どう対処する? 考える暇はなかった。 「―!」 息を呑む男。そう、男だ。 対峙するのは男と女。 ほんの数秒も経ってはいまい。 逃げる双子へ刃を向けた男と、やらせまいとその体へ牽制を入れた女の動き。 男の判断は的確。 逃げた子供には見向きもせず、目の前に佇む邪魔者一人へと絞られた。 「普通じゃねえな」 それも正しい。 男は間違えることなく自身の適性を把握している。 ならばこの対峙している相手は、並みの人間よりも遥かに身体能力を凌駕している自分を殴った。その事実を認識しなくてはならなかった。 訂正する。そうではない、殴ったではなく――殴れたのだ。 男からみる女の雰囲気はがらりと変わっている。 笑みは掻き消え、ガラスのような酷薄の瞳が凄みを増している。無言の睥睨は、鉄槌のごとき威圧感だった。 遠めで眺めていたときの緩さは微塵もない。 「ふむ?」 静かな足運びで、一定の距離を測る。 これは久々に"遊べる"だろうか。 しかし、期待しすぎてもいけない。過去何度かこういうことはあったのだ。 だが不思議だ。なぜか、 「・・・・・・匂う」 胸中に湧き上がる不快感。 視界に留めるだけでは飽き足らない、存在自体が許せない。 女も似たようなものだ。警戒を解かないながらも、僅かな戸惑いが生まれている。 そして驚愕は男の手の内の一点にのみ注がれていた。 鞘から抜かれた抜き身の刃が、男の眼光と重なった。 そしてようやく男も、驚愕の意味を諒解した。 「・・・・・・あぁ。そういう、ことか?」 似たもの同士は、お互い、吐き気を催すほどの嫌悪を抱かせる。 これは同属嫌悪というやつらしいと、男は自覚した。 男は目の下に隈があった。 腕はひょろ長く、全体として細い。力が弱そうにみえるが、体つきを見れば余分な脂肪は根こそぎ落とした結果なのだとすぐさまわかるだろう。 白髪の長い髪を後ろで無造作に縛り、身に着けている服は襤褸の朱色。 色といい風変わりな格好といい、目立つ風体。ぎらぎらとした抜き身の剣に似た光を放つ瞳はつり上がっている。 身をまとう衣装からすれば貧相な旅人にしか見えないが、滾らせる風格は荘厳さすら感じさせた。 そして腰にある鞘は悪趣味と紙一重の豪華絢爛さ。 紅。血のような紅の色。そして黄金。その動物は異国の地にて奉られている架空の生物。 ――黄金の龍が鞘に巻きつき、その口には宝玉をくわえている。 右手にある刃は・・・アリシアもよく知っているものに酷似している。 その紅は、つい先日見た覚えがある気がする。 「・・・ほー・・・初めてだな。同類と会ったのは」 口元に浮かぶのは喜色だった。瞳はぐるぐるとめまぐるしく動く。爬虫類のようだ、と感想を抱いた。 アリシアは動かない。危険を感じた本能が、じっとりとした汗を流した。 「お前も、オレと、同じだな?――売ったな?あれに引き渡したな」 疑問ではない。これは確認だ。 ゆったりとした動作は男の周囲だけ異なる時間が流れているようだ。 「やるか」 確信する。 問いの答えは必要ない。 先ほどの男の答えにすべてが集約された。 ―――『引き渡した』 ならば、そうなのだろう。 こいつはアリシアがはじめて出会う、人であって、人あらざる同類だ。 「なるほど。確かに見てると腹が立つな」 意識しだせば、うねるように湧き上がってくる五感が増大していく。今ならば落ち葉一つの音も聞き逃さないことを知っていた。 「刀はどうした。そのままでやる気か」 「見ればわかるでしょう。嫌がらせですか」 見逃しなどする気がないくせに、ただ対峙を楽しむために問うてくる。 男が手にする物がアリシアのと同じものならば意味がない。何であろうと、それこそ石であっても容易く斬られてしまうだろう。 そんなものでは武器の意味がない。 この男はアリシアよりもずっと強い。 鼻に付く血の匂いは経験の差を容易に伺わせた。 けれど引くという考えも、時間稼ぎと言う考えすらも頭の中から消え失せている。 