたケーキは実にほどよい甘さと苦さで午後のおやつにはぴったりであった。甘党であったのかネヴィルはぱくぱくと口に運んでいく。

味に感心しているとルーカスが実に楽しげに話し始めた。

「あの子らから聞きましたよ。実に見事に悪党をやっつけられたそうで」

これには執行部メンバーが食いついた。

「襲い掛かろうとした悪党をちぎってはなげちぎってはなげ、それはもうすごい活躍だったと」

「二人だけです」

「では本当にのされたんですか」

頭を抱えたくなった。

この部分だけは子供らに黙っててくれと頼むべきであった。

あまりこういうことは知られたくない。

「偶然です」

仕方ないからこれで済ます。済まされなくてもそうした。

もう片方の箱に興味を示したのはネリィだ。

ジーンが先生の相談に乗って選んだ品物なんです、とこっそり教えてくれた。

包装を剥がすと現れたのは丁寧な細工が施された木箱だ。蓋をあけるとゆっくりとしたメロディが流れだす。

一瞬、その懐かしい旋律に心突かれそうになり。

蓋を閉じた。

「センセ?」

不思議そうにオルゴットがアリシアを見上げる。

「・・・はい?」

「ん、中。何か入ってた」

「あ。ほんとですね」

今度はなんでもない風で再び蓋を持ち上げる。

「リボン、と…腕輪…ですわねえ」

真横から覗き込んでいるイルニアがひょい、と手に取った。

「あら、随分丁寧な」

「リボンは私が選んだものですけど…」

「ああ、片方は俺が自分で」

光沢のある真っ黒な細長いリボンは両端に銀細工が施してある。重くなりすぎないよう、しかし丁寧な模様で細かな細工が入っているのだ。小さく埋め込まれているのはダイヤモンド。それより少し大きめにカットされて埋め込まれているのはルビー。

控えめ、とはいえじっくり見ればきらきらと光って輝いている。

「ジーンは趣味がいいですね」

誉めた相手は、まんざらでもなさそうな照れ笑いだったのだが、こんな高価なものもらってもいいのかと心配になる。

「素敵。早速つけましょう」

「ちょ」

言うが早いか、イルニアはヨアヒムを近くに呼び寄せ髪をいじりはじめたのである。

腕輪はというとこちらは小さな玉の中に不思議な紋様や星が刻まれている。それを中心に幾重にも面白い形の細かな鎖が交差し、混じり合っている。

どちらかというとラフな格好のときに付けそうなデザインだ。

もらうとしたらこちらのほうが貰いやすかったかもしれない――。

そう思っているとオルゴットが護符だと教えてくれた。

馬車ぐらいなら跳ね飛ばせるんじゃない?とのことだ。

やはり、返したほうがと思ったときに後ろから声がかかる。

「完成です。ふふふふふ。先生可愛いですよ?」

「イルニア、はやいですっ」

手鏡と両手持ち鏡を使って頭の後ろを見せてもらうと。
「器用ですね」
両サイドの髪を少量後ろに回したような感じではあるのだが。後ろの方がなんとも複雑に(しかし綺麗に)リボンと絡み合っている。

ひとまずわかったことは、確実に一人でこれをするのは無理だろう。

「けっこう遊びがいがあったものですからつい」

「そうですね。先輩」

悪びれた様子もなくにこにこと言い。

「これは・・・あら」

「あ」

ぱき。

「ごめんあそばせ」
最近分かったが、イルニアは笑顔のままこういうことを平然と行う。しかも反省のカケラもないので実に性質が悪い。

「せっかくですから今日はそのままでお帰りになってください。ああ、そう!お詫びにわたくし、これから先生の髪をセットして差し上げます!」

後ろも見ず髪留めを後ろに投げる。見事それはゴミ箱のなかに入った。

「イルニア」

「なんですの?ハーウェイ」

「お前その癖・・・なんでもない。なんでもないからその目をやめろ」

「ネリィ」

助けを求める声に、生徒会の良心は首を振った。

「諦めてください先生。ああいう風になったイルニアは本当に無理なんです。大好きなんです」

数日前からイルニアが新しく入った顧問のことを気に入っていたのは誰もが気付いてる。

もちろん、ネリィも好感を持った。実際に長く喋ってみると初めの印象とはまったく違う。

(実は意地っ張りなのかな)

こうする!と決めると他の人よりも強く、かたくなに実践しようと試みているようにネリィには見えるのだ。

そこまでかたくなにやろうとしてるのに、自身と理屈を抜いた感情とが混ざり合って、うまく実行ができない。そういう人をイルニアは好む傾向がある。

その趣味はよくわからない。
が、こうしてみるとかわいいなあ、と年下ながら思ってしまうのだ。

ハーウェイが慌てたのもよくわかる。

そして性格も、まさにからかいやすそうな人である。
だからこそ近いうちに全体のイメージに関して口を出してくるだろうと思っていたのだ。

「せんせい、がんばれー」


かつての犠牲者は新たな犠牲者に小さなエールを送った。





******************



深夜。男が暗闇を歩いている。

一歩踏み出すごとに鼻歌が軽快なリズムをはじき出す。

それは、すでに忘れられた国の、忘れられた葬送曲だったのかもしれないとふと思い出した。まあ、気に入っているからなんだっていい。どうせすぐ忘れる。

その手には一振り。抜き身の刀。
細身で反りが浅く。刀身は月夜を浴びて危うい輝きを放つ。


哀しいが故に止められないのか。
嬉しいから止められないのか。


男はもう考えるのをやめていたので、問題なかった。
ただ、思うままに腕を振るだけだった。


血の匂いは幸福で幸せで胸がいっぱいになって泣きたくなる。
こういう晩は、決まって思い出す。

「ありゃ?」

いつからおかしくなったんだっけ?

小さなとげが胸に刺さった気がしたが、それもほんのわずかのこと。

「まァ、いいか」

やっぱり思い出せはしないので、大きく笑って、微かな記憶は破綻した。

鼻歌は続く。
助けてくれ、助けてくれ。
そんな懇願が続いても、小さなハミングは、ずうっと、途切れなかった。





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