イルニアの瞳にうつったのは赤銅色の髪と、むき身の片刃の刃だ。振り下ろされた短剣は刃ごとぽっきりと折られている。

鋭く細められた瞳は敵意をむき出しにして少年を睨みつけている。その激しさは彼らの前では決して出さない憤りだった。

だがイズルートはぱちりと瞬きをすると、その敵意さえも受け入れて彼女を見つめ返した。
アリシアが奥歯を強く噛む。

「アリシア」

「イズルート。今、何をしようとした」

アリシアの視界に彼らを傷つけようとした少年の姿が入ったときから、いたわりだとかいった優しさはとうの前に捨て去られている。

「なにって」

「動くな」

わずかに身じろぎに、アリシアの軸が揺らいだ。イズルートの首筋にアリシアの切っ先は魔法のように滑り込んでいた。微塵の迷いもない動作にイズルートが唇を尖らせた。

「そんなに怒らなくてもいいじゃないか」

「・・・」

「酷いな。私は折れた剣一つで、そっちは刀なんて卑怯だ。・・・そうだ、私の刀はどこにあるんだ。あれがないと困るんだ」

「ジェイはどこにいる」

イズルートの質問をばっさりと断ち切ったアリシアの声音には静かだが、溶岩の灼熱すら生ぬるい加圧がある。余程頭にきているのか、言葉遣いさえかなぐり捨てていた。目の当たりにしたイズルートはもちろん、ハーウェイ達でさえ痺れて身動きがとることを忘れ去っていた。

「・・・師匠を殺すのか?」

「・・・」

「そうか。・・・だったら言えない」

刀に力が込められた瞬間、すばやい動きで後ろへ下がった。一歩にも満たない距離を見逃すアリシアではないが、何故か切っ先が逸らされた。

カンッ、と甲高い音がしたかと思うと、刃の折れた短剣が地面に叩きつけられていた。
イズルートの首を追うより、イルニアに向かって投げられた短剣を優先したのだ。わずかな隙だが、その間にイズルートは後退している。

「ここでやるのはやめよう。私は素手だし、このままだとほら・・・人質を使わなきゃいけない。そんなことはアリシアも望まないだろ?」

場違いなほど爽やかな笑顔で両手を広げた。イズルートの傍らには、身を起こした姿勢のヨアヒムがいる。さらさらとした赤毛を指で掻き回すと、さわり心地が良かったのか、ふわりと笑った。

「アリシアたちはすごい。こんな風になってまで、人と普通に接することができるんだな」

「・・・」

「なんか、全然足りないんだ。なんだろうな、これは。傷つけたいって言うか・・・好きなんだけど苦しむ顔をさせてみたくなる。・・・わかるよな?」

「・・・」

「・・・ま、いいか。どうせ逃すつもりはないんだろう?そのときにまた会おう」

イズルートが跳躍すると、庭を軽々と飛び越え、やがて姿を消した。
残されたのは硬直したままの三人と、姿を消した方向を険しく見据えたアリシアだ。やがて、刃を黄金の龍が纏わり付いた紅い鞘にしまい込む。

振り返った指がハーウェイに伸ばされると、腕を掴み取った。ハーウェイの全身が総毛立ったが、

「なんて無茶をしてるんですか、あなた達は!」

怒りながら、泣きそうになったアリシアに意表をつかれた。
さきほど感じた凍てつく憤怒は嘘のように消え去っている。いまあるのは、流れ出る血に涙を滲ませながら、彼らの身を案じる人の姿だった。

「間に合わなかったら死んでたんですよ!?わかってるんですか!怪我ぐらいじゃ・・・ああもう、血がこんなに。他に怪我は?イルニアも痛いところは?」

頬や肩を撫で、怪我がないか確かめていく。いち早く立ち直ったのはヨアヒムだった。
ハーウェイに駆け寄ると腕を取って治癒を唱えていく。その土に汚れた頬を見てアリシアが今度こそ泣きそうになると、イルニアが背中を撫でた。

