閉じられた扉をふさぐ男に、ハーウェイが食って掛かった。

「先生!!」

「なんだ?」

「なんだ?じゃねえだろ!そこどいてくれ!」

「・・・んー。無理」

「なんで!!」

ハーウェイの叫びに、ルーカスが煙草の火をつけた。禁煙施設だということは勿論理解しているだろう。ただ本人が守る気が皆無なのと、周囲はそれどころではなかったから咎める者がいなかった。

「アリシアがやらなかったら俺がやってた。・・・あんたもそうだろ」

「さあな」

壁によりかかった、白髪の大男がそう返答する。そのとき、イルニアが初めて気が付いた。

「・・・先生、もしかして怒っていらっしゃいます?」

「当たり前だろ」

簡潔に返答したルーカスの表情に、憎悪や怒りは微塵も見受けられなかった。見えざる氷壁はこのときも順当に機能している。

「昔の話とはいえ、グ・ナーハとはそれなりに長い付き合いだった。そいつを目の前で殺されて、仕方がないからでなかったことにできるほど俺は人間できてないよ。大体、アリシアは死に掛けたんだぞ?」

淡々としていたが、二人に対する一語一語にどれほど膨大な量の情感が含まれていたのか、少なくとも年若い彼らには想像も付かなかった。さらに、ルーカスの言葉は辛辣だった。

「本当に死にたいなら自分で首でも掻っ切ればいい話だろ。人に押し付けようとする時点で、甘ったれてる証拠なんだよ」

「・・・センセ、率直過ぎ」

「そうです。もう少し表現を慎んでくださいませ。・・・おっしゃりたい事は理解しました、ですけれども・・・イズルート殿下は大丈夫でしょうか」

イルニアが悩ましくため息を吐いたのは、扉の向こうにいるはずのアリシアの激怒振りを目の当たりにしているからだ。ルーカスの告白にだんまりとなってしまったハーウェイを横目で眺めつつ、無垢な小鳥のように小首をかしげた。

「せっかく助けたんだから殺すわけないだろ。痛い目にあってもらうだけだ」

ルーカスの言った事はうそではない。
一人の命が目の前で失われた。悔いていたのはルーカスだけではない。グ・ナーハを救おうとして救えなかった悔いは、アリシアの中にも残っている。

実を言えばタルヴィスが渋らず協力してくれたのも旧知の死を悼んだためである。

サカズキの目的は違うのだろうが、イズルートが助かった事は各々の悔いを救っていた。利己的な主張なのかもしれないが、それを無下に「殺してくれ」と乞われた精神の喪失は耐えがたかったのである。







アリシアの行動は迅速だった。ルーカスに扉を閉じさせると、退路を塞ぎ、咳き込むイズルートの頬を柄で殴打した。
容赦のない一撃は、せっかく完治した歯を再び損壊させ、鈍い音と共に白い欠片が血唾と一緒に吐き出された。

嘔吐ににた悲鳴がイズルートからもれたが、アリシアの心は揺さぶられなかった。イズルートにとって不幸だったのは、アリシアが暴力に躊躇いを覚えない性質だったということだ。

無論、好んで暴力を振るう趣向は持ち合わせていない。力に頼り人を従えるということはただの暴君であり、心底から人と渡り合えるものではないからだ。なにより、アリシア自身が忌むべきものとして捉えていることもある。

だが、それも時と場合による。

普通の人ならば脳への衝撃で死してしまう一発も、イズルートは耐えられた。

「あなたの発言は、あの人に対する冒涜です」

「でも、でも」

「死ぬのは許さない。あなたはあの人を殺しました」

逃れようのない現実にイズルートが肩を震わせた。以前、会った時とは違うイズルートは、心の脆さが露になっている。おそらくこちらが少年の本心なのだ。イズルートは殺されようとしていた、とサカズキは言っていた。

「そうだ。私が殺したんだ。グ・ナーハを!」

叫びは悲鳴に近かった。

「好きだったのに、大好きだったのに目の前にいたとき、私はたまらなくあいつを殺したくなった!だからそうしたんだ。気持ちが良かった、嬉しかったんだ。・・・誰かを傷つけるのが、すごく楽しいんだ。だって、私はそうしたかった!そうすることが"アノ人"との約束だった!!」

