「黒髪の美しいアナスタシアと出会ったのは、まだ僕が若かりし頃の話だ」

熱のこもった語りのはじまりに、少女がごくりと喉を鳴らした。
昼だというのになぜかカーテンをすべて閉じており、室内は薄暗い。全員の茶器を用意していたアリシアの口元は微笑んでいた。

「彼女は美しかった。生気に溢れる瞳と鈴を転がしたような笑い声。当時の男たちはそれはもう、彼女をくどくために一生懸命になったものだ」

当時を思い返すかのように男性・・・ウェインが瞳を閉じる。

「僕の友人がアナスタシアと恋仲になった。友人は熱心な彼女の信望者でね。その熱意が伝わったのかな?二人は一年後、結婚するまでにいたった。式には僕も立ち会ったよ。彼女はとても幸福に満ち溢れていた」

だが、と言葉を区切る。

「アナスタシアが病死したと聞いたのは、その三月後のことだった」

全員分配り終えたアリシアの表情が、そこで物言いたげなものに変化した。ルーカスや、ウェインの連れであるというナイルズという男性は、「またか」とでもいいたげな表情である。

イオの表情が輝きを増しだした。

「僕たちはおかしいと思ったんだ。だって最後に会った時の彼女は幸福そうで、なにより健康でもあった。会いに行った友人は寂しそうに笑っていたよ。亡くなって間もなかったけれど、すでにアナスタシアは火葬されたあとだった」

アリシアが、無言でルーカスに席を詰めさせた。

「いったいなんの病気だったのか・・・友人に問い詰めても彼は何も教えてくれなかった。それどころか、アナスタシアの両親も娘の死を不審がっていたんだよ」

「そ、それで?」

ごくりと、イオが生唾を飲み込んだ。ウェインはゆっくりと顔を持ち上げ、瞳を細める。無表情なので、いっそう気味が悪かった。一方でアリシアは、驚愕を表すルーカスをよそに、迷うことなく隣にあった腕の服の裾を掴む。

「友人がどんどんおかしくなっていった。昼間だというのに、こんな風に部屋をカーテンで閉じ、光を嫌うようになった。次に人目に出る事を嫌い、家の中に閉じこもりきりとなった。はじめ僕らはね、それはアナスタシアを失った悲しみに耐え切れなくなったからだと思っていたのだけれど、ある日、流石に心配になって他の友人たちと彼の家に上がりこんだ」

心なしか、声の質が変化したのはアリシアの気のせいではないだろう。無言でウェインから目を逸らした隣では、ルーカスが彼女を見下ろしながら、面白いものを見るような目で眺めていた。

「な、なにを見たの!なにがあったの!!」

イオはすでに興奮状態である。この年の少女は、こういった不吉さを感じさせる話は忌み嫌うものだが、反応は正反対である。

「・・・彼は、やせ細っていた。目の周りは隈ができて、たった数日間の間になにがあったのかと思うような変化だった。彼が言うんだ。「アナスタシアが、そこにいる」と」

ひぃっ、とイオが悲鳴をもらすも、瞳は相変わらず弾んでいる。

「僕らは気のせいだろう、彼女は死んだと伝えた。だが彼は首を横に振るんだ。ギラギラと飢えた瞳でね。「離れてくれない、今も私を見つめている。助けてくれ」と。彼はリビングを指差した」

ごくり、と生唾を飲み込む音が聞こえそうな沈黙の中、陰鬱な間が作られる。アリシアの指がルーカスの腕に回され、しっかりと抱きついた。「お」と声には出さない嬉しそうな表情がルーカスに浮かんだが、一瞬後に頬が引きつりだす。

「だが指差した方向にはなにもなかった。それでも彼はいうんだよ。「いるんだ。いるんだ」とね。大丈夫だといっても、彼は信用してくれなかった。・・・当然だね、だって彼はすでに心をおかしくしていたんだから。そして、さらに続けたんだ。「殺したはずなのに、まだいる」・・・と」

