ルーカスが合成獣だと叫んだものは、サカズキの敵ではなかった。 ジェイの代わりに斬られたキメラは肩から腹までばっさりと刀が入り込んでいるが、抜くことはしなかった。逆に刀身を掴み、固定した所で鋭い爪を立てようとしたのだが、サカズキはキメラの握力などものともせず、力任せに胴を薙いだ。 アリシアは生々しい血と臭いに嘔吐するグ・ナーハの背を撫でながら、窓から侵入してくる新たな二体に一瞥をくれる。 手元には布に覆われた紅があるが、ここにジェイはいない。 「サカズキ、任せます」 「仕方がない、守ると約束したからな。グ・ナーハをイズルートに近づけさせるな」 「隣家に行きたいんですが・・・」 「間違って刺激するつもりか?」 「・・・わかりました」 庭ではルーカスが時折垣間見れる。苦戦はしていないようだが、怪我はしていないだろうかと気になってしまうのだ。ドンっ、と床が大きく揺れた。ゲーツェがいるとはいえ、隣家も心配だった。 だがサカズキの言葉通り、アリシアにとっての当面の問題は端で呆然自失になっているイズルートだろう。 肩から力が抜け切っている。飛び散った血を浴びてから"ああ"なのだとアリシアは知っていた。 少なくとも指は青色の鞘をもつ刀を手放さそうとしない。 うつろがかったような症状は熱に浮かされたようなもので、自意識がない分、抑制が効かない。 ふとした弾みで鞘を引き抜いてもおかしくないのだ。もしものときはアリシアが紅で止めなくてはならない。 そのサカズキはキメラの首、脚、果ては腕の関節をバターを斬るかのようにさっくり解体している。実につまらなさそうだった。ただのグロテスクな光景にしか見えないが、必要な事なのだろう。 アリシアは刀と鞘を使い、手数と防御も兼ね備えたスタイルを持つが、サカズキは両手持ちをとり一撃必殺に重を置いていた。やられる前にやるといえば早いだろうか。 「木偶だが面倒な性能ばかりついている」 一撃の重みが激しく、苛烈だ。 キメラの爪がサカズキを襲うより早く、横より振り込んだ刀が激突する。力と力の拮抗が続くと思われたが、横からもう一体も機を逃さんと、喉笛を食いちぎらんと迫っていた。だがサカズキは避けなかった。 のみならず、前に出た。 踏み込みつつ、わずかに身を捻って腕を持ち上げた。角度が変化した刀は、刺突のように一体目の肉体めがけて刀を突き立てられる。 空いた空間を二体目の爪が掠める間に、サカズキの腕には力が込められている。力任せに腕を振り下ろすと、肉と骨の壁ごと縦に切り伏せられた。 いくらなんでも無茶な使い方だが、あの刀だからこそできる芸当だろう。 飛び散る血が床や壁を汚すたびに、アリシアから深いため息がもれ出る。瞬く間に二体の始末を終え、再生が始まらないことを確かめると「つまらん」とつぶやいた。 「外は・・・」 「俺のほうは終わりですよ。隣も総長がいます、大丈夫でしょう」 「あ」 二丁の銃を持ったルーカスには傷一つない。無事な姿にアリシアの心臓が大きく跳ねた。 「よかっ」 「答えてもらいたい」 そのままルーカスの腕は、銃口と共にサカズキへと向いていた。 ジェイを見つけたときより比にならない。今度こそ全身から血の気が引くのを感じる。思わず身を乗り出したが、ルーカスから紡がれた憎悪の方が早かった。 「十二年前のハーラン領虐殺だ。お前が殺したのか」 「またそれか」 ここではじめて、サカズキの瞳に興味が宿った。ルーカスには明確な殺意が込められているが、サカズキは動じない。 「その手の問いに嘘は答えないようにしているのでな、教えよう。・・・それは私が手を下している。だが子供と逃げたものだけは見逃した。敵から逃げ切れたどうかは知らん」 「味方の傭兵もか」 「すべて・・・とは言い切れんな。私が反旗を翻した時点で死んでいたものもいた」 「なら手前だな」 ぞっとする声だった。 憎悪と殺意に慣れているアリシアでさえ居竦み、本能的に目を逸らしてしまいそうな恐怖感。 いつもの澄まし顔でのらりくらりと、だらしなく構えている彼からは想像もできない風格だった。各方面で恨みを買っているという話の意味が、分かった気がする。 「ほう?」 サカズキの興が完全にルーカスに奪われた。