ずいぶんと時間を浪費したような気がしたが、夜はまだ明けていなかった。 万が一にも負けることはないだろうが、柄にもなくサカズキの「子供たち」以外のものを心配し、視界の向こうにあるはずの屋敷の方角へ目線を投げた。 「しゅ〜〜〜りょ〜お〜」 サカズキの腕に、女性がしなだれかかった。艶かしい肢体を惜しげもなく晒した女だが、その色香にサカズキが惑わされる事はない。ニーナが「抜け駆け!」と金切り声をあげた。 「疲れちゃったぁ。おぶって帰ってぇ・・・・・・なに見てたんですか?」 「あっちって彼女がいる方角?」 以前アリシアと遭遇したときは貴族風の装いをしていた青年が、へええと物珍しそうに彼の育ての親を見つめた。 「気になる?」 「ああ」 簡潔な返事だったが、それが意外だったらしい。からかう気でいた青年がぎょっとなり、腕を絡めていた女性がまともに顔色を変えた。半分は、嫉妬だろうか。納得とニーナが頷く。 「アリシアってあぶなっかしそうだもんね。気になるなら首領、行ってこれば??こっちはもう片付いたんだし」 「問題ない」 迷うそぶりも見せずそう言ったサカズキの、反対の腕には褐色の肌の少年がいる。荷物のように粗雑な扱いだが、ぐったりとしており、瞼を閉じている様子から気を失っているらしいと見て取れた。 サカズキがその場をあとにすると、彼の部下がその場に残された。 ニーナを除いた年若い連中が複雑そうな表情をしているが、そんな仲間を尻目にニーナがミトのそばにつつっと近寄り、そうっと話しかけた。 寂れた屋敷の敷地内に入ったとき同様、鉄でできた檻が崩れた。 床に散らばると、一帯に甲高い音が反響した。驚きにジェイが一歩下がり、信じられぬものを見るように、刃をふるったアリシアを見た。 隙だらけのジェイだが、アリシアからの追撃はない。 それもそのはずで、アリシアは倒れこそしていないが、頼りない足取りをしつつ、片手で頭を抱えていた。 檻を壊し、人一人が通れるまでの穴を作ったのはよかったのだが、鉄を斬ると同時に頭痛を覚えたのだ。 近い例えて言うなら、黒板を釘で引っかいた音をさらに倍増させたような感じ、だろうか。外傷はないのだが、頭に直に響き脳を揺さぶられる。 隙間から出れば身体は楽になり、頭痛の名残は徐々に小さくなっていく。ジェイの大きくあえいだ声が届いた。 「・・・やはり、違うのだな」 「違う違わない、だの・・・くだらない」 「くだらないものか。はじめから失敗だったあれと、成功例だったお前とは天と地の差がある」 「それがくだらないと言っている。失敗も成功もあるか、私たちには関係ない」 吐き捨てられた感情は、静かだった。嫌悪を添えてジェイに向けられている。 「私には、ある。アレに近づくための、一歩だ」 まなじりは細まり、今度こそ明確な殺意が男へぶつかった。眼に見えるものであれば相当な質量を伴っていただろう。指を震わせ、口を半開きにしたジェイだが、それでも引きはしなかった。それどころか、喜んだ。 「その瞳だ。かつて私がみたアレと同じ」 ヒュン、と風を切る空虚な音。 紅の刃がジェイの胸に、心臓に正確に穿った・・・はずだった。 息を呑んだのはアリシアで、それの後ろで止められた白刃を静かに見ているのはジェイだ。 「・・・本当の彼との対面は、これがはじめてだったな」 それに、顔はなかった。 極限まで筋肉を引き締めた肢体・・・なのかも、しれない。微妙な表現になったのは、それが粘土をこねくりまわし、人の形にまとめたようなそんな得体の知れない存在だったからだ。 「本当は些か心配だったのだ。この街に知り合いがいると・・・それが魔法使いだと聞いたときにはな。・・・杞憂に終わったが。『彼』が・・・イズルートの血肉と、私の技法により生み出された」 嫌な予感がした。アリシアの背に戦慄が走る。 「我が友、グ・ナーハ=エルハイムだ。見知りおき願おう――」 ジェイの言葉に、今度こそ言うべき言葉を失った。 それを『人』かと問われれば、誰もが否と答えるだろう。それには眼も鼻も口もない。 身体のあちこちには赤いしまが走っていた。