(・・・ああ)

アリシアは―できるなら大声で叫んでやりたかった―心中で呟いた。

彼女の目の前には見慣れていたはずの教室が存在している。

見慣れていた・・・はず、だった。
壁は亀裂をつくり、妙な具合にへこみ、所々にひびがはいっている。

窓ガラスは無残な姿を晒し、地面に散らばった破片は光を反射していた。

・・・下に他に誰かいなかっただろうかと不安になる。

大丈夫なはずだ。誰からも苦情が来てはいないはず・・・待て。ソレも問題だ。これだけの騒ぎがあって苦情がないとは別の意味で由々しき事態ではないだろうか。頭痛が走る。

机、机も椅子、影も形もない、無論教卓もだ。
粉々に粉砕されている、何も知らないものが見れば、元の形状が机だと連想するの些か時間を要しただろう。

散らばった木片が、音を立てて崩れた。


あくまでゆっくりとした動作でアリシアはまず深呼吸をつく。
そうでもしないと怒鳴り散らしてしまいそうだったし、彼女の感情を沈めるための儀式でもある。

目の錯覚、それとも幻想でも、この場合は手を広げて受け入れられる用意があったのだが、生憎現実だったらしい。いくら経っても目が覚めないので、無念のため息を吐いた。

中は扉を開けたときそのまま、沈黙を保っていた。
息を潜めアリシアを見つめる生徒たち一人ひとりの顔を見返して行く。

中心にはいつもの如く元凶が佇んでいた。

毎度の事だが首根っこを掴んで、揺さぶってやりたい気分だ。
実行に移せたら少しは気が晴れるかもしれない。

(嫌がらせをしたいのか。・・・違った、嫌がらせだこれ)

なんとも自分が情けなくなり、気分が落ち込んでくる。
泣きたいが、"先生"としての矜持がそれを許さない。大体ないたら屈することになる。

なるべく不穏な声が出ないようにと、意図的に心を沈めて口を開く。

「ジーン・ヴェンダー」
「はい」

ふわりとした金髪を両サイドで留めている少女が、直立不動の姿勢で、若草色の瞳をアリシアへ向けている。きりっとした目鼻立ちに、エメラルドを連想させる瞳。

外観は可愛らしい少女だが、あくまで外観だけであることをアリシアは知っている。

「ネヴィル・ブラウディ」

少年、こちらは返事はない。黒髪の物静かそうな少年は、沈黙していればそれなりに女の子たちにもてるだろうに、擦り傷やよれよれになった服で台無しである。

「ブラウディ、返事をしなさい」
「・・・はい。なんでしょうクレスウェル先生」

怒りの篭った一声にようやく、ネヴィルが返事をかえした。
ただし、非常に不本意そうでもある。

これは先ほど「外見上」は大人しく従ったジーンもであろう。

アリシアは経験上そのことを嫌でも思い知らされている。二人・・・ではない。
このクラス全体からである。少人数だけならどれほど楽だっただろう。

「一応聞きましょう。何故このようなことに?」
「このようなことに、とは何でしょう先生」

「私は今、そういう、はぐらかしを、聞きたいのではないのよ?」

ハッキリと一音一音が区切って発音される。
だが、少女もしれっとしたもので、

「それはすみませんでした。理由ですか、理由。強いて言うならありません」

ちっともすまなさそうな口調で答えた。すみませんというのは謝る気があるからこそ言ってよいもので、そうでない限りは嫌味にしかならない。

「ブラウディ、あなたは?」

こちらは無言である。というか最初からアリシアを相手にしていない。もともと何を考えているのかわからない生徒ではある。

観戦・・・していたであろう他の生徒は皆、早く終わらないかなと目が語っている。
そこに直れ!と子一時間ほど説教してやりたいが、やっても無駄だということはすでに思い知らされている。

このクラスにとってこの程度の喧嘩、もはや日常茶飯事なのだ。それだけならいい。いや、よくはないが、それだけならこうも心労が重なりはしなかったはずだ。

問題は、高確率でアリシアの授業時に喧嘩が発生する事である。

「あとで主催者は私のところに来なさい。掛け金は没収。それと授業が終わるまでに教室を元に戻しておくこと。出来ない場合は連帯責任で全体から単位を引きます。尚、教科書126ページから137ページまでを写して明日の私の授業までに提出。明日簡易テストを行うからそのつもりで」

ざわめきが起こる。ついでに最悪、何考えてるのとか。年増とか行かず後家、最低とか諸々を堂々とである。
誰が後家だ。まだ二十歳前半だと叫んでやりたい。

堅苦しい格好のせいで、年齢より上に見られることは自覚しているがあんまりだ。

「――いいですね」

後片付けの手伝いはしない。アリシアは魔法が使えないが、彼らが本気を出せばそのくらいの修復作業は問題なかったし、なにより自己で起こした責任は果たさせなければいけない。

