「・・・・・・」

小さく身じろぎをしたあと、アリシアはゆっくり目蓋を持ち上げた。

視界は霞んでいるが、ぼんやりしていると見慣れた天井に焦点が合い始め、彼女をのぞき込んでいた深い藍色へ像を結んでいく。

藍色は好きだと思う。夜に近い色で、暗闇のように暗すぎもせず、明るく眩しすぎもしない。子供みたいだけれど、あまりに眩しいと拒絶されてしまう気がして不安になる。

意識がはっきりしだすと、呼ばれているらしいと気がついた。次第に頬へあたる指の感触も鮮明になってくる。視界を取り戻し、焦点を結んだ先はルーカスの瞳だった。アリシアは上半身をだき抱えられている。

目が合うと、険しかった表情に綻びが生じた。

喜んでいる。
なんで喜んでいるのかわからなかったが、彼が喜んでいたのならアリシアは嬉しい。廻された腕の力と強い抱擁に苦しいと感じたのはささやかな問題だった。
心地良さに瞳を閉じそうになるが、手のぬかるみが気になって腕を持ち上げた。


袖から肘まで血を吸い込み紅く染まっていた。


遠くでは誰かが横たわっている。たくさんの人に囲まれた中心にいるのは褐色の肌の人。
顔はこちらを向いていたからすぐにわかった。目はうつろににごり、口は半開きのまま、それ以上感情をあらわにする事はないのだろう。


嗚呼、と心が嘆く。


聞いてみたかった。
いつかまた再会したときに、彼がたくらみを成功させ、少年がどれほど驚いたのかという。そんな、ちょっと意地の悪い話を。





************





少しひんやりとした風がアリシアの頬や髪を揺らしていた。眼前にはドネヴィアの街並を照らす灯りがぽつぽつと宿っている。ベランダの枠に両肘をつき、手のひらに顎を乗せていた。

後ろで相変わらず壁に背を預けている男へ話しかる。

「面倒ごとは避けると思ってました。どういう風の吹き回しですか」

「信じるかどうかが問題だな」

「へー・・・なんです。それ」

「単純なお節介だ。君の事を心配している」

「そうですか」

気の抜けた返答だった。感銘を受けなかったというよりは、上の空らしい。見上げた月は欠けているが、目映い明かりが周辺の空までも染めていた。全身に月光を浴び、過ぎった過去に胸を微かにざわつかせる。

太陽とは違う月のしとやかな、ほの暗い明かりが心地よかった。

「薬はどうなっている?」

「ほとんど問題ないですね。もう薄れてきていますから、朝までには消えるでしょう」

「そうか・・・たしかに治りが早いからな」

「?」

「再生力も落ちているだろう。あの傷では死ぬかもしれんと思ったからな」

「治癒魔法でしょう?」

「・・・我々に治癒は効かんぞ?」

「え?」

思わず顔を上げたアリシアに、意外そうな顔をした。

「あれは体内の魔力を使って代謝を活性化させ、治癒を促すものだからな、魔力がない私達のようなものには無用の代物だ」

「そんな筈は・・・」

「その分、自己再生力が優れている」

つい最近、ルーカスに手を治してもらっている。そんな筈はないのだが、嘘をついているようには見えない。
かぶりを振って、元の姿勢に戻った。サカズキにわかるわけもない、本人に聞いてみれば良い事だ。

強い風がベランダを吹き抜けた。髪が肌を撫でくすぐっていく。心が澄み渡るような良い晩だった。

「・・・サカズキ」

「なんだ」

サカズキは静かで、どことなく穏やかだった。振り向いていれば、世の無常を悟った達観の瞳を見ることができただろう。やけに透明で、この世ではないどこかと向き合っているかのようだった。

「人って怖いですね」

「そうだな。人間と深く付き合うようになってからよく言われる」

「なんて?」

「『怖いものなどないのだろうな』と」

互いになんともいえない沈黙を共有し、苦笑いを零した。軽やかな笑いは空気を介して伝染し、サカズキもふっと口角を持ち上げる。

「いっぱいあるんですけどねぇ」

アリシアたちは決して強者ではない。確かに力を持っている。不老であり、圧倒的な力を有している。人にとっては喉から手が出るほど欲しいものなのだろう。

けれどアリシア達はどこまでいっても弱者なのだ。

個としては強いのだろう。では社会的立場で見ればどうだろう。

社会を、政治を変えられるわけではない。自分たちが強者と呼べるのならば、何故各国の主は人間ばかりなのだろうか。

理由はとても単純すぎてどうしようもない。刀の主はコミュニケーション力が低いのだ。彼らの生はあくまで孤立が大前提とされている。

独り生きていけるのならそれも良い。だが人でない存在に変化し、また変化しかけているとはいえ彼らは元々『人』なのだ。どんなに影響が深くとも『個』としての人格や情感が失せているわけではない。

