「僕が一番最後?」

そういって、扉をくぐったのはウェインだった。

ルーカスが押し込められた船の下層。ここに船の予備動力室が設けられており、そして普段ここに顔を出すことのない面子も揃っていた。アルブレヒトの息子達。部屋に入るなり、室内を一望して唸るウェインに、末弟のクルトが眉をひそめた。

「どうしたんだよ、ウェイン」

「いや・・・僕らがここまで揃ってる光景も久しぶりだなと思って」

「ああ、そういうこと。ま、二人足りねえけどな。おうルーカス、手を動かせ手を。サボるんじゃねえよ。キリキリ働け!今のお前は働き蟻だー!おれらのために尽くしやがれ!」

「オレスト、そこの馬鹿黙らせろ。集中できん」

「あいよ。・・・ちいと黙ってろよ末っ子。ルーカスが戻って嬉しいのはわかるが、この作業が失敗したら笑えないんだよ」

「誰が嬉しいってもがっ!?」

オスカードの8人兄弟。
それぞれが思い思いの場所に腰をかけ、杯片手に一人中心部に座るルーカスをからかっているのだ。ウェインもまた、次兄のイケルから木のカップを受け取ると豪快に酒を注いだ。床には空いたビンが数本転がっており、そのすべてから濃厚な酒の匂いを漂わせている。

「非常に暑苦しい。ジラはどうした」

「あいつも同じだ。「暑苦しい」といって戻った」

「次兄殿。そこは留めるべきだろうに。・・・しかし、長兄殿やクルトはわかるけど、次兄殿やオレストまでいったいどうしたんだ?二人とも面倒だと言ってたじゃないか」

「あーそれね。わかんないか?お袋に頼まれたんだよ」

「ああ・・・」

オレストの言葉に、納得とウェインが頷く。兄弟の中で、特にルーカスとの因縁が深いのが、先のイオの事件で散々苦労させられたアルナルと、ルーカスに教育(という名の苛め)を受けていたクルトである。

イケルも例の一件では苦労させられたと言えるが、彼は恨みを長年蓄積する性質ではないし、ウェインにはもともとその気がない。オレストは、単純にすぐ上の兄ルーカスと仲が良かった。

ウェインは改めて一同を見渡す。彼ら全員が兄弟だと言われても、ほとんどの人間は首を捻るだろう。

「まあ、オレは酒が飲めればなんでもいいよ」

「はーなーせーよー」

と、歌うように上機嫌な五男オレストはやや小太りしている陽気な男で、その兄の太い腕で固められている八男クルトは対照的に痩身であり、後ろに結んだ豊かな栗毛を揺らしていた。

「お前ら、うるさいぞ!!」

「兄者よ、貴様が一番うるさい」

面子の中で一番傭兵らしい体格をした、熊のような大男である長男アルナルは、このように気性が激しい。そんな感情を面に出しやすい長男の下にいたからなのか、次男のイケルは対照的に口数が少ない男だった。

「・・・お前ら全員うるさいよ」

静かな声で最後にそう締めたのが、膨大な量の紙に囲まれた四男のルーカスである。彼ら兄弟の中で唯一魔法の才があり、かつ容姿にも一番恵まれた。その分、もっぱら性格方面が駄目だと言うのが兄弟全員の意見である。

ルーカスは部屋の中央部に置かれている、天井まで届きそうな高さもある金属の前に座している。金属といっても、鉛や鉄の細い管が組み合わさり、複雑な形となっているのだが、そこの中央部だけが、鳥かごのような形状をしており、その中に白く光る物体が浮いていた。

そこに指を差し込むと、置かれている紙に文字や図式が浮かぶ。ときおり、図式を書き直し、もう一度指を差し込むと浮かんだ文字が消え、今度は別の文字が浮かぶ。そんな作業を繰り返していた。

「なあ、そんなに難しい作業なのか?」

魔法など滅多に目にしないので、オレストが興味深そうに尋ねる。彼の目には、ただ文字が浮かんでは消えて、書き直しているようにしか見えないのだが、ルーカスは難しいより面倒だと答えた。

「これは推進の役割だけじゃなくて微弱な防護も兼ねてるな。この船、出そうと思えば相当な加速がでるだろ。それに耐えられるように、船の強化も兼ねてるみたいだが・・・外はともかく中身がお粗末だ。向こうはどうか知らんがドネヴィアでは売れんぞ」

