「ふっ・・・!」

息継ぎとほぼ同時に、素早い太刀がキメラを胴ごと薙いだ。門をくぐると同時に襲い掛かってきたキメラの数は、どこに隠れていたのかと思えるほど多かった。

「ネヴィル、無理しないで下がってなさい!」

背中に目でもあるのか、振り向きもしないのに苦心している少年へと叫んだ。

弧を描いた白刃に二体、三体と部位ごと斬りおとされる。重みなどまるきり見せない軽やかさは本当に同じ人間なのかと誰もが目を疑った。

呼ばれた本人は額に汗を浮かしている。

その背中をルーカスが叩き、無言で下がれと命じた。アリシアが斬り落としたキメラは、後続が止めを刺すか、焼き払うかで対処している。

危険だから前に出るな、とアリシアは言った。
深い意味はない。力量が違うから先頭に出て守るとかでもない。「間違って切り捨てそうで危ないから下がれ」という意味合い。忠実に掴み取れているのはルーカスだけだ。

十体を超えてもアリシアは疲れを見せない。疲れないが、玄関にたどり着くまでに、こぞって現れる群れがうっとおしかった。

四方八方、襲い掛かられる。
この程度ならアリシアの敵ではない。失調していたものはすべて取り返していた。
左に持った鞘で上から降りかかった爪ごと押し返すと、頭部ごと爪と鞘が頭部にめり込む。おもむろに下から蹴り上げると、巨体が宙に飛び壁へ激突した。

小さな穴からは犬が飛び出してきている。目は血走り牙は異様に鋭い。襲い掛かられれば命はないだろう。狂犬の群れもまた襲い掛かったが、ルーカスはひょいひょいと軽やかにかわした。

「ぎゃあああ!ルーカス殿!真面目にやってくださいよっ」

その先ではユージェニーがキメラとやり合っている。大振りで振られた腕をすばやくしゃがんでかわすと、飛び掛ってきた狂犬の口から脳天にかけて短剣を突き刺した。

「犬駄目なんだよ」

「っざけんなあ!?この期に及んで何言ってやがりますか!!」

「喋る余裕あるならいいだろ。ほれ、犬は再生しないみたいだぞ」

「師匠、それは俺と姫さんで引き受ける」

低姿勢から抜きざま横殴りに振るった剣が狂犬を裂いていた。隙を突いて頭上から降りかかったもう一匹の胴体を、すかさず銀の髪をもつ少女が貫く。

師匠と呼んだのはネヴィルで、呼ばれた側はルーカスだ。知る人間は少ないが、ルーカスが教師としての立場を消すとき、ネヴィルは彼をそう呼んでいた。

アリシアは肉片をまた一つ作った。

無体な扱い方をされても、鞘には傷一つなかった。

あらかた片付け終えた頃、あたりは死屍累々。散らばる肉の塊にユージェニーが情けない声をあげる。

「うへ・・・容赦ないですね」

「容赦してたら怪我をしてしまいますから。・・・静かですね」

追加があると思ったが、キメラ十数体に狂犬を加えるとそれだけでぱったりと終わってしまった。
屋敷の中に入ってもそれは変わらない。

明かりのついていない屋敷は、入ると広い玄関ホールになっていた。高い天井のシャンデリア、広大な空間の両脇には、絨毯が敷き詰められた二つの階段。久しく手入れされてないらしい、すみにはクモが巣を張っていた。

床は歩けば軋んだ木音が反響し、不気味さを増す。警戒を怠らない一行だが、ルーカスが目ざとく床や階段に視線を這わせた。ユージェニーも気付いたらしく口角を吊り上げた。

「擬態ですねぇ」

「ああ」

長らく人が出入りしていないように見えるが、それにしては床は埃をかぶってない。不自然な綺麗さが残っていた。

各々が壁や床を入念に調べ、隠し扉がないか調べ始める。地下があるという話は聞いている、入り口がどこかにあるはずだった。

ユージェニーが指示を飛ばす中、アリシアは一人だった。入ってすぐ壁際に寄り、集団からなるべく距離をっていたのだ。
ホール内になにかないかと探している、コンコンと何かありそうな床をたたき、他のものと同様の真似をしていた。

