うわぁぁぁぁぁ!?という悲鳴を上げて、男がまた一人投げとばれた。 「はい、こっちですよ。お相手は順番を守ってください。お帰りはあちら、どうぞお気をつけて」 歌うように上機嫌なのはアリシアだ。 甲板をダンスのようにステップしながら身軽に動き移動する。潮風に赤銅色の髪がうねり、スカートは強い風にさらされ時折たなびく。 「絵に描いたみたいな構図ね」 上板で高みの見物を決め込んでいたジラが、柵に肘を乗せながら呟いた。 彼女に向かって飛んできた弓は傍にいたナイルズが叩き落す。呆れたように同意したのはルーカスの弟オレストだった。 「なんだあの嫁さん、めっちゃ強え。すげえ力。大の男、片手で投げやがった」 「言ったでしょ〜。アリィちゃんは強いわよって。・・・アタシも間近にしたの初めてだけどさ」 「おお、すげえすげえ。あれならおめえとタメ張るんじゃねえか?どうだアルナル」 「親父・・・。・・・・・・そんなわけねえだろ。俺の方が絶対強い」 「そっちかよ」 「イケル・・・。こればっかりは譲れるわけねえだろうが!ふん、見ていろ!俺も降りるぞ!」 「やめろ馬鹿。金棒船で振り回すつもりか」 「イケル兄、ほっとけほっとけ。いいじゃねえか、おれらは楽しようぜ」 いい年をしてはしゃぐ父親に、息子は困った様子を隠さなかった。 事の発端は、よりによってまたもやアルナルの弟ルーカスの発言である。 デートさながらの気安さでアリシアを誘ったルーカスは、兄達の制止もさらりと無視して笑顔でアリシアに言った。 「とりあえず中央で暴れてくれ。奴ら引き付けてくれ」 「ルーカスは?」 「ちょっとした仕掛けをな。じゃ、頼んだ」 とまあ、同性が腹を立てそうな爽やかな笑みで颯爽と去ってしまったわけである。 傭兵達にならともかく、よりによって相手は弟の大事な女ではなかったか。頼む相手が間違っているぞと思ったものだが、これが彼にも予想できない展開を生んだ。 異国の剣を携えたアリシアは、あっというまに接船を終え、板を渡して乗り込んできたダン海賊一味をのしはじめたのである。 しかも鞘を抜かずに、である。 細身だが刀身は長く女の腕でバランスを取るには難しい剣に思えたが、これが腕が震えることもない。足がふらつくこともなく、体の比重もしなやかにとれている。 これはおかしいとアルナルは目を疑った。 少なくともあの長さの剣を振るうには相応の筋肉が必要で、だとすればあの外見ではとてもではないが扱いきれるようには見えない。 もしくは筋力がついていたとしても、今度はあの柳のような身のこなしは、とてもではないができない。もっと動きが硬くなるはずだ。 動きもそうだが、今度は鞘に巻きついた装飾が異様に目立った。 これに目をつけた男共が殺到するが、これこそ力任せで刀身を振るとぼたぼたと投げ飛ばされる。俺は喜劇でも観に来たのだろうかと首を傾げたが、どうやら現実らしかった。 弟はこれも予見して言ったらしい。彼女に引き付けてくれとった意味がようやくわかった。 つまり、アリシアの周りだけが異常に浮いていたのである。 当のアリシアは、笑顔さえ浮かべる余裕で海賊を一人、また一人とあしらっていた。 腕は軽い。今日のアリシアは戦いを純粋に楽しんでいたのだ。 もっとも、加減はつけられるように鞘は抜いていない。紐で鞘と自分の手を結びつけて簡単に抜けないようにしている。 それに力任せに腕を振るってしまえばプティングのように鞘は彼らにめり込む。割れ物を扱う慎重さで体を動かしていた。 そんなことを知らない海賊は、そろそろアリシアがただの女ではなく危険な人物だと悟り始めたらしい。複数人で同時に襲いだしたが、最後の一人の胸倉を掴んで易々と持ち上げると、口を開かせる暇ななく向こう側へと投げた。 