週明けの日は部室に入るなり全体がピリピリしていた。

ジーンは傍目にもイラつき、ルーカスは机に倒れこみながら力尽きており、何故か部室に居るジラは目に隈を作っている。

全体としても平和と調和を求め、薄笑いを保っていたが、事情を知っているらしいハーウェイらは口元が痙攣し、頬は引きつっている。

場の空気を切り裂くのは、ペースをのっとる事に定評があるイルニアである。

これみよがしにあからさまなため息を吐いた。

「ふぅ・・・ルーカス先生?ジーンさんやジラ先生ならともかく、そんな表情をされても可愛くもなんともありませんわ・・・」
「・・・お前ね。知ってるくせによくもまぁ・・・」
「ネリィさん、わたくしにもお茶のお代わりをいただけますか?」
「僕等にも」

スプーンをかき回せばザリザリと音を立てそうなほど砂糖を注ぎ込む。ネリィの無念そうな表情にも慣れっこだった。

「そう言われましても・・・。ねえハーウェイさん?」
「まぁなー。俺にゃどうしようもねー」
「加えて言うならわたくしにも」
「どうにかして頂戴よぅ。あたしには無理だわ・・・」

なぜジラがいるのかと問えば「ココの方が数倍マシ」という意味不明なことしか言わない。
いつも綺麗に整えている化粧が心なしか崩れている。
背もたれにだらりと身体を預け、天井を見上げるように頭を傾けていた。

3者とも、それなりに図太い神経の持ち主である。いったいどれほどの重圧を課せばこのようになるのだろうか。

傍らではジーンが半泣きでネリィにすがっている。

「ネリィ・・・今日はそちらに泊めて・・・お願いよ。もう、無理、私無理・・・。我慢ならないの・・・。少しだから大丈夫だと思えたけど駄目・・・!」
「落ち着いてってばジーン」

こちらは様子からするに別件らしい。それぞれが自分達のことで精一杯なのか、お互いを気にする余裕がなかった。

首を突っ込むならどちらにするかと・・・考えるまでもない。即決で自らの生徒に話しかけた。

「ジーン・・・何かあったんですか?」
できるだけ優しく声をかける。
「アリシア先生・・・」
「何かあったのなら相談に乗りますよ・・・?ほら、可愛い顔が台無しですし」

自然に動かした手はジーンの目頭を丁寧に拭っていた。
少女からじわりと涙を溢れだした、そのままアリシアに抱きつきわんわんと泣き出したのである。

同時にあちゃぁ、と顔をしかめたネヴィルとハーウェイがお互い競って部屋の隅に寄って避難した。

「もう、いやなんですっ」

パンパンパン!

破裂音に目を向けると、周囲が火花を散らしながら、爆発を繰り返している。
ジーンが声を高くすればいっそう激しくなることから、彼女の感情に合わせてこんなことになっているらしい。

ネリィと二人してどうにかジーンを宥めた時にはあちこちに焦げ目がついている。

「・・・婚約者が、来てるんです」

ぽつりと小さく洩らした発言に、ネリィ以外が目を剥いた。

「ジラ、知ってたか?」
「初耳だわ。あの孫馬鹿ったらそんなこと一言だって言ったことないわよ」
「当然です・・・私の両親が勝手に決めてきたんです」

孫馬鹿、というのは本人も否定し難かったらしい。

「ジーンのご両親は国外にいらっしゃいるんです。外交のお仕事をしていらっしゃってて・・・」
丁寧にネリィが解説してくれる。
「私も初耳で・・・。もちろん断るつもりだったんですけど。そうしたら・・・」

唸って俯く。小さな肩が小刻みに震えていた。
傷ついているのだろう、無理もないことだと、一気に同情心がジーンに芽生えてくる。

ジーンはいわゆる上流階級の家柄に属する人間である。そういった人々は恋愛も結婚も、本人の意思に関係なく行われることも珍しくない。思い通りに行くことの方がまれであろう。

ジーンも利発な少女だから、理解できているであろうが、だからといって多感な年頃の少女が動揺しないわけがない。こと結婚など将来を左右する重要なことではないか。
どう言葉をかけていいのかわからずいると、下のほうでめき、と妙な音がした。

(めき?)

