「あら。あなたあの人からそれを受け取ったの?」

夜闇に溶け込むような鈴の音色がアリシアの耳に届いた。
陶磁器のよな白い肌に緩いくせのついた美しい黒髪をもった妖艶艶麗の、どこか人間離れをした雰囲気を漂わせる美女が、いつの間にか立っていたのである。

綺麗だとか可愛いだとかいう人物は比較的ドネヴィアに多いから見慣れているとはいえ、この美女の登場には驚くよりも先にアリシアもぼうっと見惚れた。

美女はこまったように微笑んだ。こういった反応は慣れているらしい。

「わたしはアナスタシアというの。あなたがいま、みんなが噂しているアリシアさん?」

その名前には覚えがあった。ウェインがイオを驚かすために話していた女性の名である。
しかしその落ちは好ましいものではない。頬を引きつらせたアリシアを見て、ころころと笑い出す。その動作ひとつすら、いちいち優雅に見えるのはアナスタシアの成せる技なのだろう。

「もしかして、またウェインがおかしなことを言っていたのね。ああ、まって。当ててみせるわ。・・・そう、きっと、わたしが死んだとか化けて出てきたとか言ったのね」

「はい、その通りです・・・」

「本当、ウェインはそういうのが大好きね。こまった人だわ」

そういう割に、表情はちっともこまっていない。それどころか頬は血色ばんで瞳を緩める。
音もない軽やかな動作でアナスタシアはアリシアに近寄った。ふんわりとした白檀の香りが鼻腔をくすぐると、同性なのに不思議とどきどきしてしまう。

「ウェインの弟が選んだ人なのに、随分可愛らしい人ね」

くすっと笑むと、アリシアの手中に収まっている宝石を指差した。

「譲られたのね」

「はい、そうなんです。・・・返したいと思うのですけれど」

「それは無理ね」

困り果てるアリシアに、アナスタシアはきっぱりと断言した。

「ウェインのお父様だけあって、あの人はとても頑固なの。あなたに譲ったというのならそれはあなたの物よ。もらっておけば良いわ。・・・幸い、それはあなたにとてもよく馴染んでいるようだし。でも不思議。まるで昔からあなたのものだったようだわ。あの人よりとっても守ろうとする力が大きいのだもの」

でも、と続けて小首をかしげる。

「あまり長続きはしないわね。あなたの内側のもののほうが強い。勝てるわけはなさそうだから、そのうち消えてしまうわね」

ぎょっとアリシアが後ずさる。預言者じみた口調はともかく、まるでアリシアの内包する呪いのことまで見抜いてるようである。アナスタシアは黒髪を横に揺らした。

「わたしはなにもできないわ。ちょっとだけわかるぐらい。突然こんなこと言い出してしまって、怒らせてしまったかしら。ごめんなさい」

「謝っていただくほどじゃ・・・私の方こそ、突然ごめんなさい。怒ったわけじゃないんです。ただびっくりしてしまって」

「そう?じゃあおあいこということで許してね。わたし、嬉しかったの。こんな風に話の合いそうな人と話ができるのは久しぶりだったから」

ほんの少し、アナスタシアは悲しそうに微笑んだ。
闇にほどけてしまいそうな儚い笑みに、不思議とアリシアは心が揺さぶられた。

「もしかしてアナスタシアさんは、ウェインさんと親しいんですか?」

「ええ、そうよ。もうずっと一緒にいる。今回は面白そうだから、船に同行させてもらったの」

なるほどなあとアリシアは頷いた。今日船に乗っている人々を見ただけでも、アナスタシアのような女性というか・・・高貴な雰囲気を思わせる女性と話の合いそうな人はなかなかいないに違いない。

ここまで親しいというのなら、きっとウェインとアナスタシアはかなり深い仲なのだろう。それをまさか怪談話にしてしまうのはどうかしらと内心眉を潜めたが、アナスタシアのまえでは笑顔を作った。

「アナスタシアさん。夜中ですけれど、ご迷惑でなければお話していかれませんか」

「嬉しい。ねえ、それじゃあ貴女や貴女の国のことを聞かせてちょうだい。わたしも自分のことを教えるわ。いっぱいお話しましょう。あとわたしのことはアナスタシアって呼んで。わたしもアリシアって呼ばせてもらうから」

アナスタシアの晴れやかな笑顔は、アリシアの心をくすぐった。思いがけない出会いだが、素敵な夜になりそうだ。その夜は明け方までアナスタシアと語り合ったが、アリシアにとって生涯忘れがたい日となっている。