さながらモノの扱いである。人が子供遊びのボールのように飛んでいく様というのは、なかなか観られる光景ではない。 向こうの船では、音を立てて海賊が落下した。動いているので、死んではいないだろう。 「ん〜・・・」 船の上は騒がしい。押し寄せる海賊と、迎え撃ち向こうの船に乗り込もうとする傭兵達。 観光客でもいたのなら恐ろしさに戦慄いただろうが、そんな欠片も見せることなくアリシアは周囲を見渡した。 アリシアも向こうの船に渡ってもいいが、ルーカスの言っていた役割はそろそろ果たした気がする。徐々にではあるが形勢は逆転しそうだし、となると今度は何をするべきか。 そこでアリシアの視界に写ったのは、兄弟の末弟クルトである。 彼もまた下で海賊を迎えっていた。流石といおうか、冷静な立ち回りで苦戦している味方を助けていたのだが、 「吹っっっっ飛べやおんどれらあああぁぁ!!」 大音轟と同時に、味方側から飛んできた樽に海賊もろとも吹っ飛ばされた。 投げたのは金棒を諦めた代わりに豪腕を振るっているアルナルである。 ころころと板の上を転がると、クルトは動かなくなった。 まさかの兄の攻撃からの轟沈に言葉を失くしたものの、急ぎかけ寄りクルトの身を起こす。意識はあるようだった。 「大丈夫ですか!?」 「いっっ・・・!あの馬鹿・・・お、おれもふっとばした・・・」 「動かないで、脳震盪を起こしてます」 どうやらアルナルが投げたのが見えていたらしい。意識はあるものの、体がうまく動かないクルトを陰に移動させていると、クルトがはっと目を見開いた。 「横!」 とっさに体を庇おうとした左腕を弓がつらぬいた。 理解と同時に痛みが体を伝い、苦悶の表情を作らせた。普通であれば痛みにのた打ち回るところだが、アリシアの眼球は射手へと向かっている。第二射のやじりがアリシアへ向けられていた。 「危ないですよ」 出たのは、危機感も感じられない暢気な声だった。トン、とクルトの背中を押すと彼は前のめりに倒れる。 さっきまで二人が立っていた場所を弓矢が通過した。あぶなかったと安堵に胸をなでおろす。矢を放った射手は誰かに倒されていた。 左腕に刺さった弓を困ったと見下ろしている。その実、困ったどころではないはずなのだが、まるで痛覚が欠けているような動作だった。 次の瞬間、アリシアの視界は空に向けられていた。澄み渡る大空に、白い綿雲がくっきりと色をつけている。さんさんと降り注ぐ太陽光のもと、アリシアは浮いていた。 あれ?と首をかしげるも、どこかで大砲だ、と誰かが叫んだのを聞いた。 木の破片が視界の中で踊っている。胃がひっくり返るような奇妙な感覚のあと、下を見下ろしたアリシアは、 「・・・泳げたっけ」 冷静な呟きの後に海に落下した。 「げほっ」 海面から顔を出したアリシアは、あたりに浮いていた木の板に捕まった。 泳いだことはないのだが、どうやら泳ぎ方は体が知っているらしく海面に出ることができた。呪いの恩恵に感謝しながら塩水を含んだ咳をする。 上を見上げると、船と船を繋ぐ板が見えた。 どうやら船の間に落下したらしい。大きな船なので海面から相当距離があるが、喧騒が下にまで耳に届いている。続いてあたりを震わせた大きな音は、大砲だろう。おそらくアリシアの間近に鉛球が落ちて、その衝撃で板もろとも吹っ飛んだらしい。 それでも紅を手放さず、こうしてまだ持っているのだから凄いといえば凄いだろう。 しばらく待てば助けてもらえるだろうが、それとは別の焦りが生まれた。 アリシア自身は泳いだ経験がないとはいえ、体が自然に泳ぎ方を知っているのでそこは問題ない。 だが左手は負傷、右手は紅を持ちながら板に掴まっている。 おまけに海水の中ではいくら運動神経が優れていても、まとわりつく服のおかげでうまく泳げないのだ。