「あの野郎・・・こちらが強く出れないのをいい事に好き勝手言い放題・・・何度顔がくずれるまで殴ろうとしたことか・・・」

・・・床が。カーペット越しからわかるぐらいにはっきりとへこんでいる。現在進行形で。

「主があれなら随従はあんなのを放置してるし・・・ヨヴラの王族はどういう教育を・・・」
「あれ。ペイジェムの者なんですか?」
「もう一発いっておけ・・・え?ペイ・・・?ああ、そっか。はい、そうです」
「・・・また、随分遠い国から来ましたね」
「まったくです。いい迷惑です」

思い出したらまた腹が立ったのか目元が物騒になった。ネリィが慌てて落ち着かせるが、今度は別の疑問が上がったのである。

「先生、北国出身なの?」

まるで天使のような、という表現がしっくりと当てはまる、可愛らしい少年が小首をかしげていた。
「え?」
「ペイジェムは現地の人がよく使う言葉だよ、聞いたことあるから」

ヨヴラはエディルよりさらに北方にあたる大国になる。冬は寒さに厳しいことで有名で、現在は観光地として有名である。
アリシアが口にした呼称はヨヴラという国ができる以前、戦争時代に呼ばれていた地名のことで、周辺では未だに旧名の方が馴染まれている。
ヨアヒムが知っていたのが不思議だが、自分の迂闊さにため息をつきたくなった。

「友人がそう言ってたんですよ。移ったのかもしれませんね」
「へー。北にお友達いるんだね、すごい」

・・・ごめんなさい。そんなに純粋な瞳で私を見ないで下さい。

ズキズキと心が痛んでいると、ルーカスと目が合った。

一見落ち着いていた風に見えたのだが・・・鵜呑みにはしてくれないだろう。なんだかんだで聞いてはこないが、アリシアとしてはいつ以前の事件への様々な疑問を投げかけられるのかと、戦々恐々だ。

「・・・するのか?結婚」

ネヴィルの爆弾にジーンが癇癪を起こした。

「誰がっ!私もあっちもそんな気サラッサラないの!!・・・おとうさま達は滞在させる内にどうこうとこ思っているみたいだけど・・・私はいやよっ。そんなのに乗ってあげる必要ないもの」
「そうか」
「・・・ネヴィル。ねえ?そこは普通安心して笑うとかそういう場面じゃないの?なんでガッカリしてるのかしら?」
「貰い手がなくなっていき遅れになると心底同情を・・・」
「・・・ふ」

薄ら笑いを浮かべ、小競り合いが始まった。
いつものことなので、アリシアもここ最近は無駄だと諦め(とばっちりが他生徒にいくよりはここで発散してもらったほうが良い)何も言わない。

「二人は・・・大丈夫ですか?随分疲れてるみたいですけど」
「まーあれだ先生。おっさんもジーンと同じような状況なんだよ」
「・・・はあ」

少しばかり要領が得ないがそれ以上は、躊躇ってしまって聞くことができなかった。結局、細かな仕事だけを済ませると、騒ぎもないので解散となった。

「ジラさん、行きますよ」
「やだぁ。ここで寝るう」
「馬鹿いわないんです、みんな帰るのに残っててもしょうがないでしょう。大体あなた執行部担当じゃないんですから」
「ぶーぶー」

いい年して、生徒よりも大人気ない。一番年下のヨアヒムより扱いにくいとはどういうことだろうか。とにかく駄々をこねるジラを引きずっていくと、去り際にネリィが肩を叩いた。

「先生、今日のご飯何がいいですか?」
「なんでも、じゃ困りますよね。ジーンが来るのなら彼女の好物でも作ってあげれば元気が出ると思うんですけど・・・」
「そっか。そうします。早く帰ってきてくださいねー」
「はい。それではまた」
「はーい」

「いいなぁアリィちゃん。帰ったら飯!風呂!お前!な世界で・・・」
「・・・・・・最後のが気になりましたけど。別にそうでもないですよ。食事は当番制ですから」
「わかってないなー。双子、顔も進路も将来有望。おまけに生徒!・・・これを夢と言わないでなんて言うのよぅ」
「・・・わたし、ときどきあなたがわかりません」

アリシアはブラウディ兄弟の元で居候させてもらっている。
家のものがほとんど駄目になってしまい、また騒動が起きたことで居辛くなったということも相なって、新しい家を探していたのだが、ネリィが家にきたらどうか?と提案をしたのである。