何かの生き物だと言われれば納得するだろう。 アリシアの反応に大いに満足したジェイが、口元を綻ばせた。 「な・・・にを」 「信じがたいか?だが、事実だ」 「そんな。だってあの人は」 「ああ、死んだ。イズルートに殺されたな。・・・だがお前は知らないだろう?この街に来る前のグ・ナーハという人間など」 まあ、と顎を撫でジェイは続ける。 「違う人物だというわけではない。肉体が違うだけなのだからな・・・あのグ・ナーハは彼から記憶を移植した存在というだけで、記憶は間違いなく本物のグ・ナーハが培ったものだ。本人はこうして私の元に留まり続けている。・・・強制などしていない。勿論、グ・ナーハ自身に了承をもらってこうしたのだ」 些か記憶を弄ったがね、と。 「不可能ではない。人に似せたものぐらいならばいくらでも私は作りだせる。中身は、どういうわけか伴わないのだがね。・・・だから我が友は身を持って、人に似せたものに中身を伴えるかどうか手伝ってくれたのさ」 つまり、人造で作った人間に記憶を移植し、本人そのものに仕上げた。 移植された本体は、こうして目の前にいるものというわけで――。 もちろん嘘の可能性もあった。アリシアを動揺させるために用意していたのかもしれない。 けれどアリシアは確信してしまっている。ジェイがこの「グ・ナーハ」だと告げる存在。そして彼に向ける視線の意味。 信頼と慈しみを混ぜた紛れもない、あの日の青年へ別れを告げたまなざしそのままだった。 大きく呼吸しながら、グ・ナーハだという変わり果てた存在を凝視した。視線に揺らぐことなく佇むそれは、ただ不気味だった。顔もなければ、感情の揺らぎもない。 ただそこに在るだけの「もと」人間。 気配とほんの僅かに感じる違和感はイズルートのものなのだろう。ジェイは少年の血肉だといった。ならば、キメラと同じく彼もそうなのだ。 「・・・満足なの。こんなことをして」 アリシアはグ・ナーハとジェイの関係を知らない。それでも、食いしばった歯からもれた言葉はゆれていたのは、目の前であの人を亡くしたからなのだろう。 「言っただろう、我が友だと。・・・グ・ナーハは私の理解者だ。人造の擬体への記憶移植も、自身の改造も、すべて合意の上で行った」 「記憶を弄ったといった。なぜそんなことをする必要があったの」 「・・・イズルートへの接触に間違いがあってはならなかったのでな」 「!」 アリシアの足が地面を蹴った。駈け、ジェイめがけまなじりを決した。 紅が横なぎに振るわれたが、彼の目前に現れたのは「グ・ナーハ」だった。刃は肩から心臓めがけて斜めに走ったが、どういう構造をしているのか、刃がぐにゃりと粘土のように沈み込む。 眼を見張ったアリシアがすぐさま引き抜き退いた。あと少し遅ければがら空きの両手が鋭い刃となって襲い掛かっていただろう。 斬る、という感触ではない。泥を固めた地面にずぶずぶと沈みこむようななんともいえない気色悪さを指越しに感じていた。 ゆらり、と「グ・ナーハ」が動く。警戒したが、飛び込んでくる様子はなかった。 「・・・イズルートに、彼を会わせた?」 「いいや。間に合わなかったのでね、反応が楽しみだよ。・・・グ・ナーハ。そいつを動けなくしろ。生きていれば良いが、なるべく片足程度は残してほしい」 「グ・ナーハ」が身体をたまわせ、跳ねた。アリシアの懐に潜り込み鳩尾に蹴りを入れようとしたが、かわされる。無駄のない動きはしなやかだが、からくり人形の如き機械的な動作は味気ない。怒りが沈み、空虚が彼女を満たしはじめるにはそう時間を必要としなかった。 ――こんなのは、人間ではない。 命令を聞くだけの、ただの玩具。 物悲しかったのは、アリシアの知らない「彼」の本意はどこにあったのだろうかということだった。 反撃をしなかったアリシアは徐々に壁に追い詰められた。ぎりぎりで避けた「グ・ナーハ」の拳は頭をかする。余波だけで傍の壁が振動をおこし、ぱらぱらと小さな破片をこぼした。 今度こそ持ち手をしっかり握り、力任せに一気に振り払う。