授業が行えるはずもなく、結局教室を後にすると、道すがら他の教室で教鞭をとっている同僚の姿が視界に入ってくる。

きっと廊下を歩くアリシアを見て「またか」と思ったに違いない。

被害妄想だと自覚しているが、可能性はなきしもにあらず。それを思うとなんともやるせない気持ちでいっぱいになる。

廊下を進みそのまま角を曲がると見えてきた少し作りが丁寧な扉は職員室だ。
一度深呼吸。頑張れ自分と叱咤をする。

「先生・・・またですか?」
中には同じハイクラスの同僚数人が詰めている。すでに理解されているというのは喜ぶべきことなのだろうか、きっと違う。

威厳を出そうとヒゲを生やしてはいるがイマイチ成功はしてないなという感想をアリシアが持っているこの中年こそハイクラス全体の主任である。

「はい。またです」

「・・・そうですか」

もはや何も言わないのは諦めなのか達観なのか。あるいは両方か。

「ロス先生、一応忠告をお願いします。あ、それはダメです。やめてくださ・・・あーあぁ」

「いつもしてるんですけどねえ・・・待ったなしに決まってます主任。ハイ、1番上がりっと」

小奇麗に整頓された自分の机の隣は、相反するように物が積み重ねられたゴミ山だった。小さなクマの人形が落ちてきて目が合うと、なんとなく切なくなってくる。

取り出したのは1枚の紙きれと出席名簿。

「朝の確認表」と表記された名簿を手に取り今日出ている生徒分と照らし合わせつつ名簿にチェックをつけていく。

(いない子はいなかったかな)

先ほど訪れた問題児だらけの教室。24名ほどのクラスである。

とても信じがたい話だが学園期待の特待生クラスであり将来有望な若者たちになる。

担任はカードに勝利した男性で、ルーカス・ロスという。魔法応用実戦理論を受け持っている。

見た目どおりのんびり屋に見える男だが、未だにも多様なところからスカウトが来るほど実力者の人らしい。

反して副担任。アリシア・クレスウェル。担当教科は世界歴史。

親はいなく孤児。コツコツと働き独学で勉学を収めた。教師になって今年で4年目にあたる。

半年前にここ、大陸屈指の大国であるドネヴィアの魔導学園に推薦転任してきた。

何の後ろ盾もなく、まだ転任したてのアリシアが何故そんなクラスの副担になれたのか。

国の気風もあるにはある。

ドネヴィアは100年ほど前に大改革が起こり、能力があれば民間からでも国の核心に迫れる仕事ができるほどとなった。"ドネヴィアの王家は民に気安すすぎる"とは有名な風評だ。

現にここでは一部を除き貴族の子弟、民間の子供も関係なくお互い接している。

だが一番の理由は―――。

(権力抗争)

ドネヴィア魔導学園には2人の総長がいる。
一派は現状をよく思っていないカール総長率いる派閥の代表で、彼らを束ねるカール総長のお言葉とやらはこうだ。

「男子はもっと尊大になれ、女子は貞淑に。民間は分別をわきまえよ」

つまり女の子が男の子より偉そうにするのが嫌だし民間ごときが我ら上の人間に同等の口をきくなということらしい。

意味を理解したとき、どうやら彼らは歴史をさかのぼり遥か過去の風潮の世界にいるらしいと思ったものだ。

だがどれほど子供じみていても、馬鹿らしい話だろうがカール総長は困ったことに学園の融資者でありドネヴィアの国運営を担う人物である。

さて。問題を上げよう。アリシアはそのカール総長の一派だと思われてることだ。

以前、他国の普通の学校にいた際、ドネヴィアの魔導学園に推薦転任できるという美味しい話があった。受かるはずはないと思いつつ、もうちょっと給与が上がればいいなあと、そんな欲を出したのがいけなかったらしい。

運が良いのか悪いのか。アリシアは見事それに受かったわけである。

カール総長がドネヴィア魔導学園に断りなく、独断で行ったものであったと知ったのはそれから1ヵ月後であった。

二つ目としてアリシアの格好。

アリシアは今の若い教師にしては少々古風である。

赤銅色の髪をきっちりと結い上げ長いスカートを履きボタンを緩めることなく、首元までのブラウスと上着を着こなす。威厳付けに眼鏡もかけて。

これが若い女として、そこそこ悪くはない自分の魅力を大きく下げている。

古風なのはわかっているが別に職場で恋愛を求めているわけでもなく異性の目を気にしているわけでもない。「勉強を教える」ためにいるのだからこのくらいで丁度良いと思っているのだが、これが気に入られた。昔風の大人しい女性に見えたのだろうか。「大人しい」を「扱いやすい」に変えても良い。