はじめは辞退していたのだが、よくよく話を聞いてみると双子の家は一軒家に見える造りの2戸建てで、半分ぐらいで区別された造りになっているのだという。

見学に行かせて貰うと、確かに一軒家に見えるが通りに面した玄関は隣接して二つ。縦半分に割って分けたという家だった。

入ってみると綺麗に整頓された広いリビングとキッチン、階段を上がれば1階すべてを見渡せるロフトスペースにベッドと本棚が置かれている。

見上げれば充分に高さがあり、吹き抜けの天井と大きな窓。暖かな作りに一目で気に入ってしまい、その場で賃貸契約をしてしまった。
庭は共同になるが、特に今まで問題になったことはない。

後々双子の方の家に入るようになったが、そちらはリビングは似たようなつくりで、部屋は余分に多かった。
誰かに貸すとしても1人用のスペースだったから、丁度良かったと笑って貸してもらえたのだが・・・。

今まで住んでいたこじんまりとした部屋に比べれば雲泥の差だった。
ここのリビングの半分ぐらいで今まで住んでいたスペースは埋まる。時折自分の目を疑ってしまうときがあった。

あとはネリィの人懐こさから頻繁にアリシアの元へと通うようになったのである。お互い割と自炊を好むこともあり、一緒に作るようになった。

それからは食費の節約にもなるということでお互い差し支えの無いように当番制にして支度をし、晩餐を共にしていたのだ。
ネヴィルも別に悪い気はしていないらしく、腕を増したネリィの料理に舌鼓を打っている。

これが週末あたりになると執行部面々かルーカス親子がふらりと現れては土産を置いて去っていくのが習慣だった。

「んふふー。あたしも今度お邪魔しよっか・・・なー・・・?」
「どうかしました?」
「・・・ごめん。今すんごくイヤなものが・・・」
窓から身を乗り出して外をじぃっと見たかと思えば、次の瞬間教員室に駆け込み情けない悲鳴を上げた。

「ルッ・・・・・・ルルルルルーカスぅぅぅぅ!」
「・・・やめてくれ。今そんな声を聞くと思い出したくないものが浮かんでくる」
「きっ、来たーーーーー!来てるっ!もうなんか来てるっ!!」
「は?なに・・・」

ルーカスの表情がくっきりと変化した。
生気が消えていた表情は、突然勃発した嵐に息を呑み、足に物がぶつかるのも厭わず後退、
苦笑し続ける主任に「後は任せました」と姿を消した。
理解できないまま立ち尽くしていると今度は廊下が騒がしくなった。

「クレスウェル先生。ご自分の席に座って、じっとしていて下さい」
ノーマがやんわりと促した。すでにジラの姿もなくこの場には主任とアリシアしかいない。
大人しく腰をかけ、明日の準備をしていると控えめなノックが戸を叩いた。

「失礼いたします」

丁寧な男性の一声に遅れて、恭しく入ってきたのはまさしく執事といった風体の男性。
場違いもいいところのような気がするのは間違いではない。そして呆気に取られた。

「突然の来訪お許しくださいませ。こちらにロス様はいらっしゃいまして?」

開いた口が塞がらないとはこのことかもしれない。
まさしく「花が咲き乱れたかのような」、「色とりどりの宝石が嫌味にならないくらい似合う」二十台ほどの際立って美しい婦人であった。髪留めできれいに結い、さらりと流した青銀髪に色香が漂っている。

少々たれ目がちな目元と泣きホクロが印象的だった。
大きく胸元を強調したドレスはこんな所で着る衣装ではなかったが・・・似合っているのでなんともいえない。

「お久しぶりですイーグレット様。ルーカスなら出払っておりますよ」
「あら・・・ではジラは?」
「彼女もです」
「逃げ足が速いこと・・・」

口調からしても高貴な人だとすぐにわかる。実用的とは言えなさそうな扇子をパタパタと仰いだ。

「少しお待たせさせていただいてもよろしくて?あたくしルーカスに話がありますの」
「・・・外来でしたら学長の許可を」
「ご安心くださいませ。もう取ってありますわ」
「そうですか。では隣の来客室にどうぞ。ルーカスが来たらすぐにお知らせを・・・」
「いいえ。ここでけっこうです。・・・いざとなったらあたくしに気取られないように去ることなんて、簡単にできる人ですもの。荷物の一つや二つ見張っておかないと捕まえることなどできません」

