じくじくじく。ズキズキズキ。

熱い痛みで目をあける。

「あ・・・ぁ」

ぼうっとして、視界が定まらなかった。

ドネヴィア近郊の離れた森の中。

誰の物とも知れない小屋の片隅でアリシアはうずくまっていた。

小屋の中に明かりはなく、隙間から見える外はすでに夜だ。

何度か目を覚ました記憶はあるがあまり長持ちした記憶がない。

傍から見てみれば体は血だらけで、特に顔面の半分は固まってこびりついた血に染まり。髪にも同様に張り付いている。

「う・・・…」

痛くて仕方ないから気絶したいところを意識を無理矢理呼び起こさせる。

そばには血だらけとは正反対に、新品のような白木でできたと鞘の刀が一振り、寄り添うように置かれていた。

悲鳴を上げる体を無視して近くにあった箱をまさぐる。

乱暴にかき回して出てきたのは丸薬であったりビンだったり、包帯だったりと様々なもので、小屋にあったものを勝手に拝借したのだ。目を凝らせば、アリシアの体はつたないながらも包帯が巻かれている。

左の視界がきかないことを不思議に思ったが、すぐに理由を思い出しうなだれた。

抉り取られたのだ。

目の中に指が入ってくる感覚はたまったものじゃない。思い返すだけでも嫌だ。
動くのがおっくうだが、軋む手足を動かして具合を確かめていく。

酷いのは顔と肩。
他にも浅い傷はあったが、刃が鋭利すぎたのが幸いし、こちらは薄くであるが皮で塞がっている。

左肩と顔は治りが遅い。肩は一度貫かれた状態で捻られてしまっているから時間がかかる。

左目は・・・もう光を感じる事はないだろう。眼球そのものが存在しないのに、ないものを作り出す事はできない。

片目だけの不便さと言うものを思い知らされながら大雑把だらけの治療を続けていく。

体力と生命力が通常より底知れないのが救いだった。

体を回復させるためにも感覚は寝ながらもずっと鋭いままだ。今ならある程度の範囲ならば誰が来ようとも気配も音も聞きもらすことはないだろう。

他はどうか知らないが、アリシアがこの状態になるためには、意識的に感覚を増幅させるだけでよかった。



・・・過去、いくつかの代償と引き換えに手に入れたのは骨と肉に直接呪を刻み込むこと。

刻まれた《呪(じゅ)》はまるで自然に覚えたかのように「殺す」ことを体に馴染ませ、信じられないくらいの身体能力を与えてくれた。

その恩恵は常にあるが、意識して使いたいとは思わない。どうしてかと問われれば、理由は単純で、"磨り減る"からとアリシアは思っている。

常に何かに尖る心を向け、音や何気ない仕草に敏感になるというのは、神経をつかい精神を疲労させる。アリシアに関してはこの神経を使う作業は息を吸うように簡単なことで、苦には思わない。
むしろ楽しいと感じるのがやっかいなところで、


あまり慣れてしまうと、"普通"が物足りなくなるのではないかと憂いているのだった。


それでも慰めは、日常の生活をアリシアが恋しいと、日溜りへと歩み寄ろうとしていることか。



荒い息をついて壁に寄りかかった。
どのくらい時間は経ったか知れない。思い返すのは3度目になる男との邂逅だ。


「会いに来たぜ」

同時に腰の入っていない居合いが襲い掛かった。
予想していたことだ。すでに準備は整っていた身体は自然と避けつつ名もない刀を引き抜く。

待っていたらしい。それを確認して、男は利き手を変えた。刀を左に、鞘を逆手に構える。

1刀ではなく、鞘も使って武器にしようというのだ。刃がないとはいえ、まともにぶつかれば腕力も合わさり、鞘は鈍器と同時に盾の役割を果たしていた。

かなり手が込み作られた業物だからこそ、できた芸当だろう。
アリシアの鞘でそんな扱いをすれば10合もせず粉々になる。

狭い室内、足場もままならない状態では身動きが取りにくい故に、自然対峙は接戦となっていた。
双方の丁度中間あたりで火花が飛んだ。

鞘をも使う男だが、この広さなら存分には振るえない。

高速の突きが、一直線に喉元に迫る。アリシアの刀が迎え撃ち、刺突の軌道を脇に逸らした。
即座に重圧感を放つ鞘が縦横に跳ね、二刀の勢いを目まぐるしく、必要最低限の動きで、残らずはじき返していく。

交差する金属音は絶えることなく、甲高い音を周囲に響き渡らせる。

だが剣の質と、手数の多さからアリシアの攻撃は男に及ばないらしい。埋められない差は、一歩後退するごとの距離で凌がれていた。

男は確実に、猛烈な勢いでアリシアを追い詰めていく。

埒が明かないのは目に見えている。
つま先が床を蹴り、一瞬で間合いを詰めた。

それまでは瞳に余裕を保っていた男だが、打って変わり恐ろしいまでのスピードで迫った切り込みに表情を消した。その瞬間、延髄に大鉈を振るわれたような衝撃。

いつの間にかアリシアの蹴りが叩き込まれ、壁に激突し大きな亀裂を作っていた。
開いた距離を、アリシアは詰めない。険しい表情が盾になるよう突き出された鞘を忌々しく睨んでいた。

