月のない夜、それでも船の上はいつも以上ににぎやかだった。 甲板の上では松明を惜しげもなく燃やし、わざわざ下から運ばれてきたテーブルには色とりどりの料理がある。巨大な魚の丸焼きに、木の実のパン、スープや酒の入った杯と、あちこちで喧騒と笑い声があがっている。 昼間の大砲の爪あとはあちこちに残っているが、そのほとんどは闇にまぎれている。 何度目か知れない乾杯を交わす人々の中に、アリシアも混じっていた。ルーカスやイオも近くに座り、それぞれくつろぎながらひと時を過ごしている。 海賊との戦いだがやはりというか、勝利したのはアルブレヒトだった。 鉛玉の被害を船体にこうむったものの、素早い働きで頭であるダンや大砲を押さえ海賊一味はお縄につくことになった。 縛られてなければ地団駄を踏みそうなダンは、奪われていくお宝に真っ赤な顔で唸り声を上げていた。アルブレヒトは命を奪わないのだから感謝しろと高笑いしていたが、コイン一つに至るまで搾り取る強欲ぶりは、傷を負わされたアリシアでさえも同情したぐらいだった。 一方で、アリシアたちを引き上げてくれたクルトはひたすら兄の恋人に謝り、感謝した。 「下手をしたら兄貴の攻撃で気を失ったまま、やられたなんていう間抜けた最期だったかもしれねえ。本当にありがとう」 青い顔で長兄をにらんでいたが、肝心の樽をぶん投げたアルナルは「避けないほうが悪い」と何食わぬ顔である。その後、話を聞いたマリアにフライパンで叩かれていた姿は忘れないだろう。 しかしクルトが一番驚いていたのは、アリシアが海に落下して無事だったことらしい。 彼の目には、大砲が飛んできた瞬間はほとんど直撃に見えたらしく、「これは死んだな」と思ったのだそうだ。 その後「ルーカスに殺される前にどうやって逃げるかを即座に考えた」という。 「やられる前にやるためにロープを切ろうと思ったら二人して登ってきてた」とは、普通なら激昂されてもおかしくないのだが、クルトの態度があまりにあけすけだったので、逆にアリシアと年齢の近いこの末弟は、今までいったいどんな目に合わされてきたのかと聞き返してしまいそうになった。 で、殺されかけたルーカスだが、こちらは「お前程度には無理だ」と明らかに小ばかにした笑いで怒りもしなかった。 ウェインはささいな喧嘩だよ、と言っていたがこれが「些細な」というのならば、今頃世の一般家庭の喧嘩は血で彩られているはずである。 常識とはなんなのかと問いたくなったが、聞くだけ無駄な気がして今に収まっていた。 ウェインは離れたところでコインの枚数を数えていた。彼が一番海賊を倒していたそうだ。 そういえば弓を撃った射手を倒したのも彼だった気がする。 「アリシア嬢、あげよう」 と、いったいどれほどの価値があるかも知れない赤い宝石をアリシアにくれたのも彼だ。 宝石商が見れば目を丸くするに違いない、手のひらほどの大きさもある宝石だった。 「アリシア嬢が奴らをひきつけててくれたから楽だった。せっかくだし将来の足しにするといい」 「俺もお礼をしないとな」 クルトは自室に戻って、上等な絹と繻子の反物をくれた。見たことない柄の細かな意匠が施されていたが、滑らかなさわり心地から上物だということは一目でわかった。ありがたく礼を言うと、照れくさそうな微笑が他の兄弟にはない素直さなのだと思った。 「ん」 「ちょ・・・そんなに飲めませんよ。それに蒸留酒はいやです、きついじゃないですか」 「ザルのくせに」 「味は別ですもん。どうせだったらワインください」 そういいながら、一応注がれたものは胃に流して平然としている。度を越した酒豪振りを発揮しているのだから大の男達も目を丸くせざるを得ない。 イオは料理に夢中だった。あれもこれもと手を伸ばしては、怖気づくこともなく兄弟たちに話しかける。中でも意外だったのはアルナルに懐いたことだ。 アルナルも満更でもないらしく、肩車をしてやったりと一見巨人と小人というおかしな組み合わせだった。 一通り食事が終わると、誰かが笛を吹き始めた。 次いで、若い女の傭兵が中央に立ち歌い始める。合わせるように笛の音がまた一つ、二つと増え、リズムに合わせて手拍子を取る。 歌手のように惚れ惚れする様な美しさではない。けれど、確かに聞き入ってしまうような不思議で素朴な魅力がある。しっとりとした闇がもたらした福音のように感じられて、アリシアを捕らえて離さなかった。 ゆっくりとした曲調から、今度は皆がはやし立てる音楽へ。 自然心が高揚し、場が騒がしくなる。 アリシアをちらりと見たルーカスが、わずかに口元を持ち上げた。 「うおおお!腕試しだぁ!」 したたかに酔ったアルナルが立ち上がった。 「勝負だ!将来の義妹!!!」 「?」 「剣を持て!俺は決して負けない!この背負うものがある限り、何者にも負けはしないのだ!」 「アルナルさん?いったい何を仰って・・・」 「逃げは認めん!お前の腕前はすでに見させてもらっているっ。ここでやらねば、「ルーカスの嫁のほうが強い」などと妙な噂が流れるではないか!」 「な、流れませんよ?」 