「納得いきません」

机を叩き、断固拒否したのはジーン・ヴェンダー。

つい先ほど、普段は寄り付きもしないベチュアが告げた追加の新しい顧問。

それにひどく立腹しているのだ。

「ってもなー・・・もうお前のじーさんおっけーって言っちまったんだろ。無理じゃねえか今更覆すの」

チョコレートのような濃い茶色の髪の少年がのん気に言った。ざくろみたく紅い瞳が愉快げにジーンを見つめており、ヒヒヒと不穏な笑い声を洩らした。

「それとこれとは話が別でしょう。先生、どうにもならないのですか」

「俺に言われても無理だと思うよ」

「だよな。おっさんは肝心なときには大抵役立たずだぞ、ジーン」

「ハーウェイ、だれがおっさんだと言うのかな」

「ジーン、これでも飲んで落ち着いて。・・・ね?」

清楚、という言葉が似合うのだろうか。
長く伸ばした黒髪を揺らした少女が奥から出てくる。前髪を短くきっちりと揃えていて、黒耀石のような瞳が特徴的だった。

「ネリィ・・・でもー」

子供のように両手をぶんぶんと回す仕草が可愛いと思ったのか。ネリィと呼ばれた少女はにっこりと微笑みかけた。

「今日はとっておきの豆で淹れてみたの。きっと美味しいから」

ネリィにたしなめられて、ようやくジーンは暴れるのを止めた。黒い液体が注がれたカップに口をつけると、顔をしかめた。

「ネリィ、お砂糖頂戴」

「やっぱり入れるのね。せっかくの味が・・・。兄さんは飲みます?」

そう尋ねられたのは、先日ジーンと大乱闘を起こした片割れ。ネヴィルである。双子なのか、二人の顔立ちは瓜二つだった。兄の方が妹よりやや精悍さが際立った顔つきをしており、なおかつ口数は少なかった。

「先生とヨアヒム君も飲むでしょう?・・・あ、オルゴットくーん、お湯は多めに沸かしてくださいねー」

「にしても来るの遅くね?ってーかイルニアはどうしたんだ?」

きょろきょろと室内を見渡す。そんなハーウェイに、顔よりも大きな本に開き読書に励んでいた赤毛の少年が顔を上げた。

大きな眼鏡が印象的で、ふっくらとした頬が可愛らしい。少しばかりおどおどとしている所を見ると気が弱そうに感じる。

「イルニア先輩は、先生を迎えに行ったのですよ。・・・ネリィ先輩、僕は」

「ヨアヒム君はお砂糖は2つと半分・・・でしょう?」

幸せそうに大きく頭を縦に振った。

どことなくその仕草は小動物を連想させる。笑顔も見ている人を幸せにする。そんな類だ。

「クレスウェル先生・・・倒れなければいいですね」

あらゆる意味を込めて、真面目な教師への同情を一言をネリィは呟いた。







人生の歴代の中に入るぐらい最悪な顔だ、鏡に写る自分の顔を見てそう評価した。

顔から零れる水滴が服をぬらしていく。

本当に・・・今日はついてない。

転勤が決まってからも、決まる前からも1日も休んだことなどなかったのに、思ったこともなかったのに。

今ばかりは来たことに本気で後悔しはじめている。

「エディルに帰りたいなぁ・・・」

生涯の中で、人生を過ごした、ドネヴィアより北にある国へ思いを馳せると重苦しい息を吐き出した。

「どうぞ」

「え」

「顔、拭いてくださいな」

タオルを差し出したのは――ああ、彼女はハイクラスの少女だ。

授業で何度も見かけている。

「イルオーニア・ペオドス?」

「はい。でもイルニアでお願いします」

先ほどからイルニアは微笑を絶やさない。

身長はさほど高くない。ジーンに比べるとほとんど茶に近い金の髪をしている。くるりとした巻き毛がよく似合っていた。どうしてだろうか、美少女、と言うとジーンのほうが遥かに似合いそうなのに。目の前の少女の方がよほどその印象を強く受ける。