「時は恐ろしいな。我々を使う術を見つけだそうなど、数百年前は想像がつかなかった」

「爺らしい感想をありがとう。ではなんとしても止めないとね・・・背中から斬りかかるのはやめてくださいよ?」

「案ずるな。不意打ちは好まない、真正面から堂々と挑むのが好きなのでな」

「それに彼を逃しては争いどころではないですものね」

「そういうことだ」

回りくどい会話だが、堂々と「背中を預ける」といえない所が彼ららしかった。そうして二人は、やっと手を組み背中を預けることを了承したのだ。

異例の事態だが、不思議と以前のように警戒することはない。敵の敵は味方というべきだろうか、根底にある"核のようなもの"もそれ以上の危機を感じ取っているのかなと勝手に解釈した。

「・・・まあ、"あの人"もそれは嫌がるだろうし」

天上天下唯我独尊を地で持つ性格だ。深い意味ではなく、言葉通りの意味で。


遅れたが、ここはドネヴィアを象徴する城の内部だ。あれから騒ぎを聞きつけ、通報されていたらしい。内部の惨状にタルヴィスが直参し、白獅子が借り出されたのだという。


アリシアたちは重要参考人というわけだ・・・と、先ほどサカズキに聞いた。

とりわけ、キメラをけしかけた犯人となっているジェイと抗争をはじめたサカズキと、事情を知っているアリシアは警戒されているらしい。

らしい。とばかり続くのは、アリシアが先ほど目を覚ましたばかりで、詳しい情報を持っていないからだった。

次に目を覚ましたときは見知らぬベッドに寝かされていたのだ。

身長以上の高さがある大きなガラス戸からベランダに出ると、夜風と素晴らしい景観に目を奪われ、ぼうっとしていたところにサカズキが現れた。

「イズルートは来ると思いますか」

「来る」


グ・ナーハは駄目だった。


寸分狂わず心臓を傷つけられていたらしい。治癒しようとした段階ですでに事切れていたのだと教えられていた。イズルートは逃走しているが、少年の刀はサカズキが所持している。

彼の亡骸は火葬にされ、家族のもとへかえされるのだと教えてもらった。

「切っても切れん存在だ。部下に探らせているが、街中で事件は起こっていない。かくまっているのはジェイ以外考えられん、組んでいると見ていいだろう」

「部下?」

「まあな。それよりあのイズルートだが、期待はするな」

「・・・」

「毒されているのは間違いない。元に戻す術もわからん」

「わかってます」

いつかと同じように闇に紛れ気配が消えた。
アリシアも変わらず外を眺めるだけだ。寝間着が風に揺れていた。

「しまった」

寝やすいようふんわりと薄い生地で作られている寝間着はワンピース型のスラリとした形で、肩も露になっている。女性としては異性に見せる姿ではないと今になり思い至ったのだ。

だが、まあいいかと嘆息ついた。その心配は男性にするべきであり、サカズキはその対象内には入っていない上、意識する相手でもない。

「異性かー・・・。・・・・・・・・・」

そこで突如ばっ!と顔を伏せ、頭を抱えた。
伏せながらあああ、だとかううう、だとか意味不明の単語をひととおり羅列し終えると、今度はしゃがみ込むとダンゴ虫のように丸くなりうめく。

普段の姿からは想像つかない、イルニアあたりの少女達がいれば、悪魔の如き満面の笑みでも浮かべたに違いない光景なのだが、幸い周囲には誰一人いないため、アリシアの姿は目撃されなかった。

「どうしよう」

髪をぐしゃぐしゃにかき混ぜた頬は、真っ赤に染まっていた。明るければ頬のみならず首や耳元まで紅潮させていたのがわかっただろう。
その原因は一つしかない。

目が覚める前のさらに一つ前を思い返す。
たしか一度めがさめて、もう一度眠りについた。その時の話だ。

「抱きしめられた・・・ような」

寝間着をぎゅっと掴み、目を閉じた。冷静になれと叫んでみたが、やはり無理だった。そもそも極度に耐性が低いのは自覚している。どうしろと自分で突っ込む始末だ。

これが夢とかアリシアの妄想、あるいは幻想だったらまだいい。いや、やはり大いに問題はあるのだが。
重要なのは、それを嫌ではないと、あまつさえ嬉しいと思わなかったかと自問自答しているのだ。

「あははははは・・・・・・は」

力ない笑いが喉から流れた。完璧に壊れているのだが、やはり一人のため突っ込む人間はいない。丸くなる力も削がれたのかぺたんと床に座り込み、両腕から力が失われた。

嫌ではなかった。

下唇を噛み締める。
長い時間そこから動く事はなかった。







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