「僕が流す」 小声で答えたのはウェインだった。んなっ、と声を詰まらせたアリシアにマリアも追い討ちをかけた。 「あたしも見たいねえ。大活躍だったんだろう?ぜひとも見せておくれよ、あの子だったらのしちまってかまわないよ。しばらく大人しくなってくれれば大助かりさ」 「ほい。食後の運動程度で軽く流して来い」 「お姉ちゃん、がんばれ!」 そういって紅を渡されてしまった上に、すでに円を描くように人が退いて場所が作られている。 アルナルは船を揺るがすような声で笑いを立てている。中央に立つと一泊おいて、拍手と歓声が爆発した。 「腕比べはかまいません、けれど鞘は抜きませんよ」 「ぬ」 「抜かせたかったら、本気にさせてください」 どうあっても引かなさそうだ。言い募ろうとしたアルナルに挑発する形になったが、鞘を抜きたくなかったアリシアの目論見は成功した。 体力自慢のこの長兄は挑戦だと受け取ったらしく、自身の太い腕よりもある、ぎざぎざのついた金棒を肩に乗せた。 面白いことにこの長兄殿―アリシアのことが、どこかおかしいと気づいているらしい。 酔ったというのはフリだった。頑強な岩の顔面に小さく埋もれた瞳は断然たる興味と、強い意志に溢れている。 まあ、今日はお祭りだ。ほんの少しぐらい羽目をはずしたっていい。 * 「・・・いい女だろ?」 ルーカスはそう結論付けた。 向かいで肉を食べる父に向かってルーカスはにこやかに、自慢げに笑った。 ほとんどの人間はアルナルと、アリシアの試合に集中している。 同じ体重ほどはある金棒を刀で受けても、どんな怪力かアリシアは一歩も揺るがない。 それどころか剣も曲がらない。押し返すほどの余裕だった。 「ありゃあ見本にはならねえなあ・・・」 末弟と一緒になって試合に集中しているオレストがぼやいた。クルトも同意して頷く。 長兄に対する戦術として有効かもしれないと見ていた彼らだが、そもそも基礎が違うとすぐさま気づいた。 「避けるって思考がないのか、それとも避ける必要もねえってか。アルナル兄は俺の中じゃ一番強い男だったんだがなー・・・どっちにしろ、ありゃ滅茶苦茶だ。クルト、真似すんなよ」 「しねえよ。あんな戦い方じゃ死ぬ」 そんな弟達の会話を尻目に、ルーカスは笑った。イオは言わずもがな、ジラと共に観戦に回っている。 話に集中しているのはアルブレヒトとマリア、それにウェインぐらいのものだ。次兄のイケルは無口な男なので口をはさまない。 「悪くねえな」 同意したのはアルブレヒトだった。同時にルーカスが眉を潜める。 否定するなり、のろけるルーカスに皮肉を言うなりするかと思ったのだが、これには不可解を示した。そんな息子に父親は「阿呆」と言った。 「心配するな。手前の女だろうが」 「前科があるくせによく言う」 「安心おしルーカス。この人はあの子に手を出したりしないよ」 夫の前科を嫌というほど思い知らされているマリアが動揺するわけでもなく、息子を諭す。ルーカスのいない間に夫婦の間に何があったかは知らないが、それにしても泰然とした態度は謎だった。 「それにそんなことしようとしたら、お守りのほうが黙ってないんじゃないかねえ」 「そうだった。あれ親父のだろ。害はないのか」 アリシアが何気に喜んでいたので言わなかったものの、ルーカスも父親の「お守り」については嫌というほど知らされている。 なにせ「お守り」を忘れていったので届けようとした次兄が数分後、ありえない場所で暴走馬車に轢かれそうになっていたり、盗みを働いた盗人は不慮の死を遂げていたり、それでもアルブレヒトの元に戻ってきた代物である。 「手前までマリアと同じ事を言うな。良いんだよ、なんも起こってねえのはお前がいっちばん知ってるだろうが。嬢ちゃんが持ってる分にゃ問題ねえよ」 「なんでそんなことがわかる」 「・・・手前にはわかんねえよ」 そういったアルブレヒトの表情が、わずかに苦々しそうだったのは気のせいではないだろう。 問いただそうとしたところで、マリアが飲み物のお代わりを聞いてきた。 「あー・・・なあ、おい、息子」 「なんだよ」 「幸せにしろよ。イオだけじゃなくてだな・・・アリシアの嬢ちゃんもだ」 「?・・・当然だろう」 「そうか。ならいい」 歓声が高まった。どうやら決着がついたらしい。 みなの視線がそちらに向いた。 アルブレヒトの瞳だけが、テーブルに落ちたままだった。 ふと、ルーカスが振り返って父を見た。 何年ぶりかに会った父親。随分肩が小さくなっていた。 もしかしたら、と憶測に過ぎない考えが一瞬だけ脳裏をよぎった。 アルブレヒトは何か知っているのかもしれない。呪いの事だろうか、それとも―マリアに一度だけ聞いたことがある。かけがえのない友の形見だと言っていた、あの、決して誰にも譲ろうとしなかった宝石のことだろうか―。 そういえば、その友人はルーカスが魔法を師事するきっかけになった一言を贈ったのだと、埒も明かないことを思い出した。 吹き抜けた風は弱々しく感じられた。 ルーカスは小さく首を振ると、彼女を出迎えるために席を立った。 |