そして傷口に海水がしみて、かなり痛む。 先ほどは我慢できたが、いくらなんでも痛覚がなくなってるわけではない。かといって今抜けば、治るかもしれないが出血するだけだし、なにより今の状態で浮けるかは自信がなかった。 「うう・・・いたいなぁ」 甲板にいたときは心が弾み陽気になっていたが、今度は傷の痛みと体の重さから陽気がどんどん沈みだす。意外と海水は冷たかった。 「海水ってこんなにしょっぱいのね」 板に頬をつけようとしたら、波を被ってまたも咳き込むはめになった。そのとき、後ろからにゅっと伸びた腕がアリシアの肩を抱き込んだ。 「うひゃあ!?」 「はいはい、どうどう」 驚いて振り払おうとした腕をやんわりと押さえたのはルーカスだ。 アリシアと同じく海面に浮いていてびしょぬれである。違うのは、上半身裸だということだろう。 「どうしてここに」 「それは俺の台詞。どうしてこんなところにいるんだ。それに腕はどうした?」 「これは怪我をして上から落ちたんです。それで助けを待ってたんですけど・・・」 アリシアと違いルーカスは泳ぎが達者らしい。水の抵抗が少ないように薄着にしているというのもあるが、それにしても波があるなか平然といていられるのは羨ましい。 「早く抜かないとな。俺の役目も終わったし上にあがろう」 「役目って、ここでなにしてたんで・・・」 「おっと」 ひときわ高い波がきて、板ごとアリシアが飲まれそうになるのをルーカスが支えた。溺れたくないと必死に抱きつく。アリシアの腰に手を回すと、空に向かって右手を上げた。 「ま、それはあとで話す」 指を動かすと、上からロープが落ちてくる。手際の良さから、あらかじめ仕込んでいたらしかった。となると、やはりルーカスは海に用事があったらしい。 「背中につかまれ。一緒に持ち上げていく」 「でも私、登れますから」 登るには相当力が要るだろう。痛くはあるがやれ、と言われればこの傷でも登るのは不可能ではない。いたずらに時間をかけるより早く登ってしまったほうが良いのだが、ルーカスは呆れてこう言った。 「なんだ、太ったのか?」 「太ってません!!」 「じゃあいいだろ。お前一人くらいならすぐに着けるよ。それに焦らなきゃならない場面でもないんでね」 海賊が襲来したのは焦るべき事柄ではないらしい。 では・・・と後ろに乗るような形になる。左腕は刺さったままの矢を動かさぬよう慎重に動かした。こういうとき、唯人の体でなくて良かったと思う。 普通ならば痛みで身動きできないところだ。 「痛いだろ。待ってろ、すぐに治療するから」 船の船体に足をかけて、登り始めた。木の船体によくロープだけで登れるものだと感心したが、抱きついていると感じる、意外に肉体についている筋肉に納得した。 やがて懸命に手足を動かすルーカスの耳元で、囁く。 「ルーカス、腕が痛い」 「わかってる」 「けど今は少し、嬉しい」 「?」 「あなたが私を心配してくれるからかしら。それともこんな風に人扱いされることに慣れてないからかしら。・・・わからないけれど、嬉しいみたい」 「・・・そんなことで喜んでたらこれから先、俺といるだけで心臓が止まるぞ」 「そうね。・・・慣れたつもりなんだけど」 「っと!アリシア、急に力を込めるな、苦しい!バランスが・・・!」 「うん」 「甘えるなら上でしてくれ!思う存分応えられるから!!」 「やだ。両手が塞がってないと、あなたいやらしいこともしようとするでしょうから」 「少しぐらいはいいじゃないかっ、男なんだから仕方ない!」 「それは屁理屈。戻るまではだめですよ」 騒ぐだけの余裕があるということは、ルーカスはまだ大丈夫だろう。薄く微笑を作っていたアリシアが船を見上げると、クルトが二人に向かって叫んでいた。 |