「大丈夫です。わたくしたちは大丈夫ですから、先生落ち着いてください。・・・ハーウェイさん、大丈夫ですわよねっ」

「あ、ああ。おう、大丈夫、もうピンピン!」

怪我が治ると、腕を振り回し証明して見せた。
それでも信用しきれないらしく、疑うアリシアにヨアヒムが無事だと言い張る。後輩の頬の汚れと、髪にまじった雑草を払うアリシアに、ハーウェイが、少し後悔を含んだ複雑そうな顔をした。

「・・・先生は先生じゃんか」

ぽつりとつぶやいた声はイルニアにしか聞こえてなかった。

ハーウェイは実物を見ていないが、話だけなら刀のことや例の事件の顛末を聞いている。視線は腰に下がった刀に向けられていた。
もしかしたら犯人の一味だったのかもしれないと疑っていた自分に、渋面になったのだ。

その頭を、軽くたたかれた。
イルニアが視線だけで異議を唱えているのだ。わりぃ、と小さく笑うと気を取り直して立ち上がった。

「先生、無事そうでなによりだ。おかげで命拾いしたみたいだし、ひとまず移動して話そうぜ。俺らも聞きたいことがたくさんあるんだ」





******************





ジーンたちと合流すると、まずアリシアの刀に注目したものの、純粋にアリシアの無事を喜んだ。それにはハーウェイたちの変わらない態度が一番影響したのかもしれない。

ジーンは腹を怪我した瞬間を目撃していただけに、一度瞳を潤ませると、どれだけ心配したと思っているのかと説教をし何故か叱られた。

「ルーカス先生の家にしましょう」

というイルニアの提案で、そこに向かう事になった。なんでも現在進行形で家がないブラウディ兄妹は、妹がヴェンダー家に、兄がロス家にやっかいになってるらしい。

ルーカスの名を聞くとアリシアがわずかに頬を引きつらせたが、気付いたものはいなかった。
なんでもここ数日は学校と平行して、なにかやっているらしい。授業が終われば真っ先に家に帰るか、遅くまで帰ってこないかのどちらかだとネヴィルが教えてくれた。

「本が読み放題なのはいいけど、なんか家政婦になった気分だ」

「おじいさまも城に出入りしたりで忙しいみたいです。絶対あのキメラ絡みだけど、すっとぼけるのよね」

「こっちは書斎に篭りっきり。・・・あ、イオはもうあの日の事、覚えてないから次あったら注意してね」

あまりに毒々しすぎた時間だったため、イオによくないと判断したのだそうだ。ゲーツェが記憶処置を施したので、あの日はそのまま寝入ってしまったということになっているらしい。

鍵は魔法で対人識別が作動している。
勝手知ったる我が家といった感じで、ネヴィルが玄関をくぐり、中に入っていく。オルゴットも台所で冷室を勝手に漁りはじめる始末である。

「ジュースないかな・・・この間置いといたんだけど。喉かわいた」

「オル、僕もそれがいい」

「わかった」

ネリィがお湯を沸かし、準備をはじめると自然騒がしくなってくる。上から階段を下りてくる音がしたかと思うと、廊下からルーカスが顔をのぞかせた。少年少女の出入りにも慣れているので咎めもしない。長い上着を羽織りながら、

「ネヴィル、城に顔出してくるから任せた。お前らもあんま長居するなよ」

皆まで言えず、アリシアと目が合うと硬直した。
アリシアも同様だ。驚いたのはそれだけではない。ルーカスの容姿が変わっていたからだ。

そう大きな変化があったわけではない。
だらしなく、少し長いままで放置されていた髪がさっぱりとなっていたのだ。

それだけなのだが顔立ちがはっきりとわかるようになると、深々と切れ上がったまなじりから涼やかに輝く藍色の眼、整った顔立ちの精悍さと深い知性が注目を引く。思わず「誰だ」と言いかけたほどだ。