海のように青い目が不思議そうにアリシアを見上げた。

その目を見下ろして気付いた。ジーンの瞳がいつも生き生きと生気に溢れているのに対し、どことなくイルニアからは平坦で、妖艶な印象がしたからだ。

もちろんなんとなくの印象で、イルニア自身からそんな感じは見受けられないのだが。

「ありがとう、借ります・・・イルニア、貴女はどうしてここに」

「先生を・・・探しに。わたくしは執行部ですから」

それはつまり。

「迎えに?」

「ええ」

「・・・なるほど。それは、わざわざすみません。ありがとう」

素直な礼に、少し目を見張ったようだったが、やがて年相応・・・と言うにはやや相応しくない笑い声を上げた。

「ふふ。行きましょう、先生」

スカートの裾をひるがえしイルニアは歩き出す。急いでアリシアも追いかけたのだが、やがてあることに気付いた。

(追いつけない?)

イルニアはあくまでゆっくりとした動作で歩いている。それなのに彼女を追いかけている自分が追いつけないはずはないのだ。

しばらくすると、近づけはしないが一定以上の距離は開くことはない、と判断した。ならばいいだろう。迎えに来たという少女の言葉に偽りはないはずだった。

やがて階段を上り、移動教室ばかり立ち並ぶ4階の一番奥。使われている教室もない一角でイルニアは立ち止まった。

「あら、あら」

楽しげなイルニアとはよそに、部屋の中から響く怒号、悲鳴、破壊音。

少女は微笑をさらに嬉しそうに変えるのだが、アリシアには嫌な予感しかしない。

「入りますよ〜」

しかし、と同時に納得した。イルニアの迎えが必要なはずだった。アリシアが聞いていた執行部の場所とはまったく違う。

・・・などと思っていたら。

「―――ぉわ!?」

「あら。すごい」

のん気に笑うイオニアだが、彼女はアリシアの目の前にいたわけで、真正面から飛んできた物体には、物理的に彼女が先に当たっていないとおかしいはずである。

掠めていった何かは盛大な音を立ててガラスを割れっていた。・・・硬い物質だったのだろうかとうすら寒い。

室内は、執行部長ジーンと茶髪の元気そうな少年・・・彼もハイクラスだ。ハーウェイ・ロビットだったか。

「だれが貧乳で音痴で色気の欠片もへったくれもない女ですか。ハーウェイ」

「まてぇーーーーい!俺はそこまで言ってねぇ!大体お前胸だか尻だか色気云々以前に女としての教養が・・・」

「そこに直りなさい」

一瞬で閃光がジーンの周辺に浮かぶと、ハーウェイめがけて飛んでいく。

「あぶねええええ!!お前部長が乱闘行為とか!」

「お黙りなさい」

徹底的に潰そうとしていた。ジーンの目つきが恐ろしい。

「先生、ああなるとジーンさんは手を付けられませんから。こちらへどうぞ」

ちょちょい、とかがんだ体勢でイルニアが手招きをする。

出来れば止めたかったが――そんな気力がない。

大人しくイルニアに従ってついていくと部屋のもう一つ奥の扉をあり、そこを開くと別世界であった。

「ただいまぁ」

「おかえりなさい。遅いから少し心配しました」

まるで家族を迎え入れるかのように。満開の笑みで駆け寄り出迎える少女はネリィ。

ソファーにはネヴィルが寝転がり、床に直接座り込んだ少年達が地図を広げ遊んでいた。

一人用のソファーを陣取っているのはルーカスで、もはや空気がまるきり違う。

(なに、この部屋は)

