遠目から屋敷に騎士が入ったのだとわかった。 相変わらずどしゃ降りは続いている。 こんな日はわざわざ空を見上げようとする人は少ない。 屋根と屋根、木を飛び移りつつやってきたのは多くの貴族の屋敷が立ち並ぶ一帯だった。 目的の人物を見つけ、1人になった頃合いを見計らうとそうっと近づく。 「どうやっていらしたんですか」 振り向きもしてないのに。 壁に寄りかかったまま、ルーカスは見えない人物へ問いかけた。 不思議と驚く事はなかった。気付いてるような気はしていたのだ。 他の人間がきてもそうわからない位置をとると、丁度お互い背中合わせに近い形になる。 「あなたは・・・魔法を使えないはずでしたが」 「秘密です」 「・・・ま。あなたが何者なのかは、この際どうでもいいでしょう。何か聞きたいんですか」 「ミアは見つかりましたか?」 気がかりだった子供の事を真っ先に確認した。 「カレラスが見つかった以外はもぬけの殻でしたね。今は別宅と、他に所有する屋敷を探してるところです。あなたこそ知りませんか」 「ミアのことはわかりません。・・・彼に聞けばいいのでは」 「いやぁ、見つかったのは見つかったんですがね。多分カレラスだろう、ということだけでして」 「多分?」 その言い回しはおかしい。どういうことかと口を開く前にかわらない口調で。 「首がないんで、判別付かないんですよ」 教えてくれた。 「な・・・」 「身体的特徴からおそらく彼だ、ということだけでして。―――大丈夫ですよ。カールだけなら時間の問題でしょうから。でも俺も心配なことがありまして。アリシア、カールの元にあの男はいると思いますか」 予想外にことに動揺が隠せなかったが、質問に気を取り直す。 「どうして私に聞かれるのですか」 「回りくどいことはよしましょうよ。ミア「は」わからないけど、あの男のことはわかるんでしょう。ほら、アリシアがお持ちになってた刀(けん)とあの男が持ってた妙な得物とか似てたり」 「わかりません」 続きを遮るようにきっぱりと言い切った。 が、その後ためらうかのような気配をみせる。 「けど、人に従うような人間には見えません」 「俺もそう思います。金で動く人間には見えない。・・・きまぐれかな?」 「私にはなんとも。・・・ルーカス先生、お聞きしたいことが」 「今は教師としているんじゃないんですよ。俺もあなたを名前で呼んでるでしょう?」 「・・・ではルーカス。あの男が滞在していそうな場所はわかりますか」 なんとなく気まずいけれど。学園で出会うときと様子が違うルーカスと話すのは嫌いじゃないのが不思議だと感じていた。 ようやく本題に入る。危険なのは承知しているが、情報を寄越してくれる人物はルーカスしかいないのだ。 前とは違い、紅の刀を持つ主の気配がおぼろげで遠い。 周囲を探し回れば気配もつかめるが、いまはその時間すら惜しい。そのため、目ぼしい場所を調べるためルーカスを探し出したのである。 「予想だけでいいですか?そろそろ俺達も向かいますけど」 「お願いします」 「一人でいくんですか?」 「はい」 「あのですね・・・」 「どうしても殴っておきたいやつがいるんです」 「殴る?」 意外そうな声が上がった。 「冗談抜きに私の生き方に関わることなんです。今やらなくては、どうしてもダメなんです」 「・・・」 「戻ってきます。前みたいなことはしません」 約束もしたし、とは心の中だけで呟いておくことにする。 意思を込めてはっきりと断言したアリシアへの返答はなかった。沈黙が続き、やがて嘆息がもれるとアリシアの手をとり引き寄せる。 「・・・まさか走ってきたんですか。濡れてますよ」 呆れの色がある。ほとんど抱き寄せるような形で乱暴に髪をかき混ぜて拭いていく。 「ぬれますよ」 「気にされることは、別にあると思うんですけどねぇ」 「あの、また、出ますから」 「はいどうぞ」 「これは・・・」 「ご自宅に行った時に拾いました。お返ししておきます」 手のひらに置かれたそれには見覚えがあった。 今まで持っていたのかと思うと少しおかしくなって、笑ってしまう。 「・・・ありがとうございます」 礼を言うアリシアの表情を見て、おかしそうに目尻を下げた。そして、いいことを思いついたと言わんばかりに悪い微笑を浮かべる。 「失礼」 「!?」 かがみこむと、ほとんど息が掛かるぐらいに顔を近づける。 流石に動揺したのか、ほのか頬が染まった。傷つき、包帯を巻かれた左目の上に手のひらを重ねられ、小さく言葉をつむぎ始めると、魔法の類なのだと理解した。 とはいえ、あまりに至近距離すぎて緊張は収まらない。 (あれ) 目蓋が下ろされているのをいいことに、ついルーカスのの顔を観察した。最初の感想は、案外端整な顔立ちをしているな、という存外失礼なことだった。 普段だらしないような人に見えるのだが、こうして真面目な顔をしているとまったく違う印象を与える。 ちゃんと髪を切り、服装も変えれば凛々しく見えるんじゃないだろうかと思ったときだった。 