「ほー・・・よくわからんが、結局、それをどうしてるんだ?」

「わからないか?」

「さっぱりわからん」

「術式を組みなおしてるんだよ。元通りに直すだけなら一時間もいらん」

「うーん・・・俺らが買ったときは最新式のって触れ込みで相当高かったんだがなあ。な?ウェイン兄」

「魔法技術に関してはドネヴィアが群を抜いてるからね、仕方がない。次にこの手のものを買うときはこちらにしよう」

「そうかあ。・・・ウェイン兄と一緒に行けばよかったなあ。あ、女の子はどうだった」

その手の質問を予想していたのだろう、ウェインは頷いた。

「そちらは軒並み上玉が多いな。ただ、お前の好みの女性はそうそういなさそうだよ」

「ちっ・・・あーそうだ、ルーカス。お前女連れてきてるって本当か」

「本当だよ」

なぜか、問われたルーカスよりもウェインが返答した。オレストもルーカスからの返答を期待しているわけではなかったらしく、おお、と驚愕を露にする。すかさず真剣味を帯び、身を乗り出した。

「美人か?」

「上の中だな。オレストの好みで言えば中だろうけど」

「ってことはいい部類か。顔は?体は?やっぱエロいか?」

「残念ながら顔はクルトの好みと被る。隠れてるけどけっこう胸があるから、一度ぐらいお願いしてみたいものだけ」

直後、ガツッ、と鈍い音を立ててウェインが転倒した。顔をおさえているのは、足元に転がっているバケツを直撃させられたからだろう。

投げたのは、無論ルーカスである。背中を向けながらどうやったかは知らないが、相当殺気立っているのは簡単に見て取れる。
うへえ、とオレストが悲鳴をあげた。

「悪い、悪かったからそんなに怒るなって。ちょっとした悪乗りだってよ。わかるだろ?オレらはこういう話題したって、本気じゃないくらい。この話はもうしないから」

この隙に逃げ出したのはクルトだった。倒れたウェインには目もくれず、オレストから逃げると
アルナルとイケルの近くへ回り込み、ほっとしたように座り込む。弁明するオレストを尻目に、そろそろとイケルに話しかけた。

「なー兄貴よう。母さんはどうだったんだ」

「何がだ」

「だから・・・イオのことや、ルーカスの女だよ」

「不服か?」

「ちげーよ。そもそもイオのことなんて、おれはほとんど部外者だっただろ。姪っこや妹だろうと今更一人二人も変わらないし。・・・そーじゃなくて、その女、大丈夫かって聞いてんだけど」

「さあな」

「さあって・・・アルナル兄貴はどうなんだ」

「知らん」

二人とも、にべもない返事である。

「それは問題ない」

「うお!?」

またもや割り込んだのは、鼻とおでこを真っ赤にしたウェインだった。心なしか、目にはうっすら涙がにじんでいるが、相変わらず表情は変わらないので不気味である。

「心配性なお前は気にしているのだろうから言ってやろう。マリアが彼女を気に入っている。それに、アリシア嬢はエレオノールではないよ。お前はあいつの女の趣味のおかげで酷い目に合わされたのだから、気持ちはわかるが」

「・・・いや、なに部外者ぶってんの?どっちかというとお前にも酷い目にしか合わされてない。むしろ7:3でお前が優勢だよ?」

「まあ、それは置いといて。・・・ルーカス、突然やる気を出したなあ」

「・・・おれはもうつっ込まないぞ。まともに相手するの疲れた」

ちくしょう、と突っ伏す弟の背を、イケルたたいた。彼なりに、この三男には苦労させられているので、その最もたる被害者には同情していたのである。一方で、ウェインは作業を続けるルーカスの間近に座り込み話しかけた。

「どういう風の吹き回しだい。もしかしてさっき抜け出したとき、アリシア嬢となにかあったかい?」

「・・・」

「・・・図星か。なあルーカス、彼女はお前のこと本当に好きなんだな。恋をする女っていうのはいつだってああいう目をする」

かわいいよなあと、感慨深げにそう呟いた。そして、唐突に尋ねる。

「なあルーカス。彼女は何だ?」

「はあ?」

「アリシア嬢のことだよ」

「なんだよ急に」

ルーカスは、あくまでとぼける姿勢らしい。背中を向けているから表情まではわからないが、ウェインは少しだけ口元を歪めた。これが彼が面に出せる、精一杯の表現だということを知っているのは仲間内だけだ。