そう、ソファーがあるのだ。

学園内では対応室や総長室でしか見かけたことのない、いや、アリシアから見てもそれ以上に良い代物に見える。

丁寧な刺繍がされたカーテン、脚に見事な彫りが入った低めのテーブル。本棚、食器棚、奥に見えるのは台所。

この分なら専用のトイレや風呂場があってもおかしくないだろう。

とにかく、調度品からすべての物が揃っており。なおかつそれなりに値の張るものばかりなのではないか。

「あ、靴は脱いでくださいね」

一目で分かる高級絨毯までひいてあった。

「どうぞ」

まだ戸惑いがちなアリシアに出されたのは紅茶で、香りが高く、渋みがまったくと言っていいほどない。茶類にまったく詳しくない素人だが、感心してしまう出来だった。

「美味しいです」

ネリィは破顔し、手作りらしいクッキーを進めてくる。

あまりに嬉しそうで、断れば残念がるかもしれないと思うと進められるままに菓子も手に取った。さほど甘くは作られてはいないのだが、シナモン等のスパイスの風味がほんのり口の中に広がる。実に合う組み合わせだ。

イルニアはクッキーにチョコクリームをたっぷりとつけている。

「女教師とそれを慕う女生徒・・・いい構図」

「ネリィ先輩が喜ぶのって、先輩達の味覚が極端すぎて誰も褒めてくれないからだと思う」

すかさず答えたのはミルクをどばどばと注いでいた黒髪の少年だ。ネヴィルとは反対側のソファーに大きな眼鏡をかけた少年と共に座っている。

ネヴィルは一応目を覚ましてはいるが起き上がる気はないらしくそのままの体勢でいる。

「クレスウェル先生、よろしいですか?」

生徒たちだけの時とは打って変わって、丁寧な言葉でルーカスが話を切り出した。

「どうぞ」

「答えたくなければかまいません。執行部の顧問として付かれるよう受けたとき、理由は聞きましたか?」

直接すぎる質問だが、アリシアにはこちらのほうがありがたかった。

「ええ、まあ」

「ですよね。けどまあ、顧問として入られる以上、どうしても聞いておきたいことがあってですね」

ルーカスが続きを口にしようとしたときだった。

「私たちの敵か、味方かということです」

扉が轟音を上げて開き、同時にジーンがずかずかと入り込んできたのである。

普段見かけるおしとやかさは忘れてきたらしい。物腰はかわらないのだが、すでに雰囲気が違う。
寝転がっているネヴィルを押しのけて場所を確保した。

「忙しいときは重なりますから、ただじっと座っておられるのも困ります。ロス先生みたいに肉体労働をしろとは言いませんけど、後始末程度は手伝っていただかないと」

普段から猫を被っているなとは感じていたが、これはすごい変化である。随分な激情家だと彼女に対しての評価を変更した。

ジーンの視線は鋭い。大抵の人なら大人でも尻込みしてしまうだろう。

だが生憎。そのくらいの気概なら持ち合わせているつもりだ。

「敵か味方か。どちらかで決めろと言われたら、それは敵でしょうね」

機嫌を悪くする少女に私はカール総長派ですよ、としれっと付け加える。

自分はどちらにも属してないつもりではいたいが、現実的にはそうもいかない。

「ですけど、貴方達と喧嘩をしたいとは思いません」

「では、総長から受けた・・・と思いますけど。お仕事は放棄されますか?」

「それもできません。私にも事情というものがあります」

ならどうするんだ。と尋ねようとしたときもう一人の教師が口をはさんだ。

「適当に仕事を任せれば先生はその中で勝手にやる。あちらから頼まれた仕事もこなす。だけど必要以上のことには割り込もうとは思わないし調べようとも思わない。それでいいですか?クレスウェル先生」

アリシアとしてはどことなく勝手にやってくれ、とは言いにくい所があったからどう言おうかと悩んでいたのだが、それをゴルドンが察してくれたのは助かった。

「むう・・・もとより、おじい様が決定されたことには逆らえないのですけど」

深く息を吐いて。よし、と気合を入れると立ち上がった。

その姿には先ほどの怒りなどは見えない。凛とした少女の姿があった。

「知っていると思いますけど、執行部についていくつか説明しますね。まず、喧嘩などの仲裁をする場合ですが。これは注意だけでは通じず、実際乱闘になることが多々あります。先生は私達のように実際には喧嘩をすることはないと思いますけど・・・。現場の判断任せで行うことも出てきたりします。それはご了承をお願いします。
それと、あまりないのですけど・・・。執行部は、先生といえどもあまりに不当な行動を行い、被害者からの報告が合った場合、それをいさめる権限が両総長より認められています。これは派閥、思想関係ありません」