まぶたを開き、深い藍を湛えた瞳がこちらを見たのである。 理由はわからないがなんとなく恥ずかしくなり、頭がパニックになっていたのだが、その間にルーカスの手が器用に包帯を解いていった。 「おまけです。―― 一時しのぎですがね」 「あ」 左目が見えている。 「あとで返してくださいよ」 そういったルーカスの左目は、うっすらと白い膜がかかっている。原理は不明だが・・・なるほど、見えるようにしてくれたのか。 申し訳ない反面かなり助かる。素直に頭を下げた。 「ここから南に・・・といってもわかりにくいか。国に入国するための正面大門方向あたりに、大きな森があります。そこ帯がカール氏の別宅でしてね。保障はありませんが、可能性として残っているのはそこでしょう」 「わかりました。ありがとうございます」 「俺達と一緒に行かないんですね?」 「ええ。私のほうが早いですから」 素っ気無く言った言葉は、いつになく自信に溢れている。 が、次の瞬間には暗雲が立ち、苦笑した。 「それに・・・私まだ眠ってることになってるんです」 「成程。なら、急いだ方がいいか」 「はい。・・・それじゃ」 「気をつけて」 優しくかけられた言葉に、くすりとアリシアが微笑んだ。 それは一瞬、泣き顔に近いものに見えて、無意識に手を伸ばしかけたところで、 「こんなところにいたか!」 「・・・。なんだ、お前か」 「お前とはなんだお前とは。ここはあらかた探した。もう行く・・・・・・だれかいたのか?」 お前呼ばわりされた事が立腹だったらしいが、タルヴィスの表情が怒りから疑問に差し代わる。 「床が濡れている」 確かに、すぐそこの床に水溜りができている。 ぼりぼりと頭をかいてめんどうくさそうに答えた。 「ちょっとな」 手を伸ばしかけた方向には、もう誰も居ない。様子がおかしい友人をいぶかしんでいたが、両目を見るといっそう疑問が深まった。 「おい、その目…」 「いいから。ほれ、子供が危ないんだろうが」 話したがらないルーカスに仕方がないと諦めた。 そんなことよりもタルヴィスにはやるべきことがあったからである。カールの別宅へと馬を走らせる最中声を荒げた。 「なあ!ルーカス!」 「なんだ?」 馬は先ほどから全力で走らせている。周りは雨音でうるさく風もつよい。 「あの変な出で立ちの男の対策はできてるのか!?」 「ない!」 「なに!?」 思わず馬から転げ落ちそうになる。 「ないって!お前それは・・・!」 「多分大丈夫だ!」 多分、という言葉に二の句が告げられない。それは拙いのではないか。 会話が聞こえていた騎士達もそう思ったらしい。それでもルーカスははっきりと断言したのである。 「問題ない!」と。 話は少し前に遡る。 報告を聞いた青年は、嘆息ついた。 どちらに憤慨すべきだろうか。父の裏切りと、友人の失敗とを。 「準備不足が祟ったか・・・」 ブラッドはともかく父はなんとなくそんな気がしてたのだ。 先ほどその手で、実の父を刺したレイピアを投げ捨てると、友人へと向き直った。 「なんだよ、手離さないから期待したのに。抵抗しねえのか」 「父に裏切られたのは腹が立つね。けど君にはどうも思わないな。自分でも不思議だけど、怒ってないみたいだ」 「はー・・・」 ブラッドは抜き身の刃を手にしている。これから起こることは彼にも予想がついているだろうに、カレラスは落ち着いた物腰を崩さなかった。 「なんで止め、刺さなかったんだ」 「いいことを聞いてくれた。どうやらあんなのでも僕は父だと思っていたようだよ。母さんを苦しめた分、いつか殺してやろうと思っていたのにね」 嬉しい事を発見した、と。淡々と自己の解釈を説明していく。 それがブラッドにはわからなかったらしい。珍獣を見たかのような視線を向ける。 「・・・変だな。失敗したのにお前が嬉しそうに見える」 「楽しかったからね」 真面目な顔で断言した。 嘘ではない、カレラスは後悔の念を一つたりとも持っていなかった。 そもそも穴だらけすぎるのだ。信用できない身内、思惑通り動く事のない味方、熟成の足りない計画表。政治革命を起こそうという序章には物足りない、三流以下のシナリオだった。 本音を言えば・・・こんな計画に乗った父や、支持した連中の頭を疑ったぐらいだ。とうとう蛆でも沸いたか、それとも自殺願望でもうまれたかと本気で首を傾げていた。カレラスが持ちかけられたのなら、一笑に付して相手を追い返している。 では、なぜこんなことをしでかしたのかと言えば、いつか彼女に説明した遊びというもので――― いわゆる、"魔がさした"というやつだった。 「・・・・・・」 今度こそブラッドは動いた。幽鬼のような足取りで、満足げな笑みを浮かべる青年へと歩み寄り、 シャッ 風切り音が室内に響く。 「つまんねえ」 一人に戻り、 「・・・・・・・・・どこいったんだ。こいつの親父」 満ち足りて逝った青年が気に入らないので、男にしては珍しく、意思を持ってすべてを壊す事にした。 |