イズルートの望んだ、最初の契約。
やっかいかもしれないとサカズキが話した意味は、たぶんこれなのだろう。イズルートは更に続ける。瞳に涙を浮かべて。

「今だってそうしたい!あの日!ハーウェイ達がきてくれたとき、私は嬉しかった・・・嬉しかったのに・・・傷つけたいと思ってた。嫌なのに、すごくつらいのに、なんで私は」

グ・ナーハの死はアリシア達だけではない。イズルートの心にも影を作っていた。
話し振りからして記憶を取り戻したのだと知れたが、やはりアリシアの心を揺さぶる事はできなかった。

「あなたの事情は知りません」

それどころか、肯定も否定もせずきっぱりと断言した。

「私はそんなことを言いにきたのではありません。あなたの死はあなたを助けようとした人々と、そのために命を落とした人への冒涜に過ぎない。グ・ナーハさんの死に責任を感じているのなら尚更です。あなたが殺した現実も覆らないし、忘れる事は私が許さない」

記憶を変えられる前のグ・ナーハが何を思っていたのかもアリシアは知らない。だがイズルートを、弟を想っていたグ・ナーハという人間をアリシアは信じる。

「自分の責任を自覚するのなら、あなたはここから起きてやるべきことがあるでしょう?」

死者は生き返らない。イズルートを信じると、受け入れるといった人の声を聞くことは二度と叶うことがない。失った時は回復する事はない。

だからこそ時の一粒は宝石にすら変えがたい美しさを放つ。命は無限ではなく、無為に失われるものでもない。
生は一度きりなのだ。大陸では、転生や魂の不滅を主張し肉体の死を軽視している国もあるが、それならば一度死んでみればいいとアリシアは思う。

それほど素晴らしいのならば思う存分死を繰り返せばいい。そういう人に限って、なぜいつまでも生にしがみついているのだろうか。

肉体も、そこに存在した人もただ一度きりの生の証。だからこそ人は忘れず、記憶という形で人を有し続けるのだ。そして、アリシアはイズルートが、少年を愛した人々を忘れる事を許さなかった。

「あの人はあなたを愛していましたよ」

「そんなことはわかってる」

「いいえ。わかっていない。本当にわかっているのならこんなところで不貞腐れたりなどしていません」

「そんなこと・・・!」

「そんなことあるでしょう。彼の望みは、私よりもあなたが理解しているはずです。それに、断言しますが、彼はあなたを恨んでいないでしょう。ならばやるべきことがあるのではないですか?」

「・・・・・・私が、殺したんだぞ」

「知っています。ついでとばかりに私は殺されかけました」

「・・・・・・」

「命を奪うとはそれほどの重みという事です。逃げるのも自由なのかもしれません。けれど、今回に限っては私はそれを許さない。罪を感じるのなら責任を果たしなさい」

アリシアの顔に、翳りがおちた。少年の認識は、ジェイが自身の研究のために少年を利用したとなっている。間違ってはいないが、話していない真実もある。すべてを話すことが必ずしも良い結果を招くわけではない。

「・・・グ・ナーハさんはあなたの兄だったのでしょう」

それは血の繋がった肉親でという意味でとは、あえて口にしない。それはもう少し先、イズルートが精神の安定を見せてから話すつもりだ。

ただ、ジェイの記憶を持ったもう一人の存在が生きているとは手短に説明した。

イズルートはうつむき、血に汚れた顔で瞠目した。
硬く握り締めていた拳を一度だけ床にたたき付けた。手が壊れてしまうのではないかと思うほどの音だった。

沈黙の後、イズルートは面を上げた。その瞳を見て、確信する。

―――取り戻した。

そんな言葉が頭をよぎった。
雲が地平へ走り去り、急速に晴れ渡った青空が透明さを戻したのだ。
イズルートの瞳に活力と律動性が宿り、病み衰えたという印象をなぎ払った。顔についた鼻血をぬぐうと立ち上がり、静かだが確固たる意思を告げる。