こんなところ?という視線をネリィに送った。ネリィもこれに頷き返す。

「そんなところです。よろしいですか?」

「ええ、十分です」

特に問題はない。最初の喧嘩と言うところが引っかかったもののそこらへんに関しては彼らの方が実際に行っていることでもあるから口出しするわけにもいかないのだろう。

「それじゃあ、自己紹介ですねぇ」

にっこりと。すかさず告げたのはイルニアだ。

「・・・イルニア。どうして、そういうことに」

イルニアは手を合わせる。

「これから仲良くやっていくのだから。まずはお互いを知るべきでしょう?それには自己紹介が一番!そうね・・・趣味と、得意な分野と、苦手なこと?はい、まずはジーンさんから」

「え、あ、え?わ、私!?あ・・・ええっと。趣味はリ、リボン集め?得意なのは弓での射・・・苦手なのは・・・うー・・・思い浮かばないっ」

割と流されやすいらしい。

「ネリィさんとネヴィルさん」

ゆっくりとした雰囲気ながらも他を促すあたりそつがない。

「兄さんの分は私が代理で答えますね。ネヴィとネヴィルで・・・あ、名前はわかるかな。えと、双子の兄妹で趣味は私が料理、兄さんは・・・推理小説?得意なことは剣で、兄さんは色々です。
苦手なのは二人とも味が濃いものかな。・・・兄さん、いつも先生を困らせてますけど先生が嫌いってわけじゃないんです。小さな子供みたいな所があるだけだから、安心してくださいね」

「小さな子供ってそれはちが・・・」

「わたくしですね。先ほどもお願い致しましたけど、どうぞイルニアと呼んでくださいね。実はここで一番の先輩で、趣味はお人形さんや動物さんと遊ぶこと。得意なことは攻撃主体の魔法です」

後ろの指差すと、

「あちらで寝ているのがハーウェイ・ロビットさん。そうは見えないでしょうけど頭はいいんですよ、多分。趣味は食べ歩き、得意分野は乱闘。苦手なものは、きれいなおねえさんだったりする多感な少年なんですよ」

何気に自分の苦手なものは抜かしているのだが。そこは突っ込まれなかった。

「そこの可愛いお二人がロウクラスです。ヨアヒム君?」

名前を呼ばれて弾かれたように顔を上げたのは大きな眼鏡をかけた赤毛の少年だ。

全員の視線を浴びて真っ赤になる。

「あ。ヨ、ヨアヒム・コンラートです。本を読むのが、好きです。治癒(ヒーラー)が得意、です。その・・・よろしく、お願いしますっ」

勢いよく頭を下げた少年にイルニアがよくできました、と拍手を送る。その拍手を受けてはにかむように笑った。

隣に座っていた黒髪の少年がぽんぽんとヨアヒムの頭を撫でる。

「オルゴット・アグネス。趣味はたくさんだから一つに絞れません。得意分野は強化類。苦手なのは体を使った運動。・・・よくこいつのお守りやってます。どうぞよろしく」

こいつ、とはヨアヒムのことだろう。

「おーおー。微笑ましいねぇ」

「ええ、ルーカス先生にはすでにない微笑ましさですよね」

「・・・」

ここでは、生徒も先生も随分くつろいでいるのだなと思う。

ジーン、ルーカス、喋ってはいないがネヴィルにしても大分くつろいでいるし、何より雰囲気と口調さえ気楽なものに変わっている。

仲が良い証拠だ。

ますます居辛いなあと思ったのはおくびにも出さず、口角を持ち上げた。


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