そうなるとなぜか不思議なもので「民間上がり」となっていることさえ大目に見られた。

そして転任してきたわけである。その時カール総長と初対面をした際の指令は、

最近は身分もわきまえない学生が平然としている。勝手なことをしないように抑制し、貴族と民間の違いを叩き込め、という無茶な話だった。

仕事に就いた当日で辞表を出したくなったのは生まれて初めての経験である。

だが時すでに遅し、というべきか。それでもなんとか適当にやりくりしつつ、周囲と当たり障りのない関係を築いていたのだが、大問題が発生した。

学園内で一番優秀なクラスの副担任に当てられたことだ。

圧力をかけたのかとしか言いようがない。言い訳を散々したあとで、結局副担当を受ける事になった。

それまでは年少クラスのサポートや事務手伝いぐらいで入っていたのに、最初にきたばかりの頃のようにとはいかなくなった。

カール総長の一派は基本的に口うるさい。気に入らない生徒には圧力をかける。そういう人格の人が多かったからだろう。アリシアが何かやらかすのではと思われたらしい。今まで以上の緊張感を味わう事となった。

以前の学校を懐かしみつつ適当にのらりくらりと言い逃れをし、もうひとりの総長、ゲーツェ総長率いる現状維持派の同僚とは差しさわりのない関係を築こうと努力している。

後者の努力は実りつつある。現状維持派が多い同僚の教師達は、アリシアにはとりあえず害はないと判断してくれたのだ。


だからといってカードゲームで現金を賭けるのは教育現場によろしくないので止めてほしかったが。



名簿も終わり、今度は紙きれの方にとりかかる。
こちらは今日「も」授業ができなかった理由を言い訳・・・もとい報告をするための報告書だ。

提出する先はカール一派なだけに、提出時の事を想像すると頭痛に加え、胃のあたりがキリキリと傷む。

「生徒ぐらい押さえつけてうまくやれ」みたいなことを言われるのだ。

無理だ。個性派揃いの問題児達は範疇外すぎる。

(ええと――生徒が突然体調を崩し血を吐いて大騒ぎになっ・・・これ前書いた。机からなにやらすべて粉砕して・・・説教確実だぁ)

たかが紙。されど紙。この一枚で数時間の運命が左右されるのだから悩みもしよう。
何かいい言い訳は思いつかないものか。

「生徒同士喧嘩してたので心構えでも説教したでもいいんじゃないですかね」

いつの間に席に戻ったのか。隣でルーカスが人好きのされそうな笑みでへらっと笑っていた。
なんとなくこの場合、へらへらとしているという軽薄な表現が似合いそうなのだ。

そうなるとどこか冷たいと思える、近寄りがたい雰囲気ががらっと変化する。

肩まで、とは言わないが中途半端に伸ばした髪は邪魔そうに見える。藍色の瞳がアリシアの手元を覗き込んでいた。

「何かあった、とは確認できてもその後の事までいちいち確認してませんよ多分。いや、大変ですね先生も・・・うん?どうかされました?」

「あ、いえ」

少々以外だった。このように気をかけられたのが。

「そうしたいのは山々ですが。あの方々は口うるさ・・・・・・・・・規則ですので」

実はそうしたい、だなんて思ってるなど知られたらどんなことになるか。

「ならウチに趣旨変えしたらいいのに」

そう言って、馴れ馴れしく肩に腕を回してきた女性が。

「―――離して頂けますか。マギー先生」

「ジラでいいって言ってるのにー。それよりアリィちゃん、あんな爺よりこっちにいらっしゃいな」

ジラ・マギー。先ほどのゴミ山机を作り出した本人である。
白く短い髪を―本人曰く、くせっ毛だそうだ―していて、いつも興味深そうに動かしている大きな瞳が印象的に写る。

あけすけに笑う姿は見る人もなんとなく微笑みを誘ったし、微笑む姿も落ち着いた魅力をかもし出す不思議な人だ。

先ほどのカードゲームの参加者の一人でもある。またボロ負けしたのだろうか。

(だから、私はどっちの派閥になったつもりはないのに)

大体派閥変更してどうなる。カール総長の圧力から逃れられるのか。誰からの後ろ盾もないアリシアが今後もここで教員としてやっていけるのか。

(あ、胃が)

ここ最近は酷かった。何がって生徒の暴走でロクに授業はできない、上からは説教をくらう、後始末のせいで他のクラス自体の授業が遅れ気味。

・・・否、違った。

問題児クラスばかりは毎回無茶な課題提出のおかげで普通よりも先に進んでいた。

「・・・失礼します」
向かうは下の階にある教務室・・・その前に胃薬を飲もう。

すでに常備しているのがなんとなく哀しい。

大丈夫、今日を乗り切れば明日はクラス会議だけ。それさえ乗り切れば1日休みがくる。

明後日の休みに目がくらんで翌日に問題が起こらないとは言い切れない・・・。

その可能性さえも今は頭から全力で捨てていくアリシアであった。




TOP


 次へ


inserted by FC2 system