だめだ、とアリシアが立ち上がろうとしたところで乱入者が現れる。ジーンやネヴィル、ハーウェイたちだ。 彼らは室内の惨状に息を飲んだようだが、彼らの参入はアリシアにとって思いがけない救いだった。 この状況を見てもイズルートの安否を確かめようとする気概は立派なものだが、それには厳しい一声で遮った。 彼らを押し留めながらしっかりしろと、自分に渇を入れる。 「・・・サカズキも、今の状況が分かってるでしょう!イズルートをどうにかしなさいっ」 「かまわんが、この男をどうにかしてもらいたい」 「・・・その人は大丈夫だから。イズルートを早く診て」 血が足元を浸したが構うことはなかった。銃を下ろさないルーカスだが、先までの酷薄さは消えうせている。なるべくゆっくりと腕に両手を伸ばして触れた。 「・・・事情があるのはわかります。けどお願いです、やめてください」 搾り出した声は、か細かった。あのままジーンたちが来なければ、間違いなく火蓋が切って落とされていた。人の死は見たくない。 切実な願いにルーカスがどう感じたかはわからないが、彼は腕を下ろしてくれた。 サカズキもそれでやっと引いてくれた。それでもさりげなくルーカスから離れなかったのは、二人の気が変わらないだろうかと心配していたからだった。 焦点の定まらない少年の目前に屈強な男が立ちはだかった。 見下ろす瞳はどこまでも冷静であり、観察を怠らない。 「イズルート」 反応のない少年を、広い手がぺちんと叩いたがそれでも反応はない。 「・・・深いな。この血で完全に内側に入り込んでいる。壊れて以来こういった状況はなかったらしいからな、場合によっては"アレ"を直視しているかもしれん」 「そ、それまずくないですか」 「だろうな。状態によっては記憶を戻すかもしれん。それだけなら良いが最悪暴走だな。元々精神面が弱い、呑まれる可能性は十分にある」 アレとは明確なものではないが、簡単に言ってしまえば昼間アリシアが体験したような状態の事である。重みでいえばあれの半分も満たないだろうか。 "あの人"に会うようなことはそれこそないが、状態は似ている。 稀に起こる現象で、刀の主を蝕む呪いの『核』のようなものに触れるような感覚なのだが、これがまた非常に不愉快なのだ。心を強制的に泥に浸され、侵されていく気持ち悪さ。時には悪夢という形で苛んだりもする。 アリシアやサカズキのように慣れて・・・いるわけではないが、心構えができているならまだいい。体現したことのない呪詛の塊に触れて、イズルートが正気を保てるかが心配だった。 「どうしますか?」 「君ならどうする?私の方法はあまり勧められんがね」 「・・・遺憾ながら、私の方法もお勧めできません。・・・試しにお聞きしますが、どんな手段ですか?」 「殴る」 「・・・・・・・・・骨は折らないでくださいね」 「善処しよう」 ショック療法が一番なのだ。少なくともそれ以外の方法をアリシア達は知らない。 刀を鞘に納めたサカズキは、左手でイズルートを殴りつけた。抵抗はないためまともに拳がぶつけられ、床に崩れ落ちた。 「イズっ!?」 「まだ」 まともに顔色を変えたグ・ナーハが駆け寄るもアリシアに抑えられるが、黙って従うグ・ナーハではない。じたばたと抵抗する。 「離せ!イズに何をするんだっ!」 「もうちょっとですから待ってください。多分もうじき・・・」 「・・・・・・ぁ」 イズルートが呻いた。意識が戻ったらしく立ちあがろうとするものの、足元がおぼつかずサカズキの腕に倒れこんだ。 「サカズキ・・・気持ち、悪い」 「・・・正気か?」 「そう見えますが・・・あっ」 緩んだ手からグ・ナーハが拘束を抜け出しイズルートの肩を抱き。何度も安否を確かめた。 イズルートの具合は悪そうだが、先ほどまでの様子はもう見られない。刀も殴られたときに手放していた。 「イズ・・・!イズっ・・・!!」 「うっ・・・」 「イズ!」 アリシアが血まみれの室内を見渡す。再生したとしても染みまで取り除けはしないだろう。 ここまでボロボロだと、どこから手をつけていいかもわからない。 アリシアは落ち着いているわけではない。諦観というのだろうか。 庭外からのざわめき。ようやく騒ぎに人々が動き出したらしい。