話があると言い出したのはルーカスからだった。
今はルーカスの家で世話になっているネヴィルは中で休んでいる。イオは週末しかいないし、あたりは静かなものだった。長い話ではないからと玄関から出た所で立ち止まっていた。

外はそろそろ暗幕を張り始めている。どちらも会話はないが、不思議と居心地は悪くなかった。空に星が瞬き始め、どちらからともなく居住まいと正した。

「髪切ったんですね」

「変ですか」

「いいえ。そちらの方がさっぱりしてて好感が持てます。きっとみんなもそう思いますよ・・・言われませんでした?」

「胡散臭さが4割り増しになったとかぐらいしか言われてませんよ。詐欺師だのなんだの酷い話です」

それは親しい人たちだからではないだろうか。格好いいと思うけれどなあ、と口には出さずにアリシアが小さく笑う。

「・・・あなたの病気の話ですが」

ほらきた。ルーカスの用件はわかっていたのだ。アリシアも落ち着いて続きを待っていた。染まり始めた夜の空と同じ色が静かに彼女を捉えている。

「治癒の魔法が効かないのと関係がありますか」

「・・・あはは。それ、私も最近知りました。やっぱり効かないんですね。私も聞きたかったです、以前あなたに傷を治してもらってましたから、てっきり普通に魔法が効くんだって思ってました」

「耐性は驚くほど低いですね。あまりに効きすぎる・・・魔力がないのではないかと考え始めてた。違いますか?」

「合ってます。そういうことらしいですから」

らしい、という語調にルーカスが怪訝になった。言葉遣いこそ変わりないが、今のアリシアにはどこか奔放な、開き直った率直さがある。赤銅色の瞳は闇を宿しながら、清廉な光を失うことなく顕在していた。

「そういってた気がします。ところで、私の傷を治せたのってどういう原理ですか?」

ルーカスが躊躇った。だがそれも一瞬の事だ、今のアリシアは隔離している秘密を明かすことを拒んでいない。そういう気がしたのだ。

「・・・・・・呪怨の補填です」

「ああ・・・そうでしたか」

驚く事もなくあっけらかんと頷いた。むしろ納得してしまったといいたげだった。

生徒の誰にも教えた事のない呪術。昔、旅をしていたとき古い古い遺跡で目にした、今はもうなくなった小さな部族の遺した強いまじないの一種だった。

耳や腕を怪我したあの日、傷所を見たルーカスが感じたのはそのときとまったく同じ、精霊が寄り付くのを嫌がっていた遺跡の祭壇そのままだった。もしかしたらと、嫌な予感を覚えながら書に記すだけで終わっていた呪術を彼女にかけた、その結果があれだったのだ。

辺りを見回し、誰もいないことを確認すると鞘から少しだけ刃をのぞかせた。

「見ててください」

迷うことなくスッと腕を引き、腕に長い線を入れ込む。途端血が盛り上がり地面にぽつぽつと滴り落ちていく。

「ばっ!?」

慌てて傷つけた腕を取ったが、しかし自らを傷つけたアリシアの反応は違った。ルーカスの慌てようさえ楽しんでいるようでもあり、一瞬だけ期待と不安が入り混じった。

「なにしてるんだ!」

「もうちょっとですから」

視線が勝手に、腕に吸い寄せられていた。なにか、どこかが違うと感じたのだ。
すべて同じなのに違う、生物としての質感に違和感を抱く。触れた指先に感じるものはまるでかわりないのに、微細な動きさえ気にかかった。

「な」

「・・・こういう呪いです」

あふれ出ていたはずの血が止まりはじめたのだ。驚愕に口を開きながら、呆然と腕を見つめる。

「昔、人じゃないものとそういう取引をしました。それからずっとこういう身体です。イズルートのこと、人をやめかけてるって言いましたけど、私はそろそろやめた頃合なのかもしれません」

照れたような告白だったが、些かも気負わない口ぶりは当たり前のものとして受け入れている証だった。

「あなたにはサカズキを恨む理由がある。それを止めろとはいいません。ですけど、彼に挑むのだけはやめてください」

それだけを伝えたいためにこうして、彼にだけは見せたのだ。ルーカスが掴んだ、アリシアの腕の傷はすでに癒えていた。

「私の我がままですが、あなたが傷つくのは見たくありません」

「それはあの男が・・・同じものだから、ですか?」

「そうです」

「いつかの、学校を襲撃したあの男も?」

「ええ。紅の本来の持ち主でした」

聞き慣れぬ名に、怪訝そうになるルーカスにやはりアリシアは微笑んだままだった。

「お城に行かれるんですよね。よかったら、着くまでお話しませんか?」

通りでは人の姿もまばらだった、幻花の街灯は、一定間隔で通りに設置されている。

面する家々では灯りがともり、夜特有の静けさが辺りを包んでいた。後ろ手を組んだアリシアと、その少し後ろからぼんやりとその姿を眺めるルーカスがゆっくりと追いかける。

あまり大きな声ではなかったが、声は十分に届いていた。今イズルートに起こっていること、アリシアがどうしたいと思っているか、サカズキの正体もすべて明かした。黙って話を聞いていたルーカスだが、すべて話し終えると重く息を吐いた。