彫像のように固まった大人二人を見て、イルニアがジーンに目配せをした。ため息を吐いた少女は、懐から人気のチョコレート店の割引チケットを二枚取り出し手渡しす。

一枚はオルゴットの手に渡るとイルニアと二人、ウィンクをして片手を合わせた。

「・・・・・・おっさん。先生から話し聞くけど、どうする」

「・・・後にするわ。俺も気になるし」

羽織っていた上着を背もたれに投げると、椅子に座った。
ともあれ、これで全員が揃ったのだ。一週間も経っていないのに、とても久しぶりのような気がする。
アリシアは深い息を吐くと、改めてこの光景を自分が大事にしていたかったのかと痛感する。

ひとまずハーウェイたちがイズルートとの再会を果たした事の顛末を説明するが、ヨアヒムは改めて首をかしげていた。

「本当に同一人物?」

容姿も姿も変わっていない。だが学校で出会っていた少年とは雰囲気があまりに違いすぎたのだ。

「そっちは先生の管轄だろ」

「・・・同一です。二人もいませんよ、あの子は」

どう説明したものか。正直言えばこの段階でも話すかどうかも決めかねていたのだが、まっすぐな視線に後を押された。

「話さないと、あなたたちは納得しないですものね」

まして絶対引き下がらないだろう。
がっくりとうな垂れた姿には、どこか諦めもあったかもしれない。

「まあ・・・いいか。あの子ですが、今は・・・」

うーんと頭を捻る。言葉を選んでいるらしいが、その様子に食い入るように全員が注目している。
適当な言葉が思いつかなかったらしい、そうですね、と前置きをして口を開いた。

「とても簡単に言えば、人間やめかけてる最中ですね」

はあ?という顔をハーウェイが作った。アリシアとしては間違った事は言ったつもりはないのだが、やはり突拍子がなかったらしい。

順を追ってとつとつと話を続ける。元の起因がイズルートの幼い頃に負った"病気"にあること、その病気は極めて特殊なもので、少年の体は薬で均衡を保っていたこと、キメラにその血を使うと爆発的な力と再生力を付加することになり、ジェイはそれを利用していたのだと教える。

些か変則的だが呪いを病気に置きかえたのだ。サカズキが商会の者で、正式にドネヴィアへの協力要請がきているのだとルーカスが補足してくれた。

「ジェイとイズルートが一緒にいることは間違いないでしょう。ですから、彼を刺激するとこの間の数は比にならないほどのキメラが出てくる事になるかもしれません。行動は自重するように。・・・今日だって間に合ったからよかったですけど、次もそうとは限りません」

「・・・先生、質問」

「はい。ネヴィル」

「イズはわかっててジェイについてる?」

これには押し黙った。様々な憶測はあったが、結局の所アリシアは感じた事を素直に口にした。

「違うと思ってましたけど、多分そうでしょうね。あの子正気を保ってましたし、前のような無条件の絶対的な信頼も・・・おそらくないでしょう」

「どうして従ってるかはわからない?」

「・・・ええ、まだ原因を考えてる最中です」

アリシアがジェイの名を口にしたとき、イズルートにはわずかな迷いと陰鬱さがあった。以前のように盲目に従うだけなら、そんな表情をするわけがない。

「説得はしてみます。だからもしイズルートを見かけても、すぐに逃げて欲しいんです。今のあの子とまともに話ができるのは私かサカズキだけです」

「それって先生とサカズキさんって人も、その"病気"もちだから?」

ずばりと切り出したのはヨアヒムだった。アリシアは面食らったようだが、隠すことはしなかった。
なにせ庭での一件を見られている。ええまあ、と適当に言葉を濁した。

「私たちは・・・こういうのも何ですが"慣れて"いますけど、イズルートは心の抑制がとれてない。これは非常に危険なんです。特にイズルートの場合、幼い頃からかなり毒されていたようですから、バランスもとれないんでしょうね。・・・ちゃんと統率をとれるのならいいんですよ。要は気持ちの問題で」