「だってほら、彼女、暴力に躊躇がない。たぶん"慣れ"てるだろ。僕はあのとき、女だからって油断したつもりはないんだ」

それは、おそらく初めて顔を合わせたときの話だ。ウェインとナイルズはアリシアに倒された。あえてこの場を選んだのは、今ならルーカスは立ち去ることができないからだろう。

「気になるんだよな。だって彼女はあべこべすぎる」

その実、兄弟内で言えばウェインは誰よりも鋭い。生きるための本能というべきか、危険を見ぬく直感は誰もが一目を置く。
アルブレヒトの三番目の息子は表情筋が動かせない。本来は表情豊かな青年だったのに、いつからかそういう奇病にかかってしまった。

「ただ、僕は知りたいだけさ。僕は彼女が怖いから」







一方で、アリシアは予想外の人物と出くわしている。深夜、外に出たくなってみたアリシアが甲板にでたのだ。この暗がりで景色を眺めようとする酔狂な人はいないと思っていたが、そうでもなかったらしい。
甲板には、簡易の椅子と机が置かれておりゲームを楽しめようようになっている。隻腕の老人、アルブレヒトがいたのだ。

「嬢ちゃん、いける口かい」

アルブレヒトは突然の乱入者に驚きはしたものの、追い返したりはしなかった。こうして二人向かい合っているわけである。

「茶なんて上等なもん、俺ぁ淹れられないからな、これで勘弁してくれや」

見る限り上等な酒瓶を傾け、グラスに琥珀色の液体を注いでくれた。アリシアはなにもいわなかったが、アルブレヒトに無言で促されると酒で喉を潤した。飲みっぷりがよかったからだろう、アルブレヒトは満足げに頷いたが、片や指は首に下がった宝石をしきりに掴み、しきりに触っている。

不謹慎だが、それが何故か気になるのだ。物欲ではない、ただ気になって仕方ないのだ。同時に、おかしな話だが宝石もアリシアを見ているような、そんな気がする。

「この宝石が気になるかい、嬢ちゃん?」

片眉を器用に持ち上げたアルブレヒトが、そう尋ねた。反応を面白がっているようであったが、瞳は真剣そのものだった。不躾に眺めすぎたかと思ったが、アルブレヒトは低く喉を鳴らしただけだった。

「これはお守りってやつでな、マリアや息子共だろうが誰にも触らせないようにしてんだ」

「大事なもの、なのですか」

「そんなもんじゃねえよ。ダチの寄越したもんだったんだが、極めつけに物騒なもんだから俺がもらってやったんだ」

そういうと、首からはずして紐を手にもった。風に揺られ宝石が揺れだす。月の光の反射を受けて、きらきらと輝くそれは、思わず感嘆してしまいそうな妖しさがあった。

「俺以外のやつが持つと、みぃんな怪我をしちまうんだ」

「えっ」

「不思議なもんでな。こいつは何度か俺の手元を離れてる。盗まれたときは、数日もたたねえうちに盗人が泣いて侘びをいれてきたし、置いて忘れてきたときは持ってきた息子が大怪我しやがった。おかげで二度と触らねえと宣言されたりな。だが俺が持ってる分には、何度も命を救われてる。そのダチ曰く、俺が持ってる分にゃ害はないんだと」

「それは・・・すごい話ですね」

「そうだろ。これを作ったのは死霊使いでな、俺の昔からのダチで、優秀なやつだった」

そういったアルブレヒトの瞳は、現世を飛び越え記憶の彼方を見ているようだった。

「死霊使いといやあ、マリアから聞いたぜ。嬢ちゃん北の出身だってな。バルドラか?」

久しく耳にしてなかった国の名に、身がこわばった。その反応だけでアルブレヒトは理解したらしい、いや、と首を振った。

「・・・あそこは死霊使いが戦争を長引かせた原因だって騒がれてたろう。だから思い出したんだが・・・悪ぃなあ、嫌なことを思い出させたか?」

「いえ・・・大丈夫です。それより、死霊使いが戦争を長引かせたって本当なんですか?」

「なんだ。知らないのか」

「お恥ずかしながら・・・」

当時のアリシアは周囲の状況など知る由もなく、また必要もなかったため国の状況などはしらない。興味を持ったのは、アリシアがこの状態になる前、"アノ人"は、アリシアには死霊使いになる才能があったとかいう言葉を思い出したからだ。