「呪いか」

「本当はもっと違うものなんでしょうけど、そういう言葉が一番近いと思います。やっぱり突拍子なかったですか?」

「いや・・・すごく納得しました。あいつを見たタルヴィスが、年食ってないのを不思議がっていた理由もね。・・・だとしたら魔法が有効なんですかね?届けばの話ですが」

「・・・」

「アリシア?」

「あ。ごめんなさい。意外と驚かないなって」

「驚いてますよ」

ぽつぽつと会話を進めても、相変わらずアリシアは少し先を行って、距離を縮めない。埋まらない壁のようなものだ。

「ですがそこまで大仰にするほどでもないでしょう。魔法も一緒だ。あれも解明できないものの一種だと思ってるんですがね。世界は広いし、そういうことはいくらあってもおかしくない。あなたのもきっとそういうことなんでしょう、本人を目の前にして否定しても現実が遠くなるだけです」

そう吹き抜けた声はどこか晴れ晴れとした颯爽さがあった。解明できないと話すルーカスは口元をほころばせている。おかしな感じがして思わず聞き返した。

「・・・魔法の解明がしたいんですか?」

「魔道の基礎はそこなんですよ。人間の欲望に限りなんてありませんからね、魔法と知識を解明して、誰にも手の届かない高みに行きたい連中もいる。中にはただ力が使えればいいってやつもいます。俺はどちらかといえば前者寄りなんでしょう。高みなんて馬鹿げたもんはいりませんが・・・」

そして空を見上げた。

「だから研究も続けてるし、そのために旅もしました。ですができれば永遠に不思議なままで、遠くの存在であって欲しいとも思います。矛盾してますが、多分理屈でわかるものとなったら、きっと失望する」

含まれた感情は寂しさも含まれていた。思わず振り返ったアリシアだが、やがてぽつりと切り出した。

「なんか」

「ん?」

「なんか、子供みたい」

たまらず笑い出した。ルーカスの中に見た表情は、まるで沈む事のない夕日を願い続ける子供のようだった。日が暮れれば楽しい時間が終わりになってしまう。だからそうならなければいいなんて願いだ。

憧れのものを大切にしておきたい。
そんな童心を見出すと、すっと心が軽くなっていくのを感じる。

くすくすと軽やかな笑いに、ルーカスは居心地が悪そうにがりがりと頭を掻いた。その姿が本当に子供のようでさらに笑いを助長させるのだが、結局何も言えずに笑いがおさまるまで辛抱強く待つことにしたらしい。

「あー・・・すみません。なんかおかしくて・・・」

「涙浮かべるほどですか。それはよかった」

「別に良いじゃないですか、可愛いなって思っただけですよ」

まさかの言葉にひくりとルーカスの頬が引きつった。
それがおかしかったものだから、再び交感神経が高ぶっていく。なんとか堪えたものの、お見通しだったらしく、どうにでもしろと顔が語っていたのだが、いつの間にか変化していたらしい。

間にふさがる壁に、距離を詰めた。

言葉もないアリシアに、斜に構えた、ふてぶてしい笑みが差し向けられる。掴まれた手は少し冷えていた。しっかりと見えるように右手で掴んだアリシアの手を持ち上げる。

「だからね、そう怯えなくていい」

「・・・あ」

「怖くないですよ。俺からみたアリシアはごく普通のね、可愛らしい女です。だから距離をあけられるほうが堪える」

引っ張り、今度は二人で並んで歩き出す。ルーカスに引かれながら、戸惑いを隠せなかったアリシアが行った、乱れる呼吸を制するための動作は、同時に泣き出しそうな心も制したのかもしれない。

「話してくれてよかった。これで少しは気が楽になる」

「わ、たしは」

幻花の灯りが届かなくなった場所に差し掛かると、閉じていた唇を開いた。

「私は」

「・・・」

「イズルートを、殺そうとしました」

自分で何を言い出したのか、正直アリシア自身もよくわからない。ただわかるのは今にも決壊しそうな震える声だったということだ。

いつの間にか足は止まり、うつむいたアリシアが思いの丈を吐露している。

「助けようとは思ってました。けどあのとき、私は本気でイズルートの首を突く気で、生かすつもりなんかなかった。だって・・・あの子達を傷つけたんですから当然じゃないですか」