うつむくと重力の法則に従い柔らかな髪が揺れる、それを乱雑にかき乱したのはルーカスだった。抵抗はなかった、軽く頭を抱き寄せるとに赤銅色の髪に唇を落とす。

普通であれば羞恥と、ほんのわずかな喜びで血の色を上げていただろう。けれどアリシアの顔色はかげりを帯びていた。指が触れたとき一度だけ身体が震えたワケがそれだったのなら、幸せだったのだろう。

「・・・大丈夫」

自分に言い聞かせるようにゆっくりと、刀を強く握り締めた指から力を抜いた。

血の臭気はアリシアを酔わせることに貢献していた。
目を覆いたくなる肉の固まりも、臭気もどんな美酒より激しく身の内が求めるものだ。

凍てつく寸前の汗を額にぽつりと浮かべたが、平静を乱し彼らを傷つける行為は誰よりもアリシアが許せなかった。深く空気を吸うと、黒雲の向こうにある目的を見すえる。

「ありがとう」

立ち直ったアリシアは、隣に佇むルーカスへ感謝を述べた。
幾許の心もとなさはあるが、彼という存在が心身の負担を取り除く重大な位置に落ち着いているのは紛れもない事実だろう。

春風に称えられそうな微笑に、ルーカスが目をみはった。忘我は一瞬だけだったが、再度柔らかな髪をかきまぜ周囲を見渡した。

「ネヴィル、ユージェニー、どうだ?」

「ここにはない」

「幽霊屋敷としては間違いなく合格なんですがねぇ・・・。こりゃ一部屋ずつ探るしかありませんね。隊は分けたくないんだけどなあ」

「まあ、あのデカブツなら響くからわかるだろ」

「地下はわかりませんけど、屋敷内はもういないと思います」

「おりょ、わかるんですか」

「静かですから」

気配を殺すことに慣れている人物ならともかく、キメラや動物の成れの果てにそこまでの芸当ができると思わない。
その程度であれば優れた感覚がとらえていた。

幾人からか胡散臭げな視線が向けられたが、アリシアは意に解さなかった。それよりも静寂を保つ屋敷が不可解だったからだ。

「お」

「わっ」

床にひざをついていたネヴィルと、タルヴィスの娘の声が重なった。二人はこれでもかというほど床を調べ回っていたのだが、皆が何事かと注目するとネヴィルが木目の間に剣を差し込み、てこの要領で板を引き剥がした。

「わかりにくいけど、文字がある」

「なんでしょう。・・・術式、でしょうか」

「どれ」

ルーカスと付いてきた術士が身を乗り出し、魔法で光玉を作り出した。あたりが煌々と照らされると剥がした板の下に、薄汚れた同じ木の板が垣間見えた。

「術式の上に重ねてもう一度床を張ったんだとしたら、ここを作った貴族ってのは相当暇だったらしいな」

「金が余ってたってのも忘れちゃいけませんね。ジェイ氏がやったって可能性はないんすか」

「どうだろうな。そんな時間があったとは思えん」

「師匠、これ何の陣?」

「一部だけじゃわからん、もう少し剥がせ」

「了解」

ギギッ、と床板を剥がしていく音が響き渡る。襲撃は相変わらずない。中央付近でしゃがむ彼らの周辺に佇み、護衛を勤める者たちの警戒心も高まっていく。

アリシアは警戒はしていないが、遠巻きに眺める一人だった。魔法は専門外だし、知識もない。わからないものを見ても仕方がない。床の隙間に刀を突き立てると、軽く力を込めた。