「・・・ジェイ、師匠は・・・私が決着をつける」

「それがいいでしょう。でも今は、あの子達と会ってあげてください」

「ああ。けど、その前に――アリシア」

「なんです・・・」

言葉が続かなかったのは、驚いたからである。
イズルートの髪や、顔がアリシアの肩に埋まっていた。腕は背中にしっかりとまわされ、ぎゅうと抱きしめられる。

「イ、イズルート?」

「・・・ありがとう」

うろたえていたアリシアだが、万感の想いを込めた一言に力を抜き、柔らかな髪を撫でた。苦しい抱擁だが、今はまあ、いいだろうとされるがままになっている。

「弟がいたら、こんな感じなのかしら」

「・・・失礼な。私だって男だ」

「まだまだ子供ですよ。・・・イズルート。あなたの感情は、自分自身で律するしか方法はありません。しっかりね」

「わかってる。・・・私だって、やれるさ」

「あなたならできますよ・・・ところで、苦しいからそろそろ離してください。普通なら背骨が折れますよ。加減を覚えなさい」

「アリシアだからいいんだ。・・・もうちょっとだけ、このままで頼む・・・・・・」







Episode2.エピローグ "あの日のやり直しを"





「おとーさん。お姉ちゃんに告白したってホント?」

「むぐっ!」

「ぶっ!?」

隣に座り、手に取った皿の上でフォークを躍らせるルーカスが、イオの質問に「うん?」と首をかしげた。
間近で団欒していたアリシアは口にしてたパンを喉に詰まらせ、子供の問いを耳にしたイズルートが水を噴出しかけた。

両者の反応に、新たな参加者であるタルヴィスはもとよりユージェニーも目を丸々と開き、やがて傍観者に徹する事を決めた。

「おじちゃんが言ってたよ。ねえ、お父さん」

「んー・・・まあそうなんだが。イオ、嫌だったか?」

「わたし?」

藍色の瞳がきょときょとと空をさまよい、静止したアリシアと、父の間をさまよった。眉を寄せ、むー、と音が聞こえてきそうなほど悩んだ後、にっこりと満面の笑みを浮かべた。

「ご飯おいしいからいいよ!」

「そうか。嬉しい解答だが・・・イオ、お前が将来餌付けで騙されたりしないか、父さんは心配になったよ」

おそらくイオは意味を理解していないのだが、深く教えるような事はしなかった。
いつかの夕暮れと違い、今日は晴れ渡る青空の下、ヴェンダー宅の広い庭を使用させてもらい小さなパーティを開いている。

といっても派手なものではない。あの日の面々に参加できなかった執行部員、協力してくれたタルヴィスにユージェニー。そしてサカズキと随員数名といった少人数を加えただけだ。料理は前と同じものでは飽きるだろうからと、女性陣が腕をかけて提供している。

イオが嬉々として食べている魚介類の米料理はアリシアの手製である。

口の周りを拭いているイズルートに、にたりと笑ったハーウェイとオルゴットが揃って近寄った。耳打ちすると、顔を真っ赤にして慌て出す。ネヴィルとジーンが加わると一気に慌しくなった。

「可愛らしいですわね」

「そうですね。先輩」

傍ではイルニアとヨアヒムがニーナを招いて話を咲かせていた。意外に気があったのかもしれない。

タルヴィスとサカズキは二、三言葉を交わしたようだったが、それがどんな内容だったのかはアリシアは知ることがない。

イズルートは見てのとおり、すでに病院を退院しすっかり元通りになっている。・・・外的には、だが。落ち着いてからグ・ナーハとイズルートの血縁関係も話したが、そうか、と納得した表情で頷いた。

「一商人なのに、どうして私の目付け役になれたのか不思議だったんだ。母上はもう亡くなっているけど、再婚だったと聞いていたからな。兄だったとしてもいてもおかしくない」

時折表情に翳りが浮かぶようにはなったが、こればかりは時の解決を待つしかないだろう。
滞在はさらに十日延びており、その間にイズルートの国から新たな随員が到着していた。
護衛はサカズキらが引き受けるらしいが、イズルートは本国に帰国後は王位継承権を放棄するらしい。

「私は末弟だし、放棄した所で差し支えないだろうからな。サカズキのところでしばらく世話になる」

これには考え直したほうが良いのではないかと思ったのだが、すぐに考えを改めた。
意外に面倒見の良いサカズキならば、任せても大丈夫だろう。サカズキ本人も、好きにすればいいと二つ返事で了承している。