けっこう彼の人間性を見抜いているらしい。なにもこんな美女から逃げなくてもいいのにと思っていると女性と目が合った、一瞬目元がピクリと動いた。

「名前は?」
「・・・はい?」
「あなたのお名前は?」
「クレスウェルですが・・・」
「そう。クレスウェルさん、お隣失礼するわね」

極上の笑みでしずしずとルーカスの席を陣取った。
目は笑っていない美女の微笑はそれだけで迫力がある。

女性の後ろに影のように寄り添っている。
アリシアはというと、当然だが居心地が悪い。しかしそれを告げ、どいてくださいと言うわけにもいかず、違う教師の席を借りる事にした。

途中、戻ってきた教員が入るなりぎょっと美女に目をむいたが、彼もまた事情を知っていたらしい。これは関わったらやっかいなことになるといった面持ちで、なにもいわず沈黙を共有した。

1時間ぐらい待っていただろうか。もう夕食できたかなーと関係ないことを考えたとき、美女がぽつりと呟いた。

「・・・意地でも出てこないつもりね」
苛々と親指の爪を噛み執事にたしなめられる。
「お嬢様、そろそろ・・・」
「わかっていてよ。時間だというのでしょう」
「は・・・」
「・・・引き上げます。ノーマ様、大変失礼いたしました。御機嫌よう」

流暢な仕草で立ち上がり、出て行きかけたところで振り返ると念を押し、とんでもない発言をした。

「ルーカスによろしくお伝えください。あまり妻を待たせるものではないと」
「つ・・・」

妻!?
予想外の言葉に驚いたものの慌てて言葉を飲み込んだ。

・・・ということはこの女性、イオの母親なのだろうか。言われてみれば似通っている部分が多少なりともあるが、それにしたって若すぎる。
匂い立つ艶やかな笑みを一つ残し、貴婦人が去っていくと、ノーマが窓に向かって話しかける。

「いい加減相手をしてあげたらどうだいルーカス。あれじゃ可哀想だと思うよ」
「主任・・・可哀想なのは俺です・・・」

窓からとルーカスとジラが入ってきた。
ここは2階である、まさかずっと居たのだろうか。

「アンタが真面目に相手をすれば全部事は済むのよ・・・」
「嫌だよ、話が通じないの知ってるだろう」
「・・・そうなんだけど」
ものすごく不服そうだった。

「あの、奥様じゃないんですか・・・?」
信じきってしまっているアリシアに脱力してしまう。

「・・・・・・・・・真に受けないで下さい」
「婚約の約束をしているなら遠からず正解じゃないのよ」
「不可抗力だ」
「どーだか。アリィちゃん、あの人がいる時はルーカスに近寄っちゃ駄目よ。目の仇にされちゃうからね」
「わかりました。けど、なんでそんなに嫌なんですか?綺麗な方だと思うんですけど」
少し突っ込みすぎた質問だったかと思ったが、3人は顔を見合わせると頷いた。

「事情は説明しておいた方がいいね」
「先生」
「アリィちゃん」

ルーカスとジラが同時に、肩を叩いた。颯爽とした笑みに今度はアリシアが固まる番だった。

「すみませんっ。ネリィが待っているので早く帰らないと!」
「そうですか、帰り道は一緒ですね、いやあ近所っていいですな」
「付き合うわ。さあ!帰りましょう!」
「主任!助けてくださ」
「お疲れ様〜」

唯一の救いであったノーマはハンカチを揺らし、にこにこと見送る体勢にあった。
口が「がんばれ」と小さく形作る。もう一人も同様で、苦笑するばかりで助けてくれようとはしない。

「また明日」

ほとんど引っ張られるように連れ去られるアリシアには心の中で謝っておいた。
明日のお茶請けには彼女にだけ少しサービスしておこう。

「・・・恒例のことだしなぁ」

しばらくは騒がしいだろうが時間が経てば収まるだろう。

それが今回に限って、泣くわ騒ぐわ暴れるわの大騒ぎになることをノーマは知らない。

知っていたら絶対に止めていただろうが、生憎と彼は予知能力を持っていなかったので、この後に事件が発生しようなど考え及びもしなかった。


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