あの日より一つ荷物を持ち歩いていた。

布に包まれているので中身は知れないが、おそらく長さからみてやや長め、細めの片手剣だろうと知れた。

学校外ではこれを手放さない。片時も離さずそばに持ち歩いている。

普通の女性ならば護身用に持ち歩くとしても、長剣は手に余るから不思議がられたが、誰かが口にすることはなかった。

不思議に思うようなことがない事件がここのところ頻発していたからである。


殺人だった。


1週間ぐらい前のことだ。被害者は女性だった。
朝、労働者が通る工場通り。翌朝になって無残な姿で見つかったのである。

娘は近くの工場主の一人娘。習い事の帰り道だったであろうと思われた。運悪くその日は娘の両親は出張、娘の帰宅に気付けるはずもない。

この死に様が、あまりに残酷で両親の嘆きが、素早く国を駆け巡ったのである。

それからというもの、犯人は一気に大胆になった。
次は恋人同士、老夫婦、独り身の男性。一家全員もあった。犠牲者は一人のときもあれば複数のときもある。

性別、年齢見境はなく夜だけの犯行から段々と夕方近くにもなり見境がなくなってきた。

殺し方もさまざまだった。

無残な殺され方をしてるかと思えばもう一方では頭を割られていだけ。

自治団では手に負えず。事件の異常性からついに数日前、女王の命で王宮から人員が乗り出してきた。
女王の伴侶であるタルヴィス騎士長と直属の白獅子団がだ。これで事件は解決するかと思われた。

それでも犯人は捕まらない。被害は各区で起こっている。夜の街は静まり返り、夕方でさえも出歩くものが少なくなった。


そして――学校もその影響を受けている。


事件が収まらなければ試験もまともにできない。

試験を延期すべきだというゲーツェの発言に、強く反対したのはカールである。

「たかだか賊に大げさに騒ぎすぎですな。学園にはゲーツェ、貴殿の《契約結界》があり、姫様の護衛にはタルヴィス騎士長や護衛の騎士も多数お付きになられる」

「安全でないと言う保障がどこにあるのだ、カール」

「貴殿こそなにを心配している」

いつもの狡猾、慎重さらしくないカールである。よほど何か自信があるのではと思わせる言葉であった。
それに意外なことに反目したのは彼の息子だったらしい。
らしい、というのは実際の会話をゲ組の面々は聞けなかったからである。

一度休息と言うことで退室、次に戻ってきたときにはカールの考えを一変させていたのだ。

とりあえず見送りという形にはなるが、予行演習などの準備は進めておくことにという形で終わったのだ。

「先生」

まだ両派閥共に教師は幾人か残っている。

お互いにおかしな行動は避けなければと気を使っていたのに、そんなことを気にせず、イルニアが駆け寄ってくる。

「・・・・・・

じいっと見つめてくる感情には心配の色がうかがえた。
常に笑みを絶やさないイルニアにしては珍しい。
「イルニア?」

が、珍しいといって彼女がこのような表情をしているのは嬉しいものではない。

「気をつけてくださいまし」

何と表現したらいいのかわからない。けれど言わなくてはいけない。
アリシアの手をぎゅっと握ってそうっと言った。

「うまく説明はできません。ですが、気をつけてください。良くないことが起こる気がいたします」

そのときのイルニアは、年相応・・・それよりも幼い子供を連想させる表情だった。そんな顔をしてほしくないというのに。

「わかりました。気をつけます。ありがとう、イルニア」

「・・・」

沈痛な面持ちで手を離す。
笑ってもらえないだろうか。そう思ったがうまく言葉が見当たらない。
何か何かと必死に考えて、浮かんだのはこれだけだった。

「あ、ええと。…今日は無理ですけど明日にでも、久しぶりに髪をいじってもらえますか?」

もう少し違うことは言えなかったのか。

黙っているイルニアに動揺が隠せない。こんなときどうしたらいいのだろうと、戸惑いながら発した言葉に、少女は満開とまではいかないが蕾がわずかに開いたかのような微笑を浮かべた。

「・・・では、明日は思いっきりいじってよろしいですか?」
「お、おもいっきり、ですか。ま、まあ・・・なんとかなる範囲でしたら」
「嬉しい」

じゃあ、約束ですと指きりで約束までさせられてしまった。
その姿はあまりに無邪気なために、言葉を忘れる。それはイルニアが去ってからも続いていた。

「懐かれたわね」

「うわぁ!」

「わ、ひどい」
呆然としていたアリシアに声をかけたのはジラだ。今日は指の真っ赤なマニキュアがよく目立つ。い・・・いのだろうか。

「な、なんでいるんですか」

「なんで、って…。こんなところで可愛い女の子と見つめ合ってちゃ、いやでも・・・」

「すみません。その先は言わないでください。わかりましたから。聞いた私が悪かったです」

他の人から見れば先ほどの自分達はどんな風に見えたのだろう。
考えると顔から火が出そうになる。

「夢見悪かったのかしら。どっちにしてもああ言われたんなら気をつけてね、本当に」

からかわれると思ったのに。真顔で言われたものだから不思議になる。

「聞こえてましたか?」

「ごめん、あの子がああいうのって珍しいから。盗み聞きした」

そんな顔で悪気もなく言われると逆に怒る気が失せてしまう。

「やっぱり珍しいですか?彼女のあの様子は」

「ん・・・まぁねー・・・」

どことなく歯切れが悪い。

聞いてもいいものかと迷っているとジラの雰囲気が一変した。

「ところでさーあ。アリィちゃんもしかして、子供とか、おねだりとか泣きが入ると弱い?」

「な」

「結構厳しいかなとか思ってたんだけどー、実はそうでもなかったり?」

にこにこにこり。
じりじりと笑顔の圧力に知らず1歩引いてしまう。

「ななななにを根拠に」

「この間のお食事のときもイオに顔が緩みっぱなしだったしぃ」

「緩んでなんかいません」

「なんだかんだで、最後までみんなの面倒みてくれたよねー?」

「気のせいですしお仕事の一環です」

なぜ手をわきわきと動かす必要がある。

まずい、非常にまずい。
危険な匂いを感じる。命ではなく別の意味で。一歩下がれば、一歩近寄られる。
手に汗握る攻防がずっと続くかと思われたとき、助け舟は入った。

「クレスウェル教諭、総長代理がお呼びです」

助かった。
呼び出し人は嬉しくなかったが今は安全優先。これを機に残念そうなジラを差し置いて逃げだした。

「そだそだ。あとでルーカスんとこ行ってちょうだい。なんか聞きたいことあるって」

「時間があったら向かいますと伝えてください」

「りょうかーい。じゃあねぇ」

軽く頭を下げてアリシアは去る。
その後姿を眺めながらぼうっとしていた。

「ジラ、そんな場所に立っているとぶつかってしまいますよ」

「レティ…あ、レティ先生」

振り返ると、落ち着いた物腰の老婦人が立っていた。

「どうしなさいました?」

「うーん、なんなんでしょ。なぁんか、こう、前もこんなことみたいな…?」

一つ一つ区切るたびに、なにかを思い出そうと手探りで記憶を探す。

「それでは、思い出すまで一緒にお茶でもどうかしら?」

「行きます行きます」

それから数杯目のティーをおかわりして、アプリコットジャムが混ざっていく様子を眺めつつ思い出したのだ。
イルニアが不安を感じ、少女は笑ってなんでもない、心配しすぎだと口にしていた。

・・・今でも思い出せる。そうだ、ジーンはしばらく泣きっぱなしになった。

もっと早く思い出すべきだった。
そうして引き止めるのだった。

これはあの時とそっくり似ている。少女は呼び出されて、軽く頭を下げて去っていった。その小さくなっていく後姿を見つめていた自分。学校で少女を見たのは、ジラが最後になったのだ。

愕然となる。嫌な予感が胸を支配する。

ジラはイルニアの特性を思い出す。

彼女は夢見で漠然とした不安を感じ取れることはできても何時、何処で、何が起こるとまでは予測ができない。ならば彼女がそう感じたのならば、注意しなければならないのは周りの自分達だ。

勘違いであるなら、ただの不安であるならそれでいい。だが、もし―――。
席を立った。ティーカップから中身がこぼれるのもいとわず、気に入っている彼女・・・正確に言えば、友人のために。

「アリィちゃん!」








「一人で?」
「ええ。そう指示いただきましたので」

ベチュアは必要最低限のことしか話してくれなくなった。

いつもなら彼女が先導して総長室に入ることになっているのに、先の廊下で立ち止まり、一人で行けと言ってきたのだ。

首を傾げつつも従うしかない。

廊下を進み、扉をノックしようとしたところで内部の会話を聞いてしまう。
何故扉が少し開いているのか――。

「――殺さない?」
おいおい、随分物騒な会話を。

「そうですよ。エリシュミア様は殺してはならない」
カレラスの声だ。

これは聞いてはならない会話だと、身体がこわばった。
「父上、私は先日とても面白い話を聞きました。姫君は、男児であらせられると」

「――事実か?」

「わかりません。ですが事実なら使えるでしょう」

「どうする」

「しばらく安全な場所へ移っていただきたいですね」

我々の手で、と。
にっこりとした顔が今にも目に浮かびそうなほどの優しい声なのに、言ってることは物騒極まりない。

「陛下と騎士長はどうする。白獅子も一筋縄では行かぬ」

「女王陛下、タルヴィス、それに姫君方は賊の手によりお亡くなりになる。そうですね、評議会あたりにも話を」

ぐらりと視界が揺れる気がする。何を話している。何を言っている。

哀れみを含めて話すカレラスの言葉はおかしい。
それは、まるで陛下が崩御されるのが決まっているのだと言っている。

「あとの処理は簡単だと思うのですけどね。これ、どう思われますか」

その口ぶりはおかしかった。カールに向けてではない。
途端気安げになった口調に中にもう1人いたのかと――。

「った!?」

急激に腕を引っ張られる。
角度も力加減も無視されている。痛みに悲鳴をあげ、壁に叩きつけられた。
どうやら部屋の中に投げ込まれたらしい。

目を丸くしているカールと、カレラス。そして、

「よ、嫌なところで会うな」

紅い刀を持った、朱色の男。

状況として最悪である。学園内ならば大丈夫だと思っていたのに、またも不利な状況で会ってしまった。

「知り合いかな?」

「まあな。ここの人間だったのか。教職・・・だとしたら似合わねえことしてるなぁ」

あきれた口調ぶりに、余計なお世話だと睨み付けた。

情けない話だが、近くにいたというのに男にまったく気付けなかったのだ。馬鹿!と思い切り自分を罵倒しても遅かった。骨が折れるのではないかという力で押さえつけられている。

「呼び出されたとおもって来てみれば、随分物騒な話をされてますね」

どういうわけか知らないが男は今、アリシアに牙を向くつもりがないらしい。

切るならとっくに飛び掛られているだろう。ならばこの場で話をつけるべきはこの親子だ。

「ええ。是非とも先生には聞いていただきたかった」

「理由はなんですか」

「直入ですね。冗談だとは思いませんか」

「そういう方には見せません」

「心外だな。・・・まあ、いいですけど。理由ですか?強いて言えばほんの出来心。遊びです」

「遊び」

「それだけではありませんけれどね。些か、余興に使えそうな人が欲しかっただけです。あとは貴女が私の好みに当てはまる女性だったというのが運の尽きだったんでしょう」

なんということはない、今日の昼食をどうしようかという程度の軽い口ぶりだが、話している事は物騒極まりなかった。運のつき、というとんでもない言葉を吐かれれば誰だって嫌な予感がするだろう。

「味方でいてくださるのなら考えも変わりますが、その顔は違うようですし」

「・・・本気ですか」

「私はいつでも本気ですよ。貴女の見立てどおり、私は冗談が苦手だ」

カレラスは手元に置いてあった呼び出し鈴を振った。不思議なことに音は鳴らない。

「お聞きします。アリシア・クレスウェル殿。あなたは私に協力してくださいますか?」

「できません」

考えるまでもなかった。
確かにアリシアはこの国に来て日は浅い。女王のこともよく知らない。
カレラスに敵対する理由もない。

以前、夕方に出会った銀髪の子供を思い出す。エリシュミア、そして「ミア」。貴族よりも、より上等な衣装。銀の美しかった髪の色。
ドネヴィアの歴史を思い出していた。王家に連なる者は銀の髪を持つものが多かったのではないかということを。

すべては憶測だ。実はそんなすごい子供と会っていた可能性だなんて本当に少ないが、彼らが会話していた内容を交えても、符合はあっているような気がしたし、「人として」彼の意見に賛同できない。できようはずがない。

そして何よりも許せない理由は、アリシアを押さえつけている男にある。
口を挟む事はないが、男が不機嫌だというのは顔をみるまでもなく知っていた。

「残念です。――本当に残念だ」

「総長!カレラス殿!貴方がたは」

カレラスはみなまで言わせなかった。
室内に、護衛とは聞こえがいい彼の私兵が入ってきたからである。

「家まで送って差し上げろ。――先生、総長代理として謹慎を言い渡します。きちんとした手続きは後日にでも」

手続き。これの言わんとしている事は丸分かりである。

「今までお疲れ様でした。さようなら」

今生の別れのような哀れみを込められていたのは、気のせいではないのだろう。

屈強な女性と男性がサイドにしっかり付き添う。

この程度ならばなんでもない、すぐに出し抜けるし、腕をつかまれても振りほどける自信があった。だが今はだめだ、やってはいけない。ここで問題を起こせばあの男は躊躇なく刀を振るうだろう。

そうなれば周囲の被害は免れないし、アリシアも現状は不利だった。

先導と、逃げ出さないように挟んでアリシアを裏口に連れて行く。人気のない廊下は誰ともすれ違わない。
せめてあと少し、あと少しとなるべくゆっくり歩いて必死に考えた。
首は避けられないだろう。元々カール経由で入ってきたのだから。

過去の履歴偽造ということが知られてしまっている時点で、アリシアの教師としての生命は断たれた。

さらにはあの男とカレラスに繋がりがあるのがわかってしまった。家を知られるなど時間の問題。アリシアが勝ったとしてもその時手遅れだったでは話にならない。

彼らを突破するのは容易いが、ネックになるのは紅の刀の主。
そうなると誰かに話もできない。不用意な接触をとった者が殺されてしまうのは望む事ではないからだ。

あれのせいで行動が制限されてしまう。そのことにいらついた。

今、ここで。学園を出てしまえば彼等と接触できる可能性は低くなる――。
ならばせめて伝えないと。

足を止めたアリシアに、怪訝そうな2人が顔を見合わせた。
「出る前に取って来たいものがあります」

女性が顔をしかめる。前方にいた男性が威圧をかけるように強気に言った。

「後日届けます」
ここで威圧をかけられるはずの女性の雰囲気がガラリと変わった。

「そうしたくないから言ったんです。あなた方だけでなく、他人に見られるのも触れられるのも不愉快です」

ぴしゃりと言い放つと、たじろいだようだが彼らも引かない。

「しかし」

「行かせろ」
底冷えする旋律は視界に届かない場所から聞こえていた。
声の主は、アリシアにとって耳障りこの上ない、不愉快なトーンだった。

場の緊張が一気に高まる。事態を把握するまでもない、あの男がそこにいるのだ。彼らも知っているらしい。一応反論を試みようとしたらしいが、肩を震わせると忌々しそうにアリシアを睨めつけるだけで終わった。

「無駄話はされないように。我々は裏口でお待ちしています・・・遅れる事がないようにお願いします」

男の気配はすでにないが、"居る"というのは感じている。感謝しろよ、という無言の声が聞こえてきそうだった。

教員室に戻ると、ノーマ主任が中に居た。

さて、どうしよう。とりあえず不用意な長い会話はできない。
注意しすぎかと思うが、見張っているはずの男は、理由にもならない答えで人の命を奪う類だと理解していた。

行き当たりばったりでやるしかない。

「ルーカスやジラ君が探してましたよ」

「すみません。ちょっと用事があって・・・今度にしてください」

鞄と、机に立てかけてあった布につつまれた細長い刀を手にすると、ノーマが眉を八の字に描いた。

「先生、どこかいかれるんですか」

「すみません、ちょっと・・・」

この間。ジラの机から紙とペンを拝借し短くメモを書き残した。文面を考える余裕などない。
紙とペンを投げ置く。元が散らかっているおかげで乱雑におかれた2つは違和感なく転がってくれる。

「これ、ジラ先生に見るようにいってください」

逃げるように教員室を後にすると、ノーマの静止がはいったがアリシアは振り返らなかった。
教員室を出てから、学園をでて、自宅に送られるまでずっと。



絶対に振り返らなかった。







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