カンカンカン、と船全体に警鐘の鐘が鳴り響いた。

「おやま」

昼ごはんのポテトサラダを手ずから運んでいたマリアがのんびりとテーブルに皿を置く。
船の食堂は一つとなっており、各々食べる時間はまちまちだったがそこにマリアやアルブレヒトを筆頭としてアリシア、イオ、ジラやウェインが顔を揃えていた。

焼きたての麦パンの最後の一口をかじったウェインが、二枚目に手を伸ばす。のんきな手つきでスモークハムや、卵を砕いてオイルと混ぜたペーストを薄切りにした麦パンに挟むと、もう片方の手で絞りたてのオレンジジュースをもって席を立った。

同じように、食堂からゆっくりと人の姿が消えていく。いまいち状況が把握できないアリシアに、老夫妻は気にするなとつぶやいた。

「この鐘は海賊だよ。まったく仕事熱心だねえ」

「すぐに終わるから、ここにいろ。あ、いや・・・見学していくか?」

「はい?」

海賊もそうだが、アルブレヒトの発言にも目を丸くした。少なくとも社会見学のような軽いノリで使う言葉ではない。いいかもと同意したのはマリアだ。

「海賊退治って、丘じゃ滅多に見れないだろうからねえ。今日は息子も揃ってるし大して騒ぎにはならないよ。イオ、あんたは駄目だよ?」

「え」

「血なまぐさいのを見るのはもうしばらく先だ。・・・さて、俺もいくか。マリア、頼む」

「あいよ。気をつけてねえ、あんた」

「アタシも行こうかしら・・・アリィちゃん、行きましょ」

「えーっ!?お姉ちゃんとジラちゃんだけずるい!わたしもみたい!海賊退治みーたーいー!」

「アナタはもっと大人になってから。駄々こねちゃだめよ」

ごねるイオとにこやかに見送るマリアを後にして、アルブレヒトとジラの後ろをついていく。色々と雰囲気が違っているような気がするのだが、細かいことは口にしない。実のところ、アリシアも海賊というものに興味がある。
果たしてどのような人種なのだろうか。物語で読むようなお決まりの集団なのかなあと、不謹慎ながら胸を弾ませていたのだが、果たしてアリシアの予想は大きく崩れなかった。

一段高い甲板にでると、木でできた柵の下の甲板を見渡すことができる。そこにはすでに幾人も傭兵達が海へと体を向けていた。

アルブレヒトの登場に、先に待っていたアルナルやイケル。やや小太りの男性がさっと中央を譲る。望遠鏡を受け取りレンズ越しに海を確認すると、にやりと口角がつりあがる。

「おうおう。ダンの野郎かよ。あいつまたぞろ懲りずにきやがったな。相変わらず熱心な野郎だ」

「親父・・・。何度も見逃すからこういうことになるんだ。これで何回目だ、イケル」

「4回目だな」

「阿呆言え。あいつは金ためこんじゃあいちいち突っかかってくる最高の馬鹿野郎だぜ。今回も程よく痛めつけて追い払え。こっちは正当防衛だ、気にすることはねえ」

喜びを隠しもしないアルブレヒトに、アルナルが眉を寄せた。彼の怒りを収めるのはウェインたちの役目らしいが、父親を諌めるのは彼の仕事らしい。

アルブレヒトの発言に、面倒くさいと表情を押し隠しもしない小太りの男・・・オレストがジラとアリシアに視線を向けた。

「おりょ。女二人はいいのかい」

「アタシ達はいざとなったら防護はるから気にしないで。アリィちゃんも大丈夫よね」

ジラの同意に頷いた。刀は手にないが、血なまぐさいのも慣れている。

「お前はともかくルーカスの嫁さんは大丈夫か?お前の図太い神経に一緒にするなよジラ」

「まっ。失礼ねえ。アリィちゃんだって大丈夫よ。ってか多分アタシの方が神経細いわよう」

「図太さもそこまでいくと可愛くないねえ。きゃー怖いって抱きついてくれたほうが、わかってても嬉しいってもんだ」

「あんたら相手にしたってちっとも得になりゃしないわよ。そんなわけでアリィちゃん、頼りになるのはアナタだけだから、いざとなったら守ってね」

「おいおいおい」

「馬鹿ねー。この中で言ったらアリィちゃんがいっちばん強いんだから。ルーカスだってアリィちゃんとはサシでやりたくないって言ってたのよ。怖いから!」

「え?そうなの。切り合いできんの?」

「あー・・・はい、ええ、まあ。・・・できないわけじゃないですけどー・・・ルーカス、そんなこと言ってたんですか」

ぎゅっと腕を絡め力強く断言するジラに、なんとも煮え切らない返事を返す。確かにそうかもしれないが、怖いからと言われるのは心外である。加減ぐらいはきちんとつけられるつもりだ。この間のように不慮の事故でもない限りは。