ナイルズが誰にも気付かれぬよう、小さくあくびをした。横目で、ルーカスとアリシアを見ると不審に瞳を染めたが、介入はしなかった。

「大騒ぎになったよ。それからあとは、彼が連行され、近所は大騒ぎになり、アナスタシアの両親は泣きわめく大惨事となった。獄中で彼が死んだと聞いたのはさらに半日後。自殺ではなく、おかしな死に方だったと聞いたよ」

「へぇえええ」

「それから、僕は友人と共に彼の家に行った。住まう人間はいなくなったけど、どこか気になってしまってね。家に入ると、すこし家の空気がひんやりとしていた。・・・そう、ちょうど、今日のような冷たい空気だ」

涙こそ浮かべはしないが、注意を払ってよくよく見ればアリシアの口元が小刻みに痙攣しているのがわかるであろう。指にはいっそう力を込められ、それに伴いすぐ隣から声なき無言の苦悶が発せられたのだが、もちろん気付くはずがない。

「彼はアナスタシアがなくなってから、一人住まいのはずだった。だというのに、家の中には女性の長い髪や、壁には血の手形がついているんだよ。そうしたら、友人が服を引っ張ったんだ、小声で、「おい、そっと部屋の角を見ろ」とね」

「うん。うん」

「僕は、そっと友人に言われた方向を見た。・・・流石にぞっとしたよ。だって、そこには恨めしそうに僕らを見る、死んだはずのアナスタシアがいたんだから。彼女はひたりひたりと近づいてきた!僕らはなぜか身体が動かず、血走った彼女の瞳から逸らせなくなってしまったんだ!手を伸ばしたアナスタシアは・・・!」

「どうしてアタシを殺したのぉお!?」

「きゃああああ!!」

突如乱入した第三者の声に、イオが悲鳴を上げた。後ろから覆いかぶさるように現れた女性に、身体を硬直させたが、触れられた暖かな感触と、鼻腔をくすぐった香水の香りで女性の正体に気付いたらしい。

「ジラちゃん!」

「はぁい。相変わらず可愛いわね、イオ。とってもいい雰囲気だったから思わず邪魔しちゃったわ。ウェインも久しぶり」

「ああ。老けたな。流石は三十路手前。というかイオにちゃん付けで呼ばせているのか。とても似合わないな」

「・・・アンタは今、世の女たちを敵に回す発言をしたわ。アリィちゃんもそう思うわよ・・・ん?」

「今な、お前が乱入したときに」

現状を説明すべく、ナイルズが静かに口を挟んだ。硬直しているアリシアと、青い顔でぐったりしているルーカスを指差す。

「あ、アリィちゃんそいつの腕放して?なんか、アリィちゃんの抱きしめてる部分がありえないほど細・・・」

「なんか、骨の砕ける音がした」

「折れてるぅうう!?」









「骨をも砕くとは感心した。流石は僕らを一撃の下にひれ伏せさせたアリシア嬢だ」

「アンタは感心する部分が違う」

「ごめんなさい、ごめんなさいっ、ごめんなさいっ!」

「もう、いいから・・・」

「力の加減ができてなかったというか、まさか折れるとは思ってもなくて・・・あ、あんなに脆いとは思わなかったっていうか良い感触に和んでしま・・・違うっ。そうじゃなくて、ええと、とにかく何も頭に浮かばなくてびっくりしてしまって!」

「わかったから。怒ってない、本当に怒ってないから」

ウェインとジラの会話など耳に入ってないアリシアは、ひたすらルーカスに謝り続けていた。
治療が終わり、腕が元通りになってからずっとこの調子である。罪悪感に彩られ、今度こそなみだ目になったアリシアの髪をルーカスが撫でた。