「痛ぇ、刀の打ち合いに、それはありなのかよ」

「その鞘を下ろせば考えますよ」

「馬鹿言うな」

同じ獲物を使用する同士ではあるが、その戦い方には若干差が生じていることを両者はし合ううちに理解していた。
男が怒涛の速度で迫りくれば、アリシアはその倍を行く疾さで剣を爆ぜる。及ばぬ経験の技量を、それ以上の捌きを持つ事で凌いでいたのだ。

「・・・初めて知った。オレのやりにくい相手だな」

「そうですか?私は嫌いじゃないですよ、読みやすくて」

ぽつりと呟かれた言葉は、感慨深げだった。

といっても、状況が好転しているわけではない。男もまだ、本気ではないはずだ。
騒ぎで人が集まるのを期待しているのだが、それまで凌げるかどうかが危うかった。

「面白いからいいけどよ。おい、ところで一つ聞きたいことがあるんだが」

「なんですか」

「お前、さっきから思ってたが、違和感あるんだよな」

――と。

「なんで人間"ごっこ"なんかやってるんだ」

聞いて、きた。

これに揺らいだ。そして当然、男も見逃しはしなかった。
正面から縦に一振り。
これを横に避けるとすかさず横から鞘が。跳ね返すが動揺は太刀筋に現れていた。

「自覚はあったか。・・・そりゃ当然か、お前も一緒だし」

3、4。あらかじめ計っていたおかげで切り抜ける。これで終わりだと姿勢を替えようとした。

「鈍ったな」
嬉しそうに男が…嬉しそうに?

―――不味い!

衝撃。受身もとれないまま今度はアリシアが壁に叩きつけられた。
「はははは。致命傷は弾いたか。やっぱいいな、お前」

その時の笑顔と言ったら、場違いもいいところに違いなかった。
容赦なく腹と腕を蹴り上げ刀を持つ手を全体重かけて蹴った。

肩を貫き、壁とつながれたのもこの時だ。
刀をひねられても、喜ばせるだけとの悔しさから悲鳴は押し殺した。ただ刀を持つ指に力を入れ。絶対に離さない。

やがて覗き込んだ顔は、唇に微笑を浮かべていた。嘲笑だろうと・・・違う。
そうではない。同情と憐憫を浮かべ、

「そいつは無理だ」

信託を受けた神官の面持ちで、断言した。

「あ」

否定をするだけの拒絶ならば、まだ、良かった。

そうしたらその顔をかみ千切ってやれたのに、男は間違いなくアリシアを心配していた。
あのなぁ、と聞き分けのない子供を叱る親のように。

「わかってるだろうが。アレに引き渡した時点でオレもお前も、こうなってんだ。・・・そう、そうだよ。お前があんまり馬鹿らしいから、少し思い出した。オレ等は"そう"でしか、繋がりが持てねえんだ」

酷く心に突き刺さるから、泣きそうになる。

―――なんだオマエ。人が憎いのか。

そう言った。
出会った時確かにそう言われた、あの声を鮮明に覚えている。
今はどうだろう。…好きだ、人は好きだ。学園にいるときなど楽しい。日々は楽しい、誰かとおしゃべりする事だって大好きだ。

「わかるだろ?」

息を吐いて、吸って。必死に自分を心を落ち着けようとすると血臭が邪魔をする。


過去の罪に、罪悪感はある。愚かだった自分への後悔もある。
だけど消えない。蓋を開いてしまえばどす黒い感情は未だ消え去らない。



あんなに、人を馬鹿にしていたくせに、少し脅せばあっけなく命乞いをしてみっともなく死んだ大人たちへの嘲笑。
嫌なものを簡単に消す事ができた楽しさ。
湧き上がる情感に涙を流しながら身を捩った快楽。

醜悪だ。

だが、その醜悪さを美しいと感じた、自分の―――



熱さを覚えたのはそのときだ。
目蓋の上乗せられた指は、外側から内部に入り込む。

焼け付く痛み。どのような声を上げたかなど覚えていない。気絶するかと思ったのだ。

息も絶え絶えだった。男の手の中には見たくもないものがころりと転がり弄ばれている。

「覚えてるよな。・・・引き渡したときの、『条件』は」

生々しい音と、激痛を友にして刀を引き抜く。力の入らない視線の先は、感情の消えた相貌と美しく冴える刃の輝きだった。


「じゃあな」


2つに割れたオルゴールが男の後ろに落ちていた。


鈍い音が響いた。

「がぁぁぁぁ!!」

悲鳴は男の声だった。鮮血を散らしながら、思いがけない痛みに腕を押さえたが、あるべき場所から肉が消えている。その部分、ひじから下は、

ごとり。

床に転がっている。
鮮血を撒き散らしながら睨みつけた。
息も荒く、足は震えている。血濡れになりながらも、アリシアはすでに立ち上がっていた。

「お前!」

憤怒の表情を曝け出した男に、負けず劣らずの狂気じみた光を宿しながら、睨み返していた。






空気を吸う。小屋の独特の匂いが鼻についた。

勝負は痛み分け。やっと住人が騒ぎ出したことで、隙をついて窓から飛び出して逃げたのだ。
幸い追ってはこなかったが用心をしてずっと走った。そうして国の城壁を越えて今ここにいる。

「ど・・・してかな・・・」

2つに割れてしまったオルゴール。

それが目に入ったとき自分でもわからない感情が押し寄せ、腕に力がこもっていた。


否定できないのに。できなかったのに。まだ考えるだけで心は痛いのに。



わからない。自分でも涙を流しているのに気付かないまま意識を闇へと落としていった。



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