「それは先生を見てればわかります。ね、兄さん」

「うん」

明るい調子に安心しながら、アリシアの心には一抹の不安も生まれていた。イズルートとまともに話ができるのは自分たちだけといったものの、確たる自信はないのだ。ジーンが「あ」と声を上げた。

「先生、お家は使えないみたいですけど・・・今日はどうするんですか?うち、まだ余裕がありますから来られます?」

「あ・・・そうですね。お言葉に甘えようかな・・・一度、ホテルに立ち寄ってからでもいいですか?向こうにも連絡先を伝えておかないといけないので」

「ええ、かまいません。・・・じゃ私たちは先に帰ってようかな」

それから今後の方針についてもいくらか話し合った。このとき、ハーウェイやイルニアがイズルートと出会ったときの様子について克明に説明している。

全員、イズルートを助けたいという気持ちもあるので、黙って指をくわえてみている事はできないのだろう。肝を冷える思いをさせられるのなら、いっそ内に加えて把握しやすいようにしておきたいとアリシアは考えたのだ。

それはいつかのルーカスの行動といっしょのものだったのだがアリシアは知る由もない。
ただ失くしたくないなと、もう一度強く願った。


そして実を言えば、少年少女はそうあっさりと納得していたわけではない。

「よかったの?」

たずねたのは先にルーカスの家を出ていたネリィだ。
その意味合いは他でもない。アリシアの話の内容についてだった。彼らとて"病気"なんかではなくもっと違うものなのだと理解できている。だが、イルニアは笑っただけだった。

「いいんですよ」

アリシアと会う数日前から本当の話を聞きたい、と願う面々を説得していたのはイルニアとヨアヒムだった。

「心の重荷を無理矢理聞き出しても、良い結果など招きません。いつか先生が話したいと思ったときには話してくださいます。・・・悪い人じゃないと、わたくしたちは知ってるでしょう?」

「うん。ないがしろにはしなかったし、ある程度は話してくれましたもんね」

「ええ、ルーカス先生の言う通り」

地面の石ころを蹴り上げて、遠くへ飛ばす。なんとなしに石ころを眺めながら、ハーウェイがつぶやいた。

「うまくやれてるかね」

「どうかしら。意外と弱い・・・っていうか甘いみたいだし。ああしてみると結構なさけないのね、男の人って」

「ジーンさんもそう思われました?」

「それは・・・ねえ。入ってきたときの、あの間の抜けた顔みたら誰だってそう思うわ」

「ジーン、よかったの?」

「・・・ん、いいのよ。あんなの見せつけられてたらどうしようもないじゃない。ネリィだってそう思うでしょ?」

「あ。うん」

どこか拗ねるようなジーンだが、面白がるような響きも含まれている。同意を求められたネリィもぽおっと頬を赤くした。ヨアヒムが手のひらの中で小さな人形をもてあそんでいた。横からオルゴットが人形を奪うと、奇抜なデザインに思わず顔をしかめる。

「いいな。僕も見たかった」

「だな。損した」

「おまえらなぁ・・・あの時は一応命がけだし、先生も死にかけだったんだぜ?」

「無事だったからいいじゃない。でもセンセ達、やっぱりそうなったね。一、二・・・あんまり倍率変わりない」

「ばーか。まだ決まってねえよ。おっさんがしくじるかもしれないし」

「駄目だね、センパイは鈍い」

「はぁ?」

オルゴットにニヤリと不敵な笑みを向けられると、何故だかぎくりと背筋が伸びた。どことなく青年をよく弄ぶ少女のいたずらっぽい笑みと似通うものがあったからだ。二人を尻目にネリィがいいなあと小さくつぶやいた。

「わたしも恋してみたいな」

「敵はネヴィルに食券十日分」

「わたくしは二十日分で」

「あう」

どちらにせよ、なんでも賭けの対象に持っていくのはやめて欲しいが、止めて聞くような友人達じゃないと知っている少女は、兄について全く否定ができないなあとほろりと涙を流した。







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