「・・・やだなー。アリィちゃんが幸せなのは許せるけど、相手がルーカスってのが納得できないわー。アリィちゃん気付いて。そいつけっこうロクデナシなのよー」

「本人たちが幸せならそれで良いのでは?うん、しかし我が弟ながらあの目は気持ち悪い。なんだあの緩みきった顔。ナイルズもそう思うだろう」

「・・・別にいいんじゃないか?」

「なんだ、つまらん。・・・おい、ルーカス。生でじわじわと骨を砕かれる感触はどうだった?」

「嫌な突っ込みいれるな!」

「いつまでも人の目の前でいちゃいちゃしてるからだ。涙で潤んだ女性は美しいが、そこに野郎がいるだけで虫唾が走るものだろうが」

おかしな持論だが、ルーカスがぐっと押し黙った所でウェインがナイルズ、ジラ、ルーカス、アリシア。そしてイオの順に全員を見渡した。すでにカーテンは開かれており、太陽の光が室内に差し込んでいる。

話が遅れてしまったが、ここはルーカスの自宅になる。ルーカスの兄だというウェインと、その相棒であるナイルズが暴走したアリシアに倒され、ルーカスの家に運ばれたのはつい先日の事である。

翌朝、早朝から顔を出したアリシアはウェインと鉢合わせし、思わず警戒したがウェインは肩をすくめ、「アレは全部逃がした」と告げたのだった。

まだ持っていたのかとぞっとしたアリシアだが、対してウェインは、自分を気絶させたアリシアを悪く思っていないのか、朝食を催促した次第である。

釈然としない思いを抱えつつ、ともあれルーカスが彼らを招き入れたという事は、なにか重大な話があるのだ。そう考えていたのだが、話の前にジラが来るのを待つのだという。

周囲の空気を感じ取っているのだろう。イオが妙な緊張感を保っている事に気付いたウェインがイオに面白い話をしよう、となったところで今回の騒動となったわけであった。

「イオ、わかっていると思うが」

「・・・わたしの、ほんとのお父さんの話でしょ」

「ああ、そうだ。アリシア嬢も知っているようだし、となると彼女は関係者になる。幼いイオにこんな話をしたくはないが、事実だけでも知っていてもらいたい」

「・・・」

「アリィちゃん。アナタ知ってたのよね」

「いろいろありまして。・・・話の腰を折るようですが、その前に・・・ジラも関係者なんです、か?」

「そうよ」

どうやらアリシアもすべて知っているわけではないようである、とジラがウェインに目配せした。
ルーカスはさきほどから不機嫌そうに腕を組み、押し黙っている。

「簡単に言っちゃうと、アタシとルーカス、それからウェインは異母兄妹って関係」

「え?」

「は?」

イオとアリシアの声が重なった。まさかの話に、イオが目をまん丸に形作る。

「ただし、一団員じゃないから、厳密に言えば兄弟には数えられていない。生まれたとき、母親が傭兵にするのを拒んだからだ。だから妹という感覚はあまりないな」

「アタシたちの父親の御大はさ、あちこちで子供をこさえてるわけよ。女が好きだから。だから、時々は問題もあったわけ。アタシがいい例よ。でもアタシの場合、ちょくちょく一団に顔を出してたから一応、彼らからも認識はされてる。多分、一国一人探せば、御大の息子や娘ってのはいるんじゃないかしら」

「うじゃうじゃ沸いて出そうだな」

「アナタも、アタシやルーカスとは母親が違うものね。というか御大の奥さん、マリアの実子なんて長男、次男だけ。残りの六人は全員母親が違う」

「・・・わかんない」

「そうね。アナタには少し難しかったわね。つまり、アタシとイオは血が繋がってるって考えればいいのよ。それなら分かるかしら?」

優しく、なるべく傷つけないように柔らかくジラがイオの髪を撫でる。

「うん」

「いい子ね。それで、アナタのお父さんなんだけど・・・。その、ルーカスじゃないのよ」

「それは、知ってる」

疑う事もなく頷いたイオに、ジラの瞳がわずかに揺らいだ。それでも、話を止めることなく続きを話す。

「アタシたちの父親、アルブレヒトというのがアナタの本当のお父さん。その人が今、とてもあなたに会いたがっている。そして、できるものなら一緒に暮らしたいと、そう望んでるの」

くしゃり、とイオの顔が歪んだ。
知ってはいたが、改めて突きつけられ真実は、イオには重かった。






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