その衝撃だけで「グ・ナーハ」の腕は泥のように吹き飛んだが、すぐに再生した。 痛覚がないのだろう。その足で追尾されたがアリシアは鋭いステップを踏んでそれをかわした。「グ・ナーハ」が避けなかったのは、次の銅への一刀もなんら障害にならないと考えたからなのだろうか。 一瞬だけ、アリシアが苦悶の表情に顔をゆがめた。刹那にも満たない時間―眼球だけが動き、「グ・ナーハ」を捉え、そして両手でもう一つの存在を掴んだ。 「グ・ナーハ」は反射的に飛び退った。正確には飛び退ろうとした。 それだけでも上出来だっただろう。幾度も刃を交える必要もない。互いの差は致命的なほどにあった。 振るわれたのはもう片手で持っていた黄金の龍をまとった鞘であり、刃というよりは・・・鈍器に近い威力だった。 胴体ごと「グ・ナーハ」の身体が吹き飛んだ。無造作に振られた鞘は彼を薙ぎ、壁や床に変色した体液や肉と思しきものがぱしゃりと飛び散った。 驚嘆に値すべきは、通常のキメラならすでに事切れているはずが「グ・ナーハ」はまだ、生きているということだった。 すぐに再生も追いつくのだろう。殺したわけではないが、再生するだけの時間だけで十分だった。 落ちかけた紅が地面に落ちる直前にアリシアの指に滑り込んだ。その体が、「グ・ナーハ」の横を抜ける。 アリシアの目端が、姿を消そうとしているジェイを捉えていた。 彼にとっては何が起こっているのか理解しきれていないだろう。その心臓に、紅の先端が突きつけられ、貫こうとしたところで。 「・・・」 殺される直前だったジェイがまじまじと、眼前を見た。刃を突き立てようとしている彼女は精巧な人形のように動きを止めている。 「・・・やらねば、禍根を残すぞ」 「・・・」 後ろでは「グ・ナーハ」が早くも修復をはじめている。両者の間を厳粛な沈黙が立ち込めた。 本来なら迷う必要はない。彼はアリシアにとって害を為すだけである。 「私ではお前にすら勝てなかったか・・・残念だな」 返事を返される事はない。だが、言いようのない静寂と感傷を無言の裡に交差させたのだろう。少なくともアリシアは、そうだった。 「まあ、私を殺すというのならかまわんだろう。どうせ傷を負うのはお前だ」 息を吸い、腕に力を込めた。 目の前でジェイが崩れ落ちていく。その胸に、小さな穴を穿って。 「そうさせないために俺がいるんだよ」 広い地下に反響した声。 アリシアは腕を動かしていなかった。幻聴かと思ったが、信じられないといわんばかりに背後を振り返る。姿を確認すると、すとんと腕が落ちた。 「ルーカス・・・」 「すまん。遅くなった」 アリシアが現れた場所同様、そこから来たのだろう。檻のそばで、藍色の眼がまっすぐにアリシアを捉えていた。弾丸を放った銃の持ち手は笑顔を作っていた。ふてぶてしい、彼女が好きな笑みを。 つい、とその目線が横へそれた。彼の傍で「グ・ナーハ」が突っ立っていたからだ。修復は終わったらしいが、先ほどとは違い全く動かない。 命令するものが死んだから、というわけではない。傍らにいたルーカスが術式介入を行い、ジェイからの命令を封殺したのだ。 「・・・人を使ったのか」 「あ・・・」 眉をしかめ、苦い口調でつぶやいた。 キメラと違い、素体に人間を使用したものだと一目で気付いたらしい。 「ルーカス、その人は・・・」 「無理だ。元の人間がどうだったかは知らないが、人格は・・歪められた魂は戻らない」 「でも、その人は」 「アリシア」 「・・・グ・ナーハさんです」 肩を下ろすアリシアに対し、ルーカスは一度だけ眼を見開きアリシアを見た。脳下では、様々な推測が目まぐるしく討論を交わしたのだろう。結果、再び問われることはなかった。 沈黙は短かった。やがて「グ・ナーハ」に向けられた銃口と共にぽつりと言った。 「・・・そう言われたら、似てるな」 魔法使いにしかわからない、魔力と言うものが。 感慨が浮かんだ風ではなかったが、茫々とその物体を眺めた。 穏やかだった。静かに静かに・・・最期は、ほんのすこし、寂しそうに。 アリシアの足元でやめろ、と小さなうめき声がしたが無視された。 |