アリシアの知る限り、死霊使いとはどこでも忌み嫌われる異端の術者のはずだ。国に一人二人いれば、という話どころではなく、一人でもいれば疎外の対象である。
その名のとおり、死んだ人の魂を使う外法である。恐ろしい存在だと書かれていたのをドネヴィアに来てから、教科書で知った。

「まあ、そういう噂だってことだ。・・・俺もバルドラの内情はよく知らんよ。・・・しかし・・・そうか、嬢ちゃんはバルドラ出身なのか」

「ええ。・・・なにか問題があったでしょうか?」

呟くアルブレヒトがあまりに真剣な顔になるものだから、不安になってしまったのだ。マリアから話を聞いたということは、孤児だということも知っているはずだ。

「あの、私は確かに両親は知りませんし、孤児ですけれど今ではちゃんと自立していますし・・・」

「えあ?あ、ああ・・・違うよ嬢ちゃん。そういうことじゃねえ」

慌てて弁明に入ったアリシアを、驚いたアルブレヒトが止めた。視線が宙を浮き、あちこち彷徨う。マリアであれば必死に言葉を選んでいると見抜いただろうが、アリシアは不安そうにアルブレヒトを見るばかりである。

「・・・いやなあ・・・嬢ちゃんの髪の色は、北は北でも、バルドラよりもうちっと奥の方のな・・・山の向こうの、民の色だとおもってなあ。バルドラじゃ、もうちっとくすんでたりして、ちいっと違うのさ。だから懐かしくなったんだよ」

「懐かしい、ですか」

「おう。俺ぁそこの出身だからな。だからバルドラだってきいたときは、嬢ちゃんの両親は向こうからバルドラにでも流れたのかと思ったんだよ」

「ああ・・・そうなんですか」

アルブレヒトには悪いが、両親といわれてもピンとこなかった。出身がどこであろうが、アリシアの生まれはバルドラだし、育ったのは違う土地だ。ただ、アルブレヒトが懐かしく思うと言うのなら、それだけは少しだけ嬉しかった。

アリシアの顔を見つめていたアルブレヒトは、口内で何かを呟いたようだったが、聞きとることはできなかった。紐を再度首にかけることはせず、代わりにおもむろに酒を流し込み、グラスを指で弾いた。

「俺ぁな。運命とかよお、予言とか御託だとか、そういう馬鹿げたもんを肯定する人間じゃねえんだが」

グラスから、ずっとよい音の余韻が弾けて、空に溶けた。
しみじみと宝石を眺めると、アリシアに投げた。唐突なことに「へっ?」と奇声をあげて受け取ってしまう。

「こういう仕事を長年やってると、時々こういうことも遭遇しちまう。今回もそれだな」

「あ、あのっ。これっ!?」

「嬢ちゃんは俺の息子と所帯もつんだろ」

「はい?」

「だったら行かず後家にゃならねえだろ。なに、義理の娘へのプレゼントってやつだ。なあに、嬢ちゃんならそいつ持ってても大丈夫さ。だが間違っても息子やイオに渡しちゃあいけねえぜ」

前者は独り言のようで、後者はすっかり面白がっている口調である。楽しそうで、面白いと表情が物語っていた。

「あの、あのっ。さっぱり、意味がわからないのですが!ご説明をお願いしますっ」

「息子を頼むってことだよ、嬢ちゃん。俺が持ってても、もう意味がねえからな。俺がおっ死んだあと、そいつはただの呪いの道具ってやつになっちまう。そろそろ誰かに譲りたかったんだよ」

「ですが、私でなくても・・・」

「言ったろう、俺以外は無理だったんだ。たぶん嬢ちゃんなら大丈夫そうだし、だったら先が長い若者に渡すべきだ。俺が残した呪いの道具なんて噂が流れちゃたまらねえからよぉ」

「た、たぶんって」

たぶんだとか、確信もないのに渡さないで欲しい。確かに、アリシアだったらそこらの呪いの道具の一つや二つどうってことはないだろうが(現に家には、持ち主が幾人も不審死した小手がある)、アルブレヒトはそんなことは知らない。第一、会って間もない人に、大事なものを渡すというのは如何なものだろうか。

「ま、夜も遅い。また明日話そうや。おやすみ嬢ちゃん」

「アルブレヒトさんっ」

アリシアの混乱と動揺に、アルブレヒトは淡々としていた。幸せになれよ、と優しい言葉が聞こえたのは気のせいだったか。咄嗟に口をつぐんでしまったアリシアを、アルブレヒトは肩越しに一瞥すると、甲板をあとにしたのである。





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