「イケル、ルーカスはなにをやってる。船はまだ直らんのか」

「追い出された」

「馬鹿いえ野郎共!迎え撃つに決まってるだろうが!」

そうこうしている間に船はどんどん近づいてくる、どうやら自然現象は海賊船の味方をしているらしく、追い風であっというまに追いついたのだ。

すでに船の一番目立つところに立っていたけむくじゃらの大男が、「わぁ〜はっは」とオペラ歌手も真っ青の大声で笑い出す。離れているからまだいいが、これが近くで聞いてたら騒音に他ならないだろう。

「アルブレヒト〜〜〜〜ぉ!!きょ〜おこそ〜!てめえと、おれさまの〜!決着をつけるひだぁ〜!!」

「わあ」

アリシアが子供のように手を合わせて瞳を輝かせる。
いかにもなずんぐりむっくりした図体の海賊の親玉の下には質素なズボンに、半そでシャツ。剣の形は曲刀というスタイルを持つ彼らの姿は、憧れた海賊物語に出てきた悪の親玉と一味そのものである。

「すごいすごい。あれが海賊なんですね。アルブレヒトさん、やっぱり海に落としたりするのがお決まりなんですか」

「まあ、そういう場合もあるなあ。大抵は拾い上げられる前に帰っちまうから、海の餌になっちまうけどよ。ダンは馬鹿だからなあ。いちいち全員拾って帰るんだよ」

「馬鹿だけど人望があるってやつですか?ますます理想像ですね」

何気に酷い言葉を吐きながらはしゃぐアリシアに、アルブレヒトは拍子抜けしたようだった。だが、腕を組み首を捻ってしばし考えると、ようしと意気揚々と声を上げる。

「今日は一番手柄上げたやつ、俺からじきじきに報酬と秘蔵の酒をくれてやる!100は固ぇ、やってみせろよ!」

そう叫ぶと、階下の甲板で一気にやる気に満ちた歓声が沸いた。

「やだ。御大ったら乗り気になった」

「なんだこの騒ぎ・・・」

扉から顔を出したのはルーカスだ。睡眠不足の眠たげな目を擦りながら呆れたように熱気に満ちた光景をみわたしていた。

「お前の嫁さんに触発されて親父がやる気を出した」

「あーなるほど。・・・あれで案外好きだからなあ」

「暢気にしてる場合か。ところでルーカス。船は・・・」

「直した。もう好きに動かせる」

「よし!それじゃあ面倒なことはこりごりだ。おさらばしようぜ。兄貴達もいいだろ?」

「待てよオレスト」

「なんだ、急いでるんだから」

「いいから待てって。どうせあれ、親父の道楽だろ。だったら逃げるより来れないように落としたほうが早い」

首をこきこき回して大あくびしたルーカスは弟を引き止めた。
このままだと開戦してしまう。急いたオレストは舌打ちしたが、ルーカスはおかまいなしに魔法を使っていた。何もない空間から、剣が引き抜かれる。紅い鞘をもつ、異国の刀だった。

「アリシア」

取るや否や、アリシアに放り投げた。不規則な軌道に関わらず、振り向きざま綺麗にキャッチする。そこでようやくルーカスに気づいたらしい。

「あれ。ルーカス、おはようございます」

「ああ、おはよう」

ルーカスはアリシアと親しくしてからわかったことがある。

アリシアは存外、子供っぽい。

ですます口調で丁寧な印象を相手に与えようとしていても、こんな風に自分の興味を惹くものが現れるとき、周りは見えなくなるし場に合ってない抜けた発言も平気でする。

潮風はアリシアの赤銅色の髪をくすぐる。ぎゅっと紅を抱き無邪気に微笑む彼女に、そこが可愛いのだよなあと、のどかな感想を抱いた。

「で、なんですか?突然紅を渡して」

「アリシアが楽しそうだから俺も乗ってみようかと思って。―――なんて言うんだろうな。一つここは童心に戻って、海賊退治でもやってみよう」


デートしよう。なんて彼女を誘うぐらいの気安さで、ルーカスは海賊船を指差した。



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