ネヴィルが力を込めてやっとはずれた板が、いとも簡単に外れた。
その下にはよくわからない記号のようなものが並んでいる。

まっすぐに引かれた線を見るに、アリシアは丁度陣とやらの外側に立っているらしい。

「アリシア、ついでにこっち側も」

「あ、はい」

手招きされ近寄った。
アリシアの身体が完全に線の外側と内側の境界を跨いだときにその陣は発動する。

陣の線が熱を持ったわけでも、発光したわけでもない。ただ淡々とした作業のように静かに空間が歪められアリシアはその中に埋もれた。

視界がぐにゃりと歪み、脳が一斉に揺さぶられた感覚。思わず足元がふらついたが、踏みとどまるとぎゅっとまぶたを閉じ、ゆっくりと持ち上げた。

「・・・」

「ようこそ。私の選択の分岐点」

アリシアを出迎えたのはジェイだった。ずっとここにいたのだろうか、服はよれよれで羽織った上着は皺だらけだった。

「あれは特定の存在のみに反応するよう作ってある。そう簡単には解読できないだろう」

だというのに、ジェイは平静な声で言い放った。張りのある声は逃亡者のそれとは思えない。なぜかアリシアの姿を認めると懐かしそうに双眸を細めた。

迷わず刀を握った腕で凪いだ。ジェイではなく、視界を邪魔する檻にだ。

アリシアがいるのは、数人が入れそうな檻の中である。かなり頑丈に作られているらしく、太い柵や天井と床は分厚い鉄の壁で覆われていた。

それも意味はなかった。紅であれば鉄であろうが介することなく斬ることができる。
・・・はずだった。

「っ、あ・・・!?」

再度視界が歪んだ。先ほどとは違う強烈な不快感。

耐え切れず床に両膝を突き、それでも抗えず腰が砕けて床にしゃがみこむ。前のめりになりそうだった上半身だけは、腕をまっすぐに伸ばし蹲ろうとした身体を支えた。それでも気が緩めば力が抜けて前のめりに倒れそうになる。

間違いない。
この不可解かつ身体を襲う重みはイズルートの薬を飲んだ時と同じ症状だ。
歪にふるえる腕と指を奮い立たせ、顔を持ち上げた。

「イズルートはひとたまりもなかったが、やはり違うな」

感慨深そうに、そして己を睨みつけるアリシアに微笑を返した。

「話をしたかったのでな。乱暴は好きではないがこうさせてもらった」

「な、にを」

「伝言は受け取ったのだろう。深い意味はない、私はお前と会話をしなくてはならない理由があった」

近くにあった椅子を引き寄せ、鉄の牢の前に座った。自然、しゃがみこむアリシアを見下ろす形となる。観察者としての興味にしては、親しみがある態度だった。

ジェイはカッセルを介し、アリシアに伝言を伝えていた。内容はサカズキではなく、アリシアがジェイの元に赴けばイズルートになにをしたのか教えると、それだけだった。

「私にとってはどうでもいいことだが、おびき寄せるにはいい情報だろう」

「なにが、したいんです」

「話をしたかったと言ったはずだが」

信用できないという意思は声を出すまでもなく伝わっている。それでもジェイは語るのをやめる気はないようだった。

「あなたの話に、興味はありません・・・イズルートになにをしたのか、言いなさい」

「今は何もしていない。既に薬はきれている」

今日の夕飯は何だと聞かれたような気安さで答えられた。アリシアが呆気にとられる。

「嘘ではない。強いて言うなら、お前と同じ状況下で話をした程度だ。あれも初めは私を殺しに来た。この場所は教えていたからな・・・私の大切な友人を殺害したその足でだ」

「ッ」

「私のやったことに腹を立てていた。まあ・・・恐ろしくはあったが、お前程ではなかったな」

今度こそアリシアが疑問に表情を変えた。ジェイの様子と態度はイズルートとアリシアを比べているものだが、アリシアは先ほど現れたばかりで明瞭な殺意を向けてはいない。

ましてイズルートが激昂していたと言うのならば、その勢いたるや想像を絶するだろう。

「あれの話は済ませてしまおう。あれが私に加担する理由は、罪悪感からだ。あれは過去、私の女を殺している」

そして、更に告げられる。二の句が告げられない彼女を追い立てるよう、ひたりと真正面から姿を見据える。

今度こそ息をする事を忘れた。



「失ったのは二度目になる。そして一度目はお前が奪った。・・・かつて路地裏で惨めに物乞いをしていた孤児よ。私はお前に会いたかった」









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