無事だから余地があるだけで、もし誰か一人でも命を落としていればアリシアは決してイズルートを許さなかった。

「でもそう考えた事が正しくないのか、正しいのか。・・・私にはわからなくなってきた」

相手も見ず、ただ無為に命を奪う事は誤りであり、人道から逸れているのは明らかだ。
けれど違うのだ。そんなことは"わかっている"。
わかっているのに正しいとはなんだと、どこが間違っているのだと己に問う心が渦巻く。

「人をやめかけた頃合だって言ったでしょう?最近は、眠らなくてもご飯を食べなくても平気なんです。・・・イズルートに教えたの。年だってもうとらない、ずっとこのままなんだって。私だってそんなことわかってる。だけど嘘って、そんなはずないって叫びたかった。けどサカズキがいて、イズルートを見てたらそんなこと言えなかった」

静かな叫びはすでに知っていたことで、前々から自覚していた事ばかりだ。

けれど、いつかサカズキとの邂逅の時に説明している。影響が深くとも、『個』としての人格や情感が失せているわけではない。少なくともアリシアはそうだ。

自覚がなんだ、知っているからなんだというのだろう。溢れて、震えて、感じる思いは理性なんかで抑えきれるものではない。

「続けて」

アリシアの堰を切った感情は留まることを許さなかった。ルーカスが手を離すと、その腕で赤銅色の頭を抱えた。
顔を見られたくないのか、うつむくように額を胸に押し付ける。

「こわい」

変わり行く自分へ悲嘆を吐き出した。

「だめなのに。考えたら駄目なのにときどき凄くこわくなる。ずっとここにいられない、また独りになるの。覚悟を決めたのに、全然足りなかった。大事なものばっかり増えてて、考えたらどうしようもなくなって」

「うん」

応える声は優しい。ただ頭に廻された腕の力は強くなった。
閉じた目から次第に涙がぼろぼろとこぼれ出た。

「こわいよぅ」

嗚咽が混じり、頼りない声で泣いた。今度こそ崩れ落ちそうなアリシアを、ルーカスは抱きしめることで食い止めようとする。腕の中の彼女はただ小さかった。いつも何かに縛られていた心が剥き出しにされ、救いを求めている。

「ずっと居ていい。大丈夫だから、そんな心配しなくていい」

震えが走った。嗚咽を殺すと慟哭が深くなる。泣きじゃくるアリシアに言葉は届いていないのかもしれないが、それでもかまわず彼女の悲嘆へ耳を澄ませた。
その間ルーカスは、ずっとアリシアを抱きしめ続けた。



「・・・すみませんでした」

どのくらい時間が経っただろうか。
だいぶ泣いてからアリシアが落ち着きを取り戻した。

「見苦しかったですね。・・・忘れてください」

「安心したんだけどな」

「安心?」

「そう。俺にできることがあったってね」

藍色の瞳には穏やかな決意がある。
ようやく胸のつかえがおりた晴れやかな眼差し。戸惑ったアリシアの逃げようとする腰に手を回し、目を合わせた。

「きっとそう簡単に片付く問題じゃないんだろうってのはわかる。だけど俺はその苦しみを少しは取り除ける」

まだ残る涙をルーカスの指が拭う。人であろうがなかろうが、綺麗な涙だ。アリシア、と名前を呼んだ。

「間違えようとしたら俺が止める。独りにしないし、失くさせもしない」

己よりずっと細い体を手放すまいと、はっきりと断言すると今度は一変して微笑んだ。

「どうかな?」

「そんなの」

「やってみないとわからない。少なくとも俺はそうしてきたし、好きな女ぐらい幸せにしたいと思う。胸で泣かれて放っておくほど、甲斐性なしでもないさ」

「は・・・」

「悪く思われてないって自信ぐらいはあるんだ」

言い切った。口調は静かなままだが、だからこそ余計に決意をうかがわせた。
指がいとおしむ様に頬を撫でる。それが意味する所は一つしかなかった。
率直に言えばためらった。喉が詰まりうまく言葉にならないが、何度目かでやっと絞り出した。

「・・・きっと、あとが怖いですよ」

「いいさ。女のためにってのは悪くない」

その台詞に、アリシアが泣き笑いを浮かべた。

「自分でなに言ってるのか、わかってるんですか」

「充分にね。告白だよ」

真摯な表情を浮かべる彼を、涙に暮れた瞳がじっと凝視する。
最終的には吐息が頬に触れるのを拒まなかった。
二人の唇が照れるようにそっと触れ合う。柔らかい感触は不思議と甘く、小さく踊る舌先は優しく互いを求め合った。


苦しさは消えないのかもしれない。
それでもせめて彼女がみる悪夢から守るように腕に力を込めた。







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