外からルーカス達の名を呼ぶ声はアリシアも知っている人物だった。 リンディアの蕾に手を伸ばし、汚れ一つないことを確認しながら懐かしい血臭に胸躍る自分への自嘲を残していた。 ぼうっと辺りを見回したイズルートの焦点を結んでいく。サカズキとアリシア、そして最後にグ・ナーハへくしゃりと顔を歪める。 「・・・なんか、ごめん。心配をかけたみたいだ・・・ところで、これは・・・」 「いいんだ、気にしなくて良いよ。もう・・・終わったから・・・」 「頭が揺れるみたいだ・・・なんだ。変な顔だなグ・ナーハ」 グ・ナーハの声が震え、鼻をすする音が聞こえてくる。アリシアからその表情は見えないが、直視したイズルートは笑っていた。突然の出来事に驚いてはいるものの、グ・ナーハの心配振りがおかしかったらしい。ジーンたちも安心したらしく胸をなでおろしていた。 「終わりかな」 「始まりではなく?」 「・・・ひとまずは、ですよ」 サカズキは肩をすくめ、蒼い鞘の刀を回収すると庭へ出た。イズルートに大事がないと判断したらしい。 アリシアも静観していたルーカスに微笑みかける。 「出ましょう。ここは血の匂いが強い」 「アリシア」 「・・・あとにしましょう。今はあなたや皆の無事を喜ばせてください」 「・・・」 外の方へ、両手をあてて背中を押すと願いは聞き届けられた。アリシアは振り返り、イズルートたちにも外へ出るよう促したが、グ・ナーハは動こうとしない。相変わらず泣いていたのだ。背後から肩を叩いて再度促す。 「行きましょう、ここは場所が悪いですから―」 前触れもなく、グ・ナーハの体が痙攣した。右手が弱々しく宙を掻き、垂れ下がる。 その瞬間、感覚という細胞一切がアリシアから取り払われ、赤銅色の義眼が目の前にある光景を無常に映し出す。 金魚のようにぱくぱくと口を動かしたグ・ナーハが、細い瞳孔を目いっぱい見開き、少年への問いを口にしていた。その瞳に宿る感情は一つだけ。たった一つだけの簡単なものだ。 「な・・・・・・ん、で・・・」 掠れた絶望の声は弱々しかった。グナーハの双眸から涙が溢れ出、唇の端から出る涎には血液が混じっている。それでも唇は動くのを止めない。考えることを止めた脳は一瞬を永劫に感じさせた。 「あ」 目が離せない。どうして、何故とよぎる中で、こんなのは何度だって目にした光景だと肯定した。だからこそおかしいではないか。 彼の心臓に、手が刺さっている。 引き抜かれた手は赤黒い毒をまとっていた。その残滓が頬に飛び散る。 仰向けに沈み込むグ・ナーハ。アリシアの視線は青年へ突き刺されていた指先から肘、腕の付け根へ追っていた。 順を辿り行き着くのは顔だ。 無垢だった瞳は嗜虐的な光を宿し、唇の両端が満足げにつりあがっている。 水音とどたん、という体が倒れる音に周囲も気付いた。近くにいたルーカスが身を翻すも、伸ばされた腕はすでにアリシアの腕を掴んで引き寄せている。 抵抗する間もなく、赤銅色の髪が大きく波打った。 ゴフッと唇から鮮血が流れる。アリシアの腹に、イズルートの指が吸い込まれていた。 それでものめり込む指を掴み、力を込めたが、途中で背中から叩きつけられ崩れ落ちる。 伏した面を上げると、少年と視線が交差した。 これは一体、"誰"だ。アリシアの知っている少年はこんな冷たい目をしたことがない。 だがそんなことより、やらねばならないことがある。 床を這い、倒れている人へと手を伸ばした。 ――・・・うん、そうだね。僕は受け入れてるよ。記憶をなくす前のイズルートも、今のイズも。 ついさっき聞いた。 彼は倒れてはいけなかった。彼には役割があるのだから、そんなことは許されない。 早く治療させないとという一心で手を伸ばす。まだ間に合うはずだと言い聞かせるのに、どういうわけか目頭が熱い。 アリシアと違って、脆い彼らは――。 半開きの唇はわずかに、ほんのわずかだけ開閉していた。閉じない目蓋、見開かれた瞳孔が涙と共に輝きを失っていく。流れ出てしまう、かがやきの正体をアリシアは知っている。 認めたくない、けれど誰よりも強く感じてしまう。咳き込むと、鉄錆の味が口内に広がった。 ――ホントに秘密だよ?いつかイズに教えて吃驚させるつもりなんだから。 いのちと、言うのだ。 |