出発は明日の早朝に迫り、送迎会を開こうとなったのが今回の目的である。
茂みの奥では、場の雰囲気に馴染めなかった男が片ひざを立てて腰を下ろしていた。

「何か見えますか」

「いいや」

やはり、というかサカズキは中心で皆と騒ぐよりは、喧騒を肴に影の一端となるほうが似合っていた。隣に腰掛けると、くすねてきたのか新たなグラスが渡される。

琥珀色の液体を内包したボトルは、間違いがなければ総長が嬉々と用意していた秘蔵っ子のはずである。昼間から随分な光景だが、野暮はいわず注がれた酒を飲み干した。

二言、三言交わすうちに、次第に話題はこれまでのことにうつっていく。

「なかなかいい暇つぶしだった」

「それ、イズルートが聞いたら怒るかもしれませんよ」

「かまわん。忍耐を養ういい機会だ。だが、かなり愉快だったのでな。珍しいものも見れたし、私とはしては久々に時間を忘れた」

「私は愉快なんて状況じゃなかったですけれどね・・・イズルートも、暇つぶしだとか珍しいものだとか散々ですね。イズルートだからいいですけど」

「違うな。君の事だ」

声で人を魅了する、というのならば素晴らしく魅力的で、芸術的な囁きだった。

「最近、飽きていてな」

「何に」

「生きる事に」

落日の欠片を溶かした液体を、再びグラスに注ぐ。

「覚えておくといい。長生きすれば、必ず付き従うものが生まれる。「飽き」もその一つでね、とにかく暇でたまらなくなる」

サカズキは苦笑したように見えた。アリシアには、にわかに信じられないことではあったが。

「ああ・・・それじゃあ」

はじめて会ったときの乾杯の言葉。
また会ったらと。・・・会えたら、いいというサカズキの本心。彼は置いていく存在であり、いつか自分もそうなるのだろうかと、わずかな時間、瞠目した。

「次に会ったときは生きてましたか、この老いぼれとでも言って差し上げますよ。期待していてください」

「ふむ。気の利いた返答を考えておこう」

「イズルートはどうしましょうか。今の所は、やっぱり相変わらず子供のままですね、にしますか?」

「青臭いガキでかまわん」

「おーい。二人とも、隠れてないで表に・・・・・・っお!?ひ、昼間から酒など飲むな!だらしがない!!」

突如現れた褐色の肌の少年に、アリシアとサカズキが顔を見合わせた。
やがて、どちらからともなく笑い出す。華々しいわけではないが、涼やかでいて澄み渡る響きは実に楽しそうで、イズルートがぽかん、としてしまったぐらいだった。

「な。なんだ?なんなんだ!?」

「・・・ふ。ふふ・・・なんて、丁度いいときに。まあ、座りなさい。イズルート」

「そうだな。せっかくだ」

「なにがせっかくなんだ?それよりも皆がな?・・・あああ、なんだそのグラスは、私は酒なんて飲めな・・・注ぐな、サカズキ!アリシアもなぜ私を押さえつける!」

「あきれた。三つもグラスを持ち出してたんですか」

「偶然だ」

「無視するな!というかだな、私はのんべえのお前たちと違ってっ」

「イズルート」

サカズキの一声で、イズルートが大人しくなった。重みを置いた一言というのは年の功ならではの芸当だった。こんなところでも遺憾なく発揮されており、数少ない同志たちはこうして集ったのである。


今度は透いた青空の木陰の中。

掲げるのはできることならこの日と同じ、春の陽気の記憶のような、と願いを込めて。
数年後か、数十年後か。来るべき再会の日を思い、三者は乾杯をした。

「っ・・・〜〜!」

「イズルートには早かったみたいですね」

「酒ぐらい飲めるようになれ。あの男にも負けるぞ」

「な、なんでそこでやつが出てくる!!」

「さてな。恋敵は手ごわいが、励め」

「恋?まさかジーンですか」

「そ、それはない!!サカズキ!お前、誰の味方なんだっ」

「私は私の味方だ。アリシア、君の恋人だが、あの大量の花。あれはどういうわけだ?蕾だらけで、女性に送るにしてはずいぶん無粋だったが・・・」

「あれはいいんです」

サカズキの言葉に、ルーカスから手渡された花束を思い出しアリシアは顔をほろこばせた。
秘密を忍ばせたほほえましい気分になる。

「さあ、それじゃあ戻りましょう。みんなが待っていますから、今日の主役を奪ってしまったとなっては大変です」

彼らがあとにした、ささやかな願いが込められた場所。
木々の間に渡る風が吹き抜け、そしてはじめからなにもなかったかのように静けさを取り戻した。





Episode2.END


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