その程度では、殺される。 図ったかのように両者は同時に踏み出した。 リーチも威力も向こうに分がある。短期で仕留めなければ――。 「よーぅ」 「―!」 とっさに上半身を逸らした上を、紙一重で刃が飛んだ。 滑るような肉薄に、アリシアの背筋が凍った。奥歯をかみ締め身を捩らせる。動きを読み、流れを読み、僅かの隙をわざと作り、そこに攻撃させる。 獲物が刀であったことが幸いした。同じ刀使いなら、流れは程度なら判断ができる。 そうすることで、攻撃箇所を限定させるのだ。 「おい、本気じゃねえよな?この程度じゃないだろ」 「こ・・・の野郎っ」 「!いてっ」 振り返らず放った蹴りは刀を持つ腕に当たったらしい。 それでも致命傷にもならず、刃は脚へ。そして鮮血が溢れるが、隙が出来た事で大きく距離をとった。 「お前が刀持ってたら、もっとよかったんだろうな」 「そう思うなら見逃してほしいですね」 「そうしたいと思ったけどよ。ホラ、あれだ。・・・なんだ、もったいないってのもあるしよ」 男が破顔した。興奮が弾けた双眸が、凄まじい光を放っていた。 「お前、やる気ねぇだろ?」 くそったれと心中で毒づいた。 脚へ走った傷は見た目こそ派手だがそう深くはない。 だが今のこの状況は不利。 あわよくば頭を狙えば叩き潰せるかと思ったがそうも簡単にはいかないものらしい。 やはり同じ刀があれば少しは違うのか――が、ないものを頼っても仕方がない。 ――やるか。 そのときだ、男が後ろに跳ねたのは。 跳ねた直後、先ほどまで立っていた場所を炎をまとった『何か』が通過する。ぼんやりと突っ立っていたのならば、確実にそれは男の胸を貫いただろう。 そしてそれを放った人物は。 「間に合ったかな。遅れて申し訳ない」 手には見慣れぬ黒鉄の塊。どこかで見た覚えがある。 銃。あれは銃と言ったはず。大陸でも作れるものは少ない、珍しい飛び道具だと本で見たことがあった。 「ルーカス先生」 「ご無事でなによりです。・・・逃げ足が速いですね。もういない」 気付いた時にはそこにはルーカスとアリシアしかいなかった。たった少しの合間に不利だと悟ったのか。邪魔をされたくなかったからなのか。 どちらかはわからないが、命拾いをしたらしい。 「怪我は?」 「見た目だけです。ネヴィルたちは?」 「俺の家で待たせてます」 「よかった」 ルーカスの様子では怪我もないだろう。 安心すると。今度は離れた所に遠ざかったであろう、感じられない気配に苦々しく思いつつ、盛大な自己嫌悪が押し寄せた。 使いたくないと思ってたのだ。 なのにまるで少しも躊躇もせず、あれを殺そうとした自分がいて、できなかったことを悔しいと思ったのだ心がある。 その感情が、同類なのだと思い知らされた気がするのだ。 認めたくはない。だが、先ほどの自分を振りかえってしまうと、 「傷口が傷みますか?」 「え?」 「・・・泣きそうな顔されてますよ」 「あ。…大丈夫です」 返事は苦笑で返された。そうは見えないといいたいのだろう。 「早く治療したい所ですが、ここだとまだ危険かもしれませんから。戻りましょう」 異論はない。ここにいても時間を無駄に消費するだけだ。 「歩けます?」 少し痛みはするが広く浅いだけだ。 「行きましょう」 はぁ、と。 あからさまなため息をされる。 「・・・アリシア先生?」 「なんです」 「・・・かまいませんがね」 浅いと本人は言っても、いまだに血が流れているのが見て取れる。 ぽたぽたと地面に滴り落ちているのだが・・・。 些か、この女性に対する評価を改めなければいけないらしい。 傷などものともせず、先を進むアリシアを追いかける。 実に頼もしい背中だ。駆けつけたときにはすでに距離をとっていたため、何があったのかはわからないが、アリシアの姿は様になっていた。少しばかりほれぼれとしたぐらいである。是非とも担当教科の変更か転職をおすすめしたい。 まあ、抱き上げていくなどよりはよほどいい。 手間が省けるとネリィあたりが知れば激怒しそうなことを平然と考えた。 そんなことより気になったのは、弾丸を避けるなどという異常な反射速度と跳躍を見せた男である。 (――そんなものと対峙して、無事でいられるのかね) 見上げた空は薄明るい。 何かあるかもな。 そう、思った。 「先生ぇ、大丈夫ですか!痛くないですかっ!なんでそんな怪我をしてるんですか!」 玄関をくぐった瞬間のネリィの第一声だった。 目尻に涙を浮かばせながら抱きつかれ、今もまだ解放してくれない。 足の治療をするルーカスにぐちぐちと文句を言っている。 「なんでこんな怪我させたまま歩かせたんです!ぴんぴんして無駄に体力余ってるんですから、抱き上げて連れてくるぐらいのことしてくださいっ」 「ネリィ、見た目だけで浅いですから」 そう言えばまなじりをあげアリシアに矛先が向くのである。 「怪我に浅いも深いもないです!無茶しないでください!」 「浅いですけど、広く綺麗にいってますね。血は止まってるし、じき治るでしょう」 「魔法で治してください!」 「あんま治癒ばっかつかってたら体の自己再生力が鈍るって教わってるだろうが。このくらいなら必要ないよ」 「ルーカス先生!!」 「ネリィ、魔法はいいですから・・・」 なおも言い募ろうとしたが、ネヴィルにたしなめられ、ようやく沈静化したのである。 「それで、先生」 包帯を巻き終わると近くの椅子に腰を下ろした。 「あの男、何か言ってましたか」 足を動かしても、もう痛みはない。少し遅れていれば傷は塞がるのを目撃されていたに違いない。見られなかったことに密かに胸をなでおろしながら首を振った。 「それが・・・言ってることが支離滅裂で・・・」 「・・・。まあ、おかしそうなやつではありましたね」 「ええ・・・」 わからない、というアリシアに頷いてはくれたが、信じてないだろうという気がした。 正解だ。ルーカスは信じていない。 二人の会話はいつもより殺伐としている。ネヴィルはとうに気付いていたがやはり何も言わない。 「わかりました。どちらにしてもああいう手合いがいるのは治安上よろしくない。すぐにでも連絡をいれておきましょう。――3人とも、今日はうちの客間をかします。泊まっていってください」 「あ、いえ。・・・私は明日も出勤ですからこれで失礼します」 いつもと変わりのない声だが、そこには誰も知らないわずかな冷たさが含まれている。善意を跳ね除けて、アリシアは拒絶した。 「そうですか?しかし危険ですよ」 「いいえ。・・・大事な所要があって、どうしても家に戻りたいんです。走りますから大丈夫でしょう」 言うや否や、包帯の礼を言って玄関を出たのである。慌てて追ったのはネヴィルで、あまりの意外さに少女は呆然としていた。 「先生、危険です!・・・なに傍観してるんですか!?ほら、行きますよ、止めるの手伝ってください!」 ルーカスは、新しいものを発見した学者のように感心していた。 「怒ってるなとは思ったが・・・ありゃ相当だな。ネヴィルみたいに根暗な、じわじわくるタイプだ」 まさしく見当違いな意見を述べた。 「先生!」 「怒鳴るな怒鳴るな。ああいうのは無理矢理引きとめたって無駄なんだ。本人がいいと言ってるんだから放っておけ」 止める気がまったくないらしい。 「っ!さっきからおかしい。先生、戻ってきてからアリシア先生に冷たい!」 「やっぱりか?俺もそう思う」 そうしてあっけらかんと笑ったのである。 だがネリィにしてみれば笑い事ではない。また襲われたらどうするつもりなのだ。 「大丈夫だろ」 ネリィが口にするより早く。 「あの殺人鬼、もう今日は出ないよ」 殺人鬼? ネリィが息を飲み込む。何かを知っているのか、この人は。 「いやいや、俺も知らないよ?ただ、ああいった手合いは、大体共通してるんだよ、色々と・・・なんかやっかいなのが、入り込んでるよなぁ・・・」 最後は独白のように呟いた。